閑話 1 イザークの初恋

 俺、―イザーク・ウェバーがレティシア・カルディナと初めて会話したのは高等部に進学してすぐの出来事だった。




「おい、お前……一年のくせに、随分生意気な目をしているじゃないか」


「人にぶつかったなら、ちゃんと謝れよな」


身体も大きくて目つきが悪かった俺はどうも目をつけられやすいらしく、今日もガラの悪い上級生に絡まれていた――



それは休み時間、学食で食事を終えた俺は中庭を歩いていたときのことだった。突然前方を歩いていた上級生がぶつかってきたのだ。


この学園は貴族ばかりが通っていたが、それでも一部は素行の悪い連中もいる。

俺はそういった類の生徒から何故か運悪く目をつけられがちだった。


全く、面倒くさい……


心の中でため息を付きつつ、俺は再度謝罪することにした。


「ぶつかってしまい、すみません……これでいいですか?」


そして俺はじろりと自分よりも背の低い二人の上級生を見下ろした。それが癪に障ったのだろう。


「こ、こいつ……なんて生意気な奴だ!」


二人の上級生は有無を言わさず、 殴りかかってきた。一方の俺は揉め事は面倒だったので、大人しく上級生に2,3発殴られて見逃してもらおうと思ったのだが……今回の二人は中々しつこい連中だった。


結局、殴られた衝撃で地面に倒れても二十分程殴られ……ようやく解放された。




****



「いって……ったく、あいつら手加減なしで殴りやがって……」


殴られた頬を押さえながら、中庭のベンチにぼんやり座っていると、茂みの奥で歌声が聞こえてきた。


「誰かいるのか……?」


その歌声はとても綺麗で、誰が歌っているのか気になり、フラフラと茂みに近づいた。


茂みの奥には花壇があり、女子生徒が歌を歌いながら楽しげに花壇の水やりをしている後ろ姿が目に入った。


あの女子生徒が歌っているのか……?


更に一歩踏み出した時……


ガサガサッ! 


茂みに身体が触れ、思った以上に大きな音が出てしまった。


「え!?」


その女子生徒は余程驚いたのか、じょうろを落としてしまった。そして怯えたように振り向き、目を見開いた。


「え……? イザークさん?」


「あ? ああ、そうだけど?」


彼女は中等部からの同級生、レティシア・カルディナだった。中等部の頃は一度も同じクラスになったことは無かったけれども、高等部に上がってからはクラスメイトになっていた。


「ど、どうしたの! その顔!」


レティシアは俺の顔を見て駆け寄ってきた。流石に上級生に殴られたとは言えなかった。ただでさえ、強面の俺はクラスメイトたちから避けられていた。その上、殴られたと言えば、喧嘩っ早い男と見られて余計怖がられてしまうかもしれない。


「ちょっと転んで顔面を打ったんだよ。驚かせて悪かったな」


そして背を向けて歩き出した時――


「待って!」


突然右袖を引かれた。


「何だよ?」


「酷い怪我してるわ。ちょっと、ここに座って」


レティシアは花壇の近くのベンチに俺を座らせると、水汲み場へ向かった。

そして自分のハンカチを濡らしてくると俺の隣に座って、傷の部分をそっと拭き始めた。


「お、おい、何して……いって!」


「あ、ごめんなさい。痛かった?」


心配そうな顔で俺を見つめてくる。


「い、いや。確かに痛かったけど……って、そうじゃなくて。何してるんだよ。ハンカチが汚れるじゃないか」


「ハンカチくらい、どうってこと無いわ。それよりあなたの傷のほうが深刻よ。バイキンが入ってしまうわ。痛くても少し我慢して」


「……」


真剣な顔で話すレティシアに俺は何も言えなかった。すると、レティシアは再び俺の傷口を濡れたハンカチでそっと拭き始めた。



レティシアがハンカチを何度目か綺麗に洗って、俺の傷口を拭いてくれているとき何気に尋ねた。


「……俺が怖くないのか?」


「怖い? 何故?」


不思議そうに尋ねてくる。


「いや、俺は……身体も大きくて、目つきも悪いから……」


「別にそれくらいで怖いとは思わないけど? それにイザークさんは人の嫌がる仕事も率先してする人じゃない。中等部の時はずっと清掃委員だったでしょう?」


「……知ってたのか?」


「ええ。だってクラスは一緒になったことないけれど、三年間見てきたのだから」


その言葉に少しだけ気恥ずかしく感じた。そう言えば、レティシアはセブランと仲が良かったな……確か幼馴染だとセブランが周りに話していたのを聞いたことがある。


「はい、これで傷口が綺麗になったわ。気をつけてね、イザークさん」


「……イザークでいいよ。クラスメイトなんだし」


「そう? 分かったわ。イザーク」


「ところで、レティシアはここで何をしていたんだ? 水やりをしていたようだが?」


「ええ。花壇の手入れをしていたの。私、園芸が好きなのよ。もうすぐ、役員決めがあるでしょう? だから美化委員になろうかと思って」


美化委員……あれも皆から敬遠される委員会だ。


「確か美化委員は二人一組だったよな?」


「ええ、そうよ。園芸好きな人がなってくれるといいわ。なり手がいないとくじ引きになってしまうから」


「そうだな」


ペアを組む相手が不真面目だったら、しわ寄せはレティシアにいくだろう。



その時――


カーン

カーン

カーン


昼休み終了五分前の鐘が鳴り響いた。


「それじゃ、そろそろ行くわね。もう怪我には気をつけてよ? イザーク」


レティシアは立ち上がると俺を見下ろした。


「あ、ああ。そうだな」


すると、レティシアは笑みを浮かべた。その笑顔に思わず自分の心臓の鼓動が高鳴る。


「それじゃ、先に戻ってるわ」


そしてレティシアは落ちていたじょうろを拾い上げると、去っていった。



「美化委員会か……」


その時、俺は美化委員になろうと心に決めた。


もっとレティシアのことを知りたいと思ったからだ――



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