20 父の書斎にて

 廊下を車椅子で進んでいると、背後から不意に声を掛けられた。


「レティシア様」


振り向くと、父の執事のチャールズさんが立っていた。


「あ、チャールズさん。ただいま」


「はい、お帰りなさいませ。旦那様がお帰りになっております。レティシア様が学校から帰宅されましたら書斎にお越しいただくように申し使っております」


「お父様が?」


珍しいこともあるものだ。父の方から私を呼びつけるなど滅多にないのに。けれど、車椅子のお礼と昨夜のセブランとの話をしたかったので私としては都合が良かった。


「レティシア様。私が書斎までお連れいたしましょうか?」


「いいえ、大丈夫です。一人で父のもとに行ってきます」


チャールズさんの提案を断り、私は父の書斎へ向かった。




マホガニー製の大きな扉の前に来ると、早速ノックした。


――コンコン


『誰だね?』


扉の奥からくぐもった声が聞こえる。


「私です、レティシアです」


すると、ややあって目の前の扉が開かれた。


「お帰り、レティシア」


自ら扉を開けてくれるとは思わず、父を見上げた。


「……どうした?」


「い、いえ。ただいま戻りました、お父様」


父は頷くと、そのまま私の背後に周り車椅子を押し始め、書斎に置かれたソファセットの前に連れて行かれた。


「お、お父様?」


テーブルの前で止まると、父は私から離れて向かい側のソファに座ると声を掛けてきた。


「どうだ? 車椅子の具合は?」


「はい、とても乗り心地の良い車椅子です。足首をひねっただけなのに、こんなに素晴らしい車椅子をプレゼントしてくださってありがとうございます」


すると父の口から思ってもいなかった言葉が飛び出す。


「いや……礼はいらない。その車椅子はもともとルクレチアの為に用意したものだからな。……もっとも彼女はそれを使うことなく、この世を去ってしまったが……」


「……え? お母様のために……?」


「そうだ。部屋にふさぎ込みがちだったから、外出しやすいように車椅子を特注したのだが……」


父は口を閉ざしてしまった。その顔はどこか悲しげで、とてもではないが、私はそれ以上のことを尋ねることができなかった。

そこで別の話題をすることにした。


「お父様、実は昨夜セブランの御両親がお見舞いに来てくださったのです」


「知っている。イメルダから聞いたからな。しかし、途中でフィオナと共に締め出されてしまったので、話の内容が分からなかったと言っていた」


「そうですか……」


やはり夫人は既に父に報告していたのだ。しかも締め出されてしまったことまで。

私は意を決して、婚約の話をすることにした。


「あの、実はセブランの御両親から私達が十八歳になったら婚約すれば良いと薦められたのです」


「……そうか。子供の頃からそのような話は出ていたからな。マグワイア家と縁戚関係を結ぶのは良いことだ」


父の答えは淡々としていた。こんなものだろうと予想はしていたけれどもそっけない態度はやはり寂しい。


バンッ!!


そこへ突然乱暴に扉が開かれた。


驚いて振り向くと、そこには明らかに不機嫌そうなイメルダ夫人に困惑顔のフィオナの姿がある。


「どうした? そのように血相を変えて……今、見てのとおりレティシアと話し中なのだが?」


父は表情を変えること無く夫人に尋ねる。


「ええ、知っています。執事に聞きましたから……それより、聞きましたか? セブランとレティシアの話を」


夫人は父の手前もあってか、ちらりと私を見るだけですぐに視線を移した。


「お父様、セブラン様とレティはいずれ婚約するそうなんです」


フィオナはどこかすがる目で父を見る。


「そうだな……二人の婚約はずっと前から決まっていたからな」


「で、ですが……! それは二人の気持ちよりも、家同士を結びつけるようなものですよね? だとしたら……」


イメルダ夫人が何を言いたいのかは、分かっている。けれど……その話は聞きたくはなかった。思わず俯くと、父の声が響いた。


「レティシア」


「は、はい」


顔を上げると父が私をじっと見つめている、


「もうお前は部屋に戻って良い」


「え……?」


目を見開くと夫人が驚きの顔を浮かべる。


「何を言っているの? レティシアにも話を……」


「用があるのは私だけだろう? レティシアには関係ない話だ。早く部屋に戻りなさい」


ここは父に従ったほうが良いだろう。何より、これ以上この部屋にはいたくなかった。


「では、失礼いたします」


挨拶すると、私は背後から強い視線を感じながら父の書斎を後にした。


この先……もっと夫人やフィオナの当たりが強くなるだろうと、心に不安を抱きながら――





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