噂の人(後編)

「案外ささっと終わってよかったー」

「何処をどう捉えたらそういう認識に?」


空港に私と八千代さんを見送りに来た男2人組は何だか険悪だった。


私のDV義父を毒殺してくれたらしい、というのは分かったが、実際どういう風にやったのかはよく知らないし多分知らない方が良いのだろう。

ある朝起きたら義父が台所と玄関の間の廊下で倒れてて、明らかに手遅れだと分かったが、私が「依頼」したと疑われないようにすぐ救急車を呼んだ。

変死扱いで解剖もされたらしいが「急性心臓死」という事で事件性無しの突然死扱いになったようで安心した。変死の場合は皆されるらしいけど、警察に事情聴取されたのはかなり怖かった。

義父の葬式では実は沢山いたらしい義父の親戚がドッと集まり、義父の母、つまり私が不眠状態になりながら介護をさせられ続けていた老婆を誰かどのように世話するかという議論が激しく行われていた。実際に介護をしていた私は、当然の如く蚊帳の外。

きっとあの老婆を介護したり高い老人ホームに入れたりした人間は、老婆の死後財産分与で有利になるんだろう。

書類上の義父の娘ですら無かったらしい私は当然何も頂けずお役御免というわけだ。


せいせいした。

別に何も欲しくない。

ただ殴られず蹴られずいびられず夜中に何度も起こされない日々があればそれでいい。

自分には十分だと思った。


母が置いてった歩きにくい黒いパンプスを火葬場に置き去りにして制服にタイツだけで人混みから出てきた私をあの白い天使が待っていた。

季節外れの白いふわふわのマシュマロみたいな帽子を頭に乗せた彼は松葉杖にもたれかかって「K-POP好き~?」と突然聞いてきた。



K-POP?すべからく好きですけど?何?????

「BTSならテテが」

「よし!じゃぁ韓国行っちゃう!?」

私は急に韓国に移住する事になってしまった。



というわけで、私は今空港で飛行機を待っている。釜山行きの。

当初、八千代さんという目の見えないお婆さんが一緒だと聞いて、また介護させられるのかと身構えたが、八千代さんは稀勢の里以上に縦にも横にもドでかいお婆さんで身の回りの事は大体出来るそうだ。その上韓国語も日常会話は出来るらしく、むしろ私がお世話になりそうなくらい心身ともにしっかりしたお婆さんだった。

世の中には色んなお婆さんがいるんだなあ、と自分の偏見を窘めた。


その八千代さんの親戚が大家をやってる貸家に一緒に住む事になるみたいで、家賃はどのくらいかかるのだろう?韓国で私に出来るバイトがあるかしら?と心配になったが、チョンセ?という韓国ではよくあるらしい家賃制度により、八千代さんが既にその家に住む為に必要な家賃を全額一括で支払ってあるらしい。そんな事ってあるの?

私は韓国のインターナショナルスクールに入る事になったらしいが、その手続きは嵐山さんの助手?っぽいウエノダンさんという長髪のいつもだるそうにしてるおじさんが全部やってくれた。

転入試験も何もなかったので本当に大丈夫なのかしらとマジでめっちゃ心配だが、全部やって貰ったんだから私も頑張らなきゃととりまDuolingoで韓国語と英語の勉強を始めた。

今も飛行機を待つ間、八千代さんの隣でハングルの読み方のおさらいをしている。


「えらいねぇ真面目なんだねぇ」八千代さんが私のおでこあたりに目線を向けて笑っている。

「発音おかしいですかね?アヤオヨ、ォョウユ、ゥイ」

「まぁ何とかなるわ。向こうも分ろうとしてくれるさ」

「……私、人殺しなのに、こんなにお世話になっちゃって良いのかしら」

八千代さんがあんまりにも頼りがいのある風采をしているせいか、私はつい小声で本音の不安を漏らしてしまった。それに対して八千代さんはハッハッ!と肺活量が凄そうな笑い声を上げた。


「いいんだいいんだ!子供は勝手に世話になってりゃええ。大人はなぁ、大人はほんとはみーんな子供を守る為に生きなきゃぁいけねぇんだ。それにお前はもう既に一回死んでたようなもんだろ?わぁみたいなくそでっけぇオヤジに殴られて蹴られて夜も寝られなくて、お前はもう一度殺されてたんだ、子供のお前が。だから殺し返してやった!そう思え!」


八千代さんが豪快に宙に向かってそう言うのを隣で真剣に聞いていたけれど、でもやっぱり本当にこれで良かったのかしら?と未だ私の中ではもやもやしていた。

大人になったら……私が何処かの誰かの子供を守れるくらい「しっかり」したら、このもやもやはどっかにいってくれるのかしら?


「殺したのは俺と上之段。きみは側溝に落ちてた俺を助けたから、お礼を貰った!それだけ!」

相変わらず今日も全身白の服で天使みたいな悪魔の嵐山さんが軽薄そうに言う。

一体どういう子供時代を送ったらこういうハチャメチャな大人が出来上がるんだろう?この人は子供の時にちゃんと大人に助けて貰っただろうか?



