第16話 C−3号にて。

「門前に、お車を回しております、薫子様──と、皆様」


 慇懃に頭を下げながら告げたのは、座間別邸を差配する執事の老人だった。


「ご苦労」


 大黒埠頭の寒さに備え、もふもふとした手袋を嵌めたカミシロの少女は、実に偉そうな口ぶりで答えたがプロ執事は何の感情も表さなかった。


 薫子の亡命を手助けしたという彩白椿家の大叔母──辰ゑたつえは未だ姿を見せず音沙汰も無い。


 ゆえに、亡命者一行の世話を焼き続けているのは、目前に立つ痩せ型の老人である。


 忌み嫌われるカミシロに仕えるという職務に、彼がいかなる感情を抱いているのか外見そとみからは推し量れなかった。


 ──あの辰ゑたつえさんが怖いだけかもね。

 ──かなりアクの強いキャラだったけど、会えるものならボクも会ってみたいなぁ。

 ──薫子ちゃん、連絡ぐらいはしてるのかな?


「今朝は冷えるな。──ん、どうした?」


 ボウとした表情のマモルに自身の横顔を見詰められいると気付いた薫子が、美しくも呪いの証しであるプラチナの髪を掻き上げて尋ねる。


 露わとなった彼女の耳には、小さなCOMイヤーカフが装着されていた。


 マモルや赤久住あかくすにも支給されているが、D-BMI機構を応用した昨今のコミュニケーション用デバイスである。


「あ、ううん。何でもないよ」

「ちいっ。糞坊主が色気づきやがって。助平な目で薫子様をジロジロ見るんじゃねぇぞ」


 下らない考えごとをしていただけなのだが、あれこれと否定するのも面倒だったので、マモルは笑って誤魔化しておくことにした。


「あはっ、すみません。それより早く行きましょうよ! 折角、週末にお出かけできるんですからっ」


 休日とはいえ、市外へ自由に行けるのも彩白椿家の威光あってこそである。


 陸軍機甲学校で特別プログラムを履修する他の亡命者達は、同校敷地内に建つ臨時宿舎で監視下に置かれており行動の自由など与えられていない。


 その点も周囲から反感を買う理由となっていたが──、


「マモルの言う通りだ。行くぞ──」


 執事の押した両開きの扉を薫子が出ると、真冬の風が彼女の髪をたなびかせた。


 塩柱以降の世界は気象衛星を失っているために精度は落ちていたが、午後からは雪が降るという予報も出ており厳冬を感じる休日になるのは間違いない。


 薫子が厳しい眼差しを浮かべ無言で振り返った。


「──」


 誰しも苦手なものは有るのだ。


「暫し──待て。我は、マフラーを取って来る」


 ◇


 倉庫の集積する大黒埠頭は、横浜港の交通結節点としての役割も担っているため、車によるアクセスは非常に良い。


 高速道路を一時間弱走って専用駐車場に降り立ったマモル達は、曇天覆う冬空の下を倉庫施設へ向かって歩いていた。


 彼等が目指す「C−3号」は、大黒埠頭最大のコンテナターミナルである。


 古くは総合商社系の倉庫会社が借り受けていたそうだが──、


「AYASHIRO──ああ、彩白椿通運か」


 閉ざされた倉庫のシャッターにプリントされている文字をマモルが読み上げた。


 重工から先端技術までを担う彩白椿系列の物流会社が現在の借り主である。


「そうだ」

「ふうん──でも、セキュリティというか、誰もいないんだね。随分と不用心じゃない?」


 コンテナターミナルに隣接する埠頭に貨物船が停泊していないとはいえ、運送用トラックや荷受け作業員の姿すら無かった。


「十年前から──いや──ともあれ入ろう」

「寒いしね」


 そう答えたマモルは、姫乃から半ば強引に渡されたカードキーを、通用口のスロットに差し込んだ。


 LEDランプが緑色に点灯した後、あっさりとした解錠音が響く。


 スライドして開放されたドアの先に待っていたのは無機質な通路で、センサーが反応して自動的に照明が灯された。


「強引に押入れば照明ではなく、無数の9mm弾が迎え入れてくれる。彩白椿の先端研が開発したオートセキュリティの試験場でもあるらしい」

「そ、そいつは怖いですな。ちょいと俺は便所に行きたく……」


 そのために敢えて警備員を配置しておらず、カードキーのみで入れるようにしているのだ。


 偽造不可能とされる特殊なカードキーを渡した姫乃は、それなりのリスクを背負ったことになるのだろう。


 ──そうまでして、薫子ちゃんに魅入らせたかったのかな?


 益々と姫乃の思惑がマモルには分からなくなっていた。


 通路を進んだ先にある扉を抜けると、


「あん? 何も──あ、いや──」


 と、呟いた赤久住あかくすが目を細めた。


 高い天井に幾つか存在する灯りで照らし出された空間は、肝心のコンテナが存在しないためにやたらと広く感じられる。


 ゆえにこそ、空間の中央に鎮座するの存在は異質だった。


「ま、まじか。何だって、こんなところに──?」


 その弐式ふたしきは物語に登場する騎士のようなポーズで跪き、兵器でありながら人を模した頭部装甲バイザー下部の光学センサーが侵入者を見据えている。


 皇国の轟雷シリーズや、奄美の南方蛮機、さらには関東の弐式ふたしきともデザインコンセプトが異なっていた。


 あえて表現するならば、馬と鋼の甲冑が戦場の華であった時代の騎兵である。


「うわあ、最高っ!」


 表情を変えない薫子や驚く赤久住あかくすと異なり、マモルは至って素直に喜びを表明した。


「南方蛮機Ϝディガンマがモデルにした幻の機体──Ϝディガンマ零!! まさか、ここで見られるとはな〜。眼福眼福。ちょっと、触るぐらい大丈夫だよね」


 弾む足取りでマモルが歩き出す。


「──お前──知っていたのか?」


 薫子は刺すように鋭い視線をマモルの背に向けながら後を追った。


「これは、我の彩杜若家が長らく──いや待て。来るなっ! 赤久住!!」

「は、はいっ?」


 続こうとした忠犬殺人マシーンの赤久住あかくすを怒鳴りつける。


「お前は無理だ。近付けば死ぬ」

「え? そいつは、またどうしてですかい?」

「あれはな、赤久住あかくす


 諭すような口調で語る薫子からは、なぜか怨念めいた憎悪が放たれていた。


「つまるところ、塩柱なのだ」

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