第7話 塩柱。

 天竜川国境検問所へ通じる国道一号線浜松バイパスの周辺は、低層建築物が並ぶ住宅地のため見晴らしは良い。


 浜名湖西岸に建つ闘技場と、東岸の浜名湖要塞が、周辺を代表するランドマークとなっていた。


 だが、三方ヶ原みかたがはら方面に発生した構造物に、その立場を奪われつつある。


「どんどん伸びてやがりますぜ。馬のアレみたいにぃぃぃうひぃぃ」


 赤久住あかくすの下衆な表現に薫子は眉をひそめたが、窓外の光景から目を離すことは無かった。


 巨大な槍が、三方ヶ原みかたがはらの大地を貫いているのだ。


 赤久住あかくすの言う通り、柄の部分は上空を目指し伸び続けている。


 人類が喪った空の自由を嘲笑うかのようにも見えた。


「あれが塩柱なら三四半世紀ぶりだが――」


 と、呟く薫子の脳裏に、約八十年前――、二十一世紀初頭に全人類を震撼させた映像が浮かぶ。


 軌道上に忽然と現れた正体不明の敵性存在が槍状の飛翔体を放ち、世界各国の首都を一瞬にしてクレーターに変容させてしまったのだ。


 政治経済の混乱期が収束した現代でも、塩柱より半径十キロ圏内はとなっており、民間人は立ち入れない地域とされている。


 その事象を、欧米系メディアは「ロトの妻の塩柱 < Pillar of Lot's wife >」と表現した。


「いや、それでは我等が無事である説明がつかんな」


 かつてと同じく軌道上から放たれた質量体ならば、衝突エネルギーの生み出す破壊力が浜名湖周辺を灰燼に帰していただろう。


「薫子ちゃん、忘れちゃったの?」


 マモルは懸命に首を上げ、リアウインドウから外の様子を窺っていた。


 ――ようやく、分かったぞ!

 ――原作アニメの序盤を完全にイベント化したんだな。

 ――くうぅ、運営さん、やってくれるうっ。


「あれは、関東軍の新兵器でしょ」

「――新兵器?」


 薫子は怪訝な表情を浮かべ尋ねた。


HEFヘフ型地雷だよ。正式名称は、ええと――、重エントロピー場誘引型対人地雷兵器だったかな」

「地雷だぁ? あんな目立つ地雷があってたまるかよ、小僧」


 馬鹿にした口調の赤久住あかくすがマモルを睨んだ。


「南方暮らしの間抜けだって踏まねぇだろうが」


 薫子の隣に居座る新入りが気に喰わないらしく、言葉の端々に自然と刺々しさが混じった。


「命名は関東軍も悩んだそうですよ」


 明らかな年上とおぼしき赤久住あかくすに対しマモルは敬語で応えた。


 ――ホントのプレイヤーは子供かもしれなけど……。

 ――雰囲気がボクより年下とは思えないんだよなぁ。


 この辺りの立ち振る舞いは、部活動で叩き込まれてきたのだろう。


「ただ、HEFヘフシードを地面に埋めて起動する兵器なので、結局は地雷種に分類したらしいです」

「じゃあ、あれが爆発すんのか?」

「あの――、ひょっとして赤久住あかくすさん、原作を見てな――」

「つまりは塩柱と同じ、と言いたいのだな。マモル」


 薫子の興味は、もはや外の景色には無かった。


「うん、そうだよ。だから、千代田の塩柱と同じことが起きるね」


「おいおい、ふざけるなよっ」

「そ、そんな――」


 マモルの言葉を聞いた赤久住あかくすと七福商会の女が悲痛な声を上げる。


 高速度で伸び続ける槍の柄が臨界点に達した時、塩柱の半径十キロ圏内に特殊な系――重エントロピー場が形成されるのだ。


 場に存在するあらゆる生命体の細胞周期が急加速し、瞬く間にヘイフリック限界に達して死を迎えることになる。


「貴様は」


 落ち着いた口調で語る薫子は、薄手の弐式ふたしきスーツの上にまとうジャケットから、9mm口径の自動拳銃を取り出してマモルの側頭部に押し当てた。


「何者だ?」


 ――あれが本当に塩柱なら、既に命運尽きたと言えよう。

 ――関東軍を利用したつもりだったが、彼奴きゃつらの外道が我を上回ったらしい。


 薫子の中では、諦念めいた想いも浮かんでいる。


 髪がしらむ奇病を患って以来、思う通りに運んだことなど何一つとして無かったのだ。


「――貴様の話が事実なら我等は死ぬ。冥土土産にまことを語れ」


 今更どう足掻いたところで、塩柱より十キロ圏外に至るなど不可能と薫子は悟った。


 ゆえに、死を覚悟したのである。


「どうかなぁ?」


 側頭部の銃口など意に介さず、マモルは呑気そうに窓の外を眺め続けていた。


 ――お迎えの第57師団とボク等が合流出来れば、今回のイベントは成功判定になるんだろうな。

 ――彼等なら……。


「大丈夫だよ。検問所も近いし、ボク等はプレイ――」

「語れ」

「――」


 あまりに真摯な薫子の声音が、マモルのロール魂に再び息を吹き込んだ。


「あ――うん。ええと、つまりね、奄美の情報部が掴んでたネタなんだよ」


 奄美群島連合を根城とする勢力は、後南朝ごなんちょう皇国と関東共和国から海賊などとあなどられていたが、地域自治を担い得る海軍力と情報収集能力を有していた。


 南方との海洋貿易から上がる莫大な利益に支えられていたのだ。


「ボクの任務は皇国経由で関東に潜入して、HEFヘフ型地雷のプロトタイプを奪ってくることだったんだ。ほら、関東って海軍は割とまともだけど、陸軍は腐ってるでしょ」

「ゆえに、皇国のおかを経由して忍ぼうとしたのか?」

「うん」


 ――ホントは主人公が、もう少し先の回でやることなんだけど。

 ――誰も突っ込まないな……。


「なるほど――関東に比べれば皇国の海上警備は緩い。入りやすくはあろうな」

「でしょ。でも、結局は捕まったから意味が無かったね」


 薫子は小さく息を吐いた後、自動拳銃を降ろした。


 ――意味が無い――確かにな。


 会話をしてる間にも、三方ヶ原みかたがはらの槍は伸び続けている。


 ――事象と考え合わせるなら、おそらくはまことなのだろう。


 と、薫子は結論付けた。


「ま、ともかく、検問所へ一直線ですよ」

「バカヤロウ、この糞ガキがっ。今さら行ったところでどうにも――ああああ、ぢくしょうおおおおっ!!」


 と、叫んだ赤久住あかくすは、両手を合わせ天井を仰いだ。


「なんまんだぶなんまんだぶ」


 後部シートに背を預けた薫子は、唐突に始まった赤久住あかくすの念仏を聞きながら傲然と前方を睨んでいる。


 その時――、


「け、検問所が、見えましたわ!」


 ハンドルを握る七福商会の女が声を上げた。


「わぁ、運転ご苦労さまです! イベントの成否が掛かってますからね~」


 マモルはニコニコと微笑んで告げた。


「――ところで、おねえさんのお名前は?」

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