「いや、殆ど今回頑張ったの僕なんだけど……」ウエノダンさんは今日もだるそうだ。

「お前バーで元力士ヤクザと酒飲んだだけじゃん。俺玄関で待ち伏せて薬剤口に入れるっていうハードな役回りだったし。俺は肋骨1本やって右手複雑骨折&左足靱帯損傷!」

「いや、お前んとこに行く頃にはぐでんぐでんだったじゃん。何でそれでそんなに大怪我になんの?弱過ぎない?元力士ヤクザがどうすれば他人の見知らぬおっさんの僕と酒を飲んで信頼して飲みかけの酒置いてトイレ行って僕が何入れたかも気にせずに酒飲む?って話だよ。僕の人たらし力を録画で残して欲しかったくらいだ」

「いや、ぐでんぐでんではなかった、ちょっとくてんっ?ぐらいだったね、もっと飲ませとけって馬鹿」


空港の警備の人とか警察とか正義感ある人とかに聞かれたら大変だからそんなあけすけに犯行を自供しながら喧嘩しないで欲しい、と私は内心酷く慌てた。

「おい、犯行自供してんじゃねぇよ馬鹿」私の心情を代弁するかのような台詞が突然頭上から降ってきてビックリしたが、その人が韓国のミステリドラマに出てきそうなかっこいい中年女性だったので更にビックリした。え?誰!?


「あと水晶は馬鹿じゃないからな?お前の百万倍天才だから。あとお前年下!うちら先輩やぞ?馬鹿にすんなよな」この人ポニーテールが『プラダを着た悪魔』の中盤以降の主人公並みにつやつやしてて凄い!毎朝ストレートアイロンしてる!?絶対髪の毛のケアめっちゃやってる!すごい!!!


「うわー関西によくいる年功序列主義の人だー」

「いや日本中にいるだろ、年功序列のやつ」

「うるせぇ。あ、八千代さんこんにちわぁ~。えーと隣の子が?」

「三成です。三つ成りと書いてミナリです」綺麗な年上女性にはすべからく気に入られたかったので、思わず椅子から立ち上がってハキハキと名乗ってしまった。

「あら!超いい名前じゃん?」笑うと目尻に花弁のように皺が寄った。

そして、この人全然私に興味無さそうだな~と一発で分かる声色で少しシュンとした。




***




「何?今日行くんだったの?私もなんだけど」

「え?お前鍼灸院は?」

「私好きな時にバカンス行く派だし。ま、弾丸だけど。BLACKPINKのライブ行く」

「えー!!!すご!やば!え!?嘘もぅライブあっ!?ちチケッ取れたんで!?やっば!」

「急に年相応の感じ出してきた」上之段は急にテンションぶち上がった10代にびびった。

「やばいっしょ?行くしかねぇって感じ。ネッフリの映画観た?ブルピンの」

「ぅあー!まだです!ネッフリとか全然観れる環境じゃなくってマジ」

「若い子が好きなのは全然分らんな、何の話か」八千代は嵐山達がいる方面を向く。

「ネッフリって何?」嵐山はとかく知らない事が多い。スマホを電話でしか使っていないのか。

「三成さんの次に若いお前がネッフリ知らないのは何でか分かんないけど有料の動画配信サイトだよ。まぁ多分お前は知っても政治的な理由で使わなそうではあるけど」

「ふぅん?韓国行っても観れる?」

「……三成さんがそこらへんの学生と同じように気軽にネッフリ観れるようにしておく」

「上之段水晶さん色々すまんな、事務手続きやら何やら、わぁじゃ分からん事全部」

「フルネームで呼ばなくていいです、別に事務が一番得意だし……」

本当に得意だったものは何だっただろう、子供の時に。

急に子供っぽさが表面に現れ始めた三成を眺めながら、自分の子供時代を思い出しそうになって、上之段は意識的に思考を即座に止めた。

思い出したくないものは、思い出さないままでいい。




K-POPが大好きらしい女子二人はいつの間にかLINEを交換していたし、何故か一緒に飛行機を背景に自撮りをしていたし「八千代さんも入って入って!」とハイテンションで呼んでいる。

黄色い呼び声のする方へのしのし歩いていって「自分で見られんもん撮ってもなぁ」とぼやいているが、八千代は笑って身を屈めている。


「上之段」

「何」

「幸せになれるといいね」

誰が?とは特に聞かず、頷きもせず、上之段はただ鼻をすすった。


「嵐山、眼科行った方が良いらしいぞ。多分視野が相当欠けてるってミキが言ってた」

「知ってる。前に殴られてからそのままなんだ」

「外傷が原因なら今からでも治るんじゃないか?知らんけど」

「出た。知らんけど。関西人がよく言うやつだ」

「別に僕関西出身じゃないけど」

「知ってるよ」

嵐山は無知のふりが上手いのか物知りのふりが上手いのか、よく分からない人間だ。シャーロック・ホームズが太陽系を知らなかったように、嵐山も知識の範囲を恐ろしいほど偏っているんだろうか。もしくは全部全部嘘なんだろうか。名前すら。

口喧嘩くらいは軽くする程度に頻繁に関わるようになっても、嵐山は未だに人間に見える時と、何か得体の知れない現象の一部のような、妖怪のような何かに見える時がある。

なぜ、僕を傍に置いて生かしているんだろう。連続殺人鬼の僕を。




3人がわちゃわちゃと搭乗口に消えていくのを見送ってからもう一度嵐山が「幸せになれるといい。みんな。みんなだ。こんな事起こさなくても」と誰に言うでもなくぼそぼそと呟いていた。


確かにそれはそうかもしれないと思って「そうかも。そうだ」と僕もぼそぼそ言った。

多分聞こえなかった気がする。誰にも。

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