第17話 業病、二人。

「ひっ、し、塩柱? ──いでえええぇっ」


 慌てて立ち止まった弾みで足のもつれた赤久住あかくすは、剥き出しの冷えた硬質な床に倒れしたたかに鼻を打った。


「残り少ない寿命だ。戦場まで残しておけ」


 冷徹なのか、あるいは慈悲なのか、判然としない言葉を老人にかけた後、薫子は背を向けて再び跪く弐式ふたしきへ向かい歩き始めた。


「塩柱──ってことは、あれって──」

「そうだ」


 マモルの隣に並んだ薫子が固い表情のまま頷く。


HEFヘフ域の影響範囲は極小なのだが、我の呪われし力が効かぬらしい」

「──呪われし力?」

「ほほう」


 怪訝な表情を浮かべたマモルに対し、初めて薫子は楽し気な様子を見せた。


「お前にも知らんことがあるのは実に心地が良い」

「そ、そう?」


 ──原作知識でボクと張り合いたいのかな。

 ──あ、でも、薫子ちゃんって、序盤以降の展開には詳しいのかもしれない……。


「となれば、検査結果も掴んでいないというわけだな」

「検査って、ええと──?」


 関東共和国に入ったマモル達は多数の検査を受け、なおかつ一週間に及ぶ入院生活を送っていた。


 ──薫子ちゃんは温泉に行ってたらしいけど。


「ふむ──奄美も存外と──まあ良い。ここで止まれ」


 弐式ふたしきまで数メートルという距離に至ったところで、薫子が先を進むマモルの腕を引いた。


 マモルが焦がれた幻の機体と彼を隔てるものは、黄色いバリケードテープのみである。


 潜るか跨ぐかするだけで、手に触れることができるだろう。


「これより先へ進む前に、この話はしておくべきなのだろう」

「え? ──う、うん」


 あまりに必死の力で腕を握られているため、マモルは早く弐式ふたしきを触らせてくれという言葉を言い出せなかった。


「天竜川検問所で我等はHEFヘフ域の影響を受けなかった。いや、正確には致命的な影響は受けなかったな」

「そうだね」


 一人のモブは死に、もう一人は老人となったことなど、些末な問題という見解にマモルとて同意見である。


「関東軍も無事であったが、それはひとまず脇に置くぞ」

「うんうん」

「我はな、マモル──業病ごうびょうを患っておる」

「うん──」


 カミシロ。


 ゲノムがホモ・サピエンスとは異なる種へ唐突に変異するのだ。


 幾つかの歴史的事情により、人類から忌み嫌われる存在とされている。


 だが、不思議と今のマモルは、それを気楽に口にできなかった。


 陸軍機甲学校で、薫子に対する周囲の生々しい反応に触れたせいなのかもしれない。


「いや、だけではないのだ」


 自らの髪を触りながら、薫子は囁くように告げた。


「というより、我の真なる病に比べるなら、カミシロなど取るに足らん話だろう」


 そんな設定あったかな──と、考えながらマモルは視線を宙に彷徨わせた。


「我は、明日で米寿を迎える」

「べいじゅ?」

「つまり、八十八年を生きたのだ」


 ◇


「彩白椿家が我の亡命に手を貸し庇護下に置いたのも、全てはこの業病が狙いだったらしい」


 マモルにも、身に覚えのある症状ではあった。


 高校入学と同時、成長が停滞するどころか逆行し始めたのである。


 挙げ句、小学校高学年と見紛うほどの容姿となり、級友たちからは「コナ○」と呼ばれ、いつか自分は消えて無くなるのではと不安を抱く夜もあった。


 ──リアルに戻っても、薫子ちゃんと会いたいな。


 意外な告白を聴いたマモルは、同じ悩みを共有できる相手が出来たことを心強く感じていた。


 ──ホントはお婆さんってことだから──色々知ってそうだし。


「お前までもが病持ちと判明し、掘り出し物が転がり込んで来たと彩白椿の古狸は大喜びだろう」

「ボクって、掘り出し物かなぁ?」

「連中の話によるとな」


 そう言って、薫子が頷いた。


「関東の研究者どもは、抗エントロピー症と呼んでいる。真因も治療法も不明だが、それらしい名前だけはつけたようだ」

「研究ってことは、ボク等以外にも居るんだね」

「連中の研究に協力させられているそうだが、僅かながら存在する」

「モルモット的な?」

「我等であればHEFヘフ域へ入れる。──その可能性も有ろうとかねてより考えてはいたが、連中の話で合点がいった」

「あ、なるほど──」

「何とも都合の良いやまいだな」


 あたかも時を遡行するかのようなマモルや薫子のような存在は、HEFヘフ域におけるエントロピー増大速度に抗し得るということである。


 となれば、人類では立ち入れない区域となった東京に入り、塩柱の調査に携わることも可能なのだ。


 関東軍がHEFヘフ型地雷の開発に成功した理由の一つでもある。


「だから、ボクと薫子ちゃんはHEFヘフ型地雷が臨界しても、少し背が伸びる程度で済んだってことか」


 ──う〜ん、リアルの病気がキャラのパラメータに影響するかな?


 という点だけでなく、マモルには他にも疑問があった。


「あ、でも、赤久住あかくすさんは?」


 老人になったとはいえ、七福の女とは異なり死には至っていない。


「抗エントロピー症にも幾つかの種類があるそうだが、その中でもタイプΣ罹患者には厄介な特徴がある」

「ひょっとして──」


 七福商会の女は車から離れた際に老衰死し、赤久住あかくすは車に取り残されている間に老化が進行した。


「我は一定範囲において、HEFヘフの影響を抑止する」


 これこそが、彩白椿家が彼女を求めた理由である。本家筋の彩杜若を助けようというじょうなどではなかった。


「──するのだが」


 何事にも例外はある。


「目前の化け物には通用しない」

「へえ──。Ϝディガンマ零って、そんな設定だったのか。けど、いったい何だってそんな──」


 と、マモルが奇妙な弐式ふたしきの経緯を問おうとした時、赤久住あかくすが怒鳴り声を上げた。


「誰だっ!? どこからっ──ぐはっ」

「いや、悪いな」


 マモルと薫子が振り返ると、長身で荒々しい雰囲気の男が拳銃を構え立っていた。

 銃底で後頭部を殴打された老人が床に崩れる音が響く。


 踏んだり蹴ったりなモブだなぁ、とマモルは思った。


「HEF型地雷を頂きに来たんだが、もっとすげぇモンがあったぜ」


 そう言って男は鼻下を人差し指で擦った。


「つうわけで、あんたらは他所よそへ行ってくれねーか?」

「貴様──どこの者だ? 彩白椿の敷地と知っての狼藉か?」


 そう詰問する薫子の横顔を、驚いた様子のマモルが見やった。


 ──え? し、知らないの?


「いや、この人は──」


 鎧 剣児。


 彼こそ『弐脚式装甲機 南方蛮機・Ϝ《ディガンマ》』の主人公である。

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