第10話 再会。

「お口を大きく開けて下さいね~」

「はい」


 病室のベッドに腰かけているマモルが素直に口を開くと、白衣姿の女がステンレス製の舌圧子を容赦なく押し込んできた。


「はぐっ」


 ──お医者さん──だよね?


 老練な医者とは言い難い風貌の女を見やった。


 派手な色合いの髪とメイク、そして香水の強さは夜の女を思わせる。


 ──七福のおねえさんもだったけど、このゲームのモブって制作者の好みがスゴく反映されてるのかな?

 ──み~んな、ぼん、きゅっ、ぽん、なんだよね。


 なお、マモル少年も嫌いではない。


「ふんふんふん。異常なぁし、おっけ!」


 女医はご機嫌な様子でマモルの肩を叩いた。


「そうですか。ありがとうございました」


 喉が痛いわけでもないマモルには何の検査か見当もつかなかったが、条件反射的に頭を下げて礼を伝えた。


 相手をゲーム世界のモブと考えていても、あまりに精緻な仮想世界に放り込まれると、現実世界と同じ反応を示してしまうのかもしれない。


「はいは~い」


 文字通り──、手と尻を振りながら女医が病室を出ていくと、ドア向こうに立つ見張りの兵士が敬礼をして見送っている。


 その後、兵士は室内を軽く見回した後、再びドアを閉ざした。


 すると──、


「ケッ!」


 不満げなしわがれ声と共に、マモルと隣の病床間を仕切るキュービクルカーテンが開け放たれた。


 頭頂部の寂しくなった初老の男が、ベッドの上で胡座あぐらをかいている。


「なぁ~にが、自由、平等、友愛だってぇの」


 天竜川国境検問所前で弐式ふたしきパイロットが告げた歓迎の言葉を、忌々しそうに繰り返した。


「どうしたんですか? 赤久住あかくすさん」

「ああん?」


 赤久住あかくすは恨めしげな目付きで、マモルを三白眼で睨んだ。


「さっきの色っぽいねぇちゃん、俺の面倒はまるで看やがらねぇ」


 その点はマモルも疑問に思っていた。


 素人目に見ても、診察を受けるべきは赤久住あかくすの方に思えたからだ。


 ──七福のおねぇさんみたいに、老衰死とまではいかなかったけど……。


 深いほうれい線の刻まれた顔貌がんぼうは、誰が見ても六十代の男と判断するだろう。


 ──こんな風になったということは……。


 軍用SUVの車中では、赤久住あかくすが重エントロピー場の影響を受けていなかったのは間違いない。


 だが、路上に倒れた七福の女を助けようと薫子が飛び出し、その後をマモルが──。


「こんなジジイは、さっさとくたばれってことかよっ!!」


 怒りを込めた老人の叫びでマモルの回想は中断された。


 元気一杯に悪態をつく様子からは、老け込んでいるとはいえ健康上の深刻な問題は抱えていないと察せられる。


「それは無いでしょう。イベントですし──いや、ええと──わざわざ、こんな場所まで運んでくれたんですから」


 装甲救急車に押し込まれたマモル達は、天竜川検問所から神奈川県へ移動していた。


 マモルと赤久住あかくすを受け入れているのは、座間駐屯地に隣接する相武台陸軍病院である。


「そんな悠長なこと言ってやがるから、海賊がおかで捕まるんだよ」

「──は、はい」

「ま、お前は俺ほど老け込んじゃいねぇからな……クソッ」

「いやあ、ボクだって少しは──」


 マモルにとって嬉しい誤算が発生していた。


 ──少しだけど、背が伸びたんだよね!

 ──HEFヘフ域の影響が、プレイヤーにも少しはあるのかな。


 相武台陸軍病院への道中でも違和感を感じていたのだが、到着してから各種検査を受けた際に気付いたのである。


 小学生高学年の風貌から、高校入学を控えた中学生程度にはなっていた。


「いいか、俺たち無価値な三下の命綱は、薫子様だけなんだぜ。坊主」


 関東軍の手引きで亡命を図った薫子がいなければ、残る二人は敵地で捕らえた民間人に過ぎない。


「だってのに薫子様と連絡も取れんし、会える気配すらねぇ」


 相武台陸軍病院に到着して以降は別行動となったのである。


 病院と聞かされたので、マモル自身は男女別々となったことを特に不自然とは感じていなかったが──。


「無力なジジイとガキを閉じ込めて──」


 ドアの向こうでは小銃を持った兵士が見張っている。


 さらには監視カメラと隠しマイクも備えられており、二人の行動と会話は筒抜けとなっていた。


 無論、そんなことは百も承知で好きに放言しているのだ。


「もう一週間だぞっ!!」


 赤久住あかくすは、しびれを切らしていたのである。


「そうですねぇ」


 他方のマモルも困ってはいた。


 メタ機能を呼び出せないためログアウトできないうえ、長時間プレイの健康被害を防ぐオートログアウトも発生しない。


 ──状況的には、VRMMOのデスゲームだよね。

 ──けど、リアルでも同じ時間が流れてるなら、もうとっくに気を失ってるはずだし……。


 狭い病室で過ごした一週間、考える時間だけはあったので、マモルなりに幾つかのパターンを想定していた。


 結果、現時点で最も妥当と思われるのは、


 ──体感時間を加速している……。


 と、実際の世界では、さほどの時が流れていないと解釈したのである。


 ──これを早く薫子ちゃんと相談したいな。

 ──廃人プレイヤーだからアップデート情報にも詳しいはずだし。


 目前の赤久住あかくすについて、マモルは既にモブ判定を下している。


 マモルや薫子と異なりHEFヘフ域の影響を受け過ぎているし、それとなくプレイヤーか否かの話を振ってみると何の反応も示さなくなるためだ。


 ゆえに、自身と同じプレイヤーと見なしているのは薫子だけである。


 ──う~ん、早く合流したいなぁ。


 彼の願いが叶うのは翌日のこととなった。


 ◇


「え? 薫子ちゃん──なの?」

「おおおう! か、薫子様っ。なんと神々しいぃぃ!!」


 別離から一週間と一日が過ぎた日の早朝、再会は唐突に訪れた。


 関東軍兵士を引き連れた薫子が、マモルと赤久住あかくすが苦楽を共にした病室に入って来たのである。


「済まぬ、待たせたな。──少しばかり湯浴みに時を費やした」

「お風呂?」

「──のようなものだ」


 だとすると、特別な効能の有る温泉なのでは──とマモルは思った。


 彩杜若薫子は生まれ変わっていたのだ。


 幼い令嬢から──、


「ともあれ、ゆくぞ」


 少女と大人の狭間にある見目麗しい令嬢へと羽化している。


「我等はまず共和制なる政治システムを学ばねばならん」


 とはいえ、その魂に変化はない。


 隠しマイクを意識してのことか、薫子はマモルの耳元へ触れるほどに顔を寄せて囁いた。


「──粉砕するためにな、マモル」

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