第9話 死人には要らないもの。

 他の軍用SUVと弐式ふたしき運搬車両が完全に無効化された後、相手陣地から出た歩兵小隊とネイビー色の装甲救急車が向かって来ている。


 < これから皆さんに必要な医療措置を施します。ぜんぜん怖くありませんので、大人しく待機しててくださいね >


 弐式ふたしきのスピーカーから響く音声は、マモル達の警戒を解くためか高圧的な様子は感じられない。


 だが、そう聞いた七福商会の女は、薫子に軽く頭を下げて早口で別れを告げた。


「そ、それでは、皆さま。私は契約上の勤めは全う致しましたので失礼しますわ」


 浜名湖闘技場から薫子と弐式ふたしきを国境検問所まで無事に輸送する──。


 薫子及び同乗した二名以外の人命は失われているが、契約上の瑕疵対象となっていないので問題はない。

 主契約者以外の命を保証する条項は、稟議が通らなかったのである。


「待て、七福。貴様一人で脱するなど不可能だ。我が関東軍へ話を通して──」

「いいえ、是が非も今すぐ戻らなければなりませんの」


 そう言いながら彼女はスーツの内ポケットを探り、薫子から代金として受け取った指輪の所在を確かめるようにしている。


「ふむん、ならば何も言うまい」


 車中に乗り合わせた者と関東軍の無事を見た薫子は、HEFヘフを生き残れる可能性もあるのだろうと考えたのだ。


「はい──では」


 後部座席へ女豹のように移動した七福商会の女は、マモルの膝を跨いで左側面の後部ドアから外へ出ていった。


 少しでも関東軍の死角を得ようしたのである。


「糞女がっ。一人で逃げやがった!」


 と、赤久住あかくすは唇を尖らせたが、後を追うつもりは無かった。


 何らかの奇跡で生き残ったとはいえ、何の情報も無くHEFヘフ域から脱するのはリスクが高過ぎると判断したのである。


 そもそも、外にいる関東軍に撃ち殺される可能性も高い。


 < あっ── >


 スピーカーから漏れた声に、赤久住あかくすは「それ見たことかよ」と呟いた。


 < だ、ダメですっ! 離れちゃ── >


 と、予測に反して未だ銃声が響かないどころか、弐式ふたしきパイロットの声音からは気遣うような心情も感じられた。


 < ダメェェッ! >


 弐式ふたしきが跳躍しようとするかのように腰を屈めた。


「おねえさんっ!」

「待てっ!」


 マモルと薫子の声が重なる。


 両人とも弐式ふたしきの40mm弾で、跡形もなく四散する絵面を浮かべていたのだ。


 ところが、一発の銃弾も放たれないうちに、十メートルほど離れた場所で彼女は倒れてしまった。


 路上に顔面をしたたかに打ち付けた後、起き上がる気配もない。


「七福!!」


 それを見た薫子は、ドアを開け外に出ると駆け出した。


「ボクも!」


 好奇心旺盛な少年マモルも後を追う。


 < あわわわ、大変です >

 < ちょ、ちょっとオジさんも後を追って下さいっ! >


「お、俺? なんで──うへえっ」


 < ともかく、追いなさいッ!! >


 人から見れば大口径の弐式ふたしき用アサルトライフルの銃口が向けられ、赤久住あかくすは転がるようにしてSUVを降りて走った。


「ふぅふぅ」


 たかだが十メートル程度で、妙に息切れするなと感じながらも、赤久住あかくすはマモルと薫子が立つ場所へ辿り着いた。


 二人の後背から地面を覗き込むと、七福商会の女がうつ伏せで倒れている。


「うっひゃあああ」


 片頬をアスファルトに付けた女の横顔を目にした赤久住あかくすは、思わず奇声を上げていた。


「ば、ババアになってやがる」


 大人の色香を発散していた七福商会の女は、HEFヘフ域に飲み込まれた多くの住人と同じ末路に至ったのだ。


「おおぅ、なんまんだぶ、なんまんだぶ」


 赤久住あかくすは、またも念仏を唱え始めている。


「どういうことだ。我も関東軍もHEFヘフ域の影響を受けておらんぞ」


 ──ん? 薫子ちゃん、少しだけ大きくなった気も……。


 という感想は脇に置き、マモルは話を続けることにした。


「関東軍には時間制限付きだけど、ちゃんと対策があるんだ。ボク等はプ──」

「くっ」


 老婆の死骸を見据え、薫子は下唇を噛んだ。


 この無惨を目の当たりにすると、己が運搬の依頼をしなければ、という悔恨めいた思いも心の片隅に浮かんでくる。


 ──いや──そもそも我が計画しなければ、となるのだろうな。


 休戦条約を違え侵攻という極秘情報を事前に彼女へ伝えたのは、関東共和国に別れて住む彩杜若あやかきつばた家の分家筋である。


 薫子はこの混乱に乗じて、弐式ふたしきと手練れのパイロットを引き連れ亡命する計画を立てたのだ。


 とはいえ、HEFヘフ型地雷なる新兵器の御披露目を、関東軍が自領まで巻き込み決行するとは想定外だったのだが──。


 ──我が情報を秘さねば、あるいは……。


 兵力の大半を南方に回してはいたが、備えがあったなら浜名湖一帯を襲ったHEFヘフの猛威を防ぎ得た可能性はあるだろう。


 ──全てが、この女の如く息絶えたわけか……。


 復讐を誓った祖国とはいえ余りに凄惨な状況に、薫子は怯えに似た感情を抱き始めていた。


 だが──、


「びっくりしたな」


 人類史に残る惨状下にあったとしても、当然ながらマモルは動揺などしていない。


 ただし、驚いてはいた。


 ──イベント序盤で格納庫に颯爽と現れた綺麗なおねえさん。

 ──プレイヤーか、少なくとも重要なNPCって思うよね……。


「まさか、モブとはなぁ。やっぱりアンネームドなのがフラグに──」

「モブ?」


 薫子には聞き慣れない言葉が並んでいた。


 ──南方──奄美の方言だろうか?


 だが、それを問うほどの興味は抱いていない。


 些末な言葉尻ではなく、薫子の関心は別の側面にあったのだ。


「ボクらを送り届けるところまでの人だったんだね! 薫子ちゃん」


 マモルの言葉には些かの同情心も、さらには怯えすら混じっていない。


 なおかつその表情は、時候の挨拶を告げるかのように穏やかだった。


 ──この男……悪鬼か?


 マモルがゲーム内イベントと思っていると知らない者からすれば、余りにもサイコパスな人物に映っただろう。


 ──だが、これこそ、奄美の連中が海賊と言われる所以ゆえんか……。


 彼女のえがく未来にとって、それは必要不可欠な資質に思われた。


 ──我は大願を果たすまで、いかなる情にも揺らいではならん。

 ──こやつの如き鬼を、我も飼わねば……。


「あっと、そうだ、薫子ちゃん」


 続く言動も、非道を極めた内容となる。


「おねえ──おばあさんに格納庫でお代に渡した指輪、返してもらった方がいいんじゃない?」


 確かにな──、と薫子は思った。


 死人には、もはや無用の長物だろう、と。


「実に良い提案だ」

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