彼以外は全部ゴミ

転校生が来た。

珍しい時期だな。運が良かったらいじめの対象があっちに移るかも。

いや、多分そんな事は無い。今迄もそうだった。そんな事はない。

「じゃぁ、三波の隣へ!」

いじめを「男子の悪ふざけ」程度にしか考えてない馬鹿な先生は言った。

周囲からクスクスと忍び笑いが湧く。全くつまんない連中。

私は親切に手を上げて「ここだ」と示す。

彼は初対面にしてはフランクに手を上げて返し、席までやってきて椅子を引いた。

「さんなみ、何?」

「え?」

「下の名前。さんなみってどう書くの?言いにくくない?」

いきなり失礼な奴だな。お前の名前も文豪のペンネームみたいで言いにくいよと言いたかったが、悪口に悪口で返すのは私のポリシーに反していた。

「三つの波で、さんなみ。下はミキ。ミキって呼んで」

後ろのクソ男子が爆笑する。頰に手を当てて、ミキって呼んで~と猫撫で声で真似をする。

私はそんな声で喋ってないし頬に手も当ててない。何一つ面白くないのに、周囲もクスクスと笑う。先生は何も気にしないふりをしてるのか本当に気になっていないのか「ホームルーム始めるから静かにしろー」とやる気の無い声で言い垂れる。

「何がおかしいんだ?」

割と大きな声ではっきりと転校生が私の後ろのクソ男子に言い放った。

「おい、何がおかしいんだよ。説明しろよ」

こいつヤンキーなのか?私の後ろのクソ男子にめちゃくちゃ低い声で詰め寄っている。

私も少し怖い。突如「ジョーク」の説明を求められたクソ男子は少しびびってるのか早口で言いかえす。

「こいつ三波幹久っていうんだよ。でも幹久って呼ぶとすげぇ怒るんだよ。ミキって呼んでほしいんだってよ。きもいだろ。オカマなんだぜ、そいつ」

しょうもないやつ。自分で説明してて恥ずかしくないんだろうか。

両親が幹久って名付けても私はミキが良かったんだから、いいじゃないか、ミキで。

「こいつがミキって呼ばれたいんなら、そう呼べばいいだけの話だろ?お前変な奴だな」

転校生は鼻で笑って席に着いて私に向き直った。

「これから宜しく、ミキ!」彼は教室中に聞こえる声で真顔のまま言った。

「え、ああ、よろしく!」私も少しつられていつもより声が出た。

私は耳まで熱くなった。少し泣きそうにもなった。あまりにも突然で。

なんかもう彼以外どうだっていいやって思える程、世界が真新しく変わった気がした。


彼は割と「不良」だった。

授業には遅れてくるし鞄も持っていない事もある。先生が鞄はどうしたーと訊いても「朝起きたら全部無かった」等とよく分からない説明しかしない。

でも全く勉強が出来ないわけでもなく、テストで1位を取る程でもなくいつも程々に上位の成績に残って、壁に貼り出される上位者の最後の方には必ず彼の名前があった。

仲の良い友達とまではいかないが、彼が鞄全部を持って来なかった日等は鉛筆や消しゴムを貸したり教科書を見せてやったりした。

最初はその様子を後ろのクソ男子が囃し立てからかったが、彼が真顔で「今のは何だ?」等と一々行動の説明を求めるので、段々馬鹿らしくなったのか転校生が怖くなかったのか、そのうちやめたようだった。

しかし、上履きは相変わらず隠されるし、机の中にゴミを入れられる。下履きはびしょ濡れにされるし、傘は折られる。

傘の骨ではなく柄が折れている傘を前にして先生は「謝ってるから許してやって」等とのたもうた。後ろではニヤニヤしながら「ゴメンナサァ~イ」とふざけている事を隠そうともしない馬鹿な子猿2匹。先生はこいつらの何処を見て「許してやって」と言ってるのだろう。

でも、もういい。もういいや。

あの日の彼を美しさを思えば、他の全てはゴミだった。彼以外の世界はゴミだった。

黒地に白の小花柄のとても素敵な傘だったが、私は素直に「はい」とだけ言って、用務員室で汚いビニール傘を借りて帰った。


翌日は綺麗に空が晴れていて、子猿は何故か2匹とも教室にいなかった。

先生は多少いつもより真剣な様子で、昨日から彼らは自宅に帰っていないので彼らを見た人は教えてほしいと言った。

見ても教えるか、バーカ。

中学生で家出する程の理由が彼らにあるとは思えなかったが、私は彼らのクソの部分しか見ていないので、まぁどっかにはそれなりの理由があったのかもしれない。

私は私をからかう猿が減って良かったと一先ず満足する事にした。

今日も彼は遅れてやってきて、しかも美術のデッサンの時間にやってきた。勿論描くものも何も持って来ていない。おまけに何故かびしょ濡れである。

美術の先生は呆れ果てて物も言えない状態だったが、私は自分のスケッチブックから1枚破り「これあげるから準備室にある画板を敷いて描きなよ。鉛筆も貸す」と言った。美術の先生もそうねそれがいいわね、と焦ったように納得した。

美術の先生は、担任の先生よりは多少優しいらしく、保健室からタオルや代えの服を持って来て彼に渡した。彼は英語で平和と書かれている謎のダサい色あせた橙色のトレーナーを着て、私の前に座った。

「今日は向き合ったお互いの姿を描くらしいよ」

「姿?顔以外も含むのか?」

「んー、まぁ、メインは顔なんだろうけど、上半身が入ってればいいんじゃない」

「ふーん」

彼はB3とB6、Fの鉛筆を取っていった。私は別に美術が得意というわけでもないのに親に色んな硬さの鉛筆が入った本格的な美術用の筆箱を買い与えられてしまったが、B2以外使ってなかった。だから、彼が3本選んで取っていった事に多少驚いた。

「絵が得意?」

「別に」

彼は普段とてもテンションが低くていつも面倒臭そうに会話に応じる。私の事も本当はつまんない変な奴と思っているのかもしれない。それでも別に構わなかったが、本当は彼に気に入られたかった。

「ミキ」

「あ、ああ、うん?」

「服。どんな服がいい?」

「え、ああ」

そのまま描いたら学ランになる。これはデッサンの授業だから多分そのまま描いた方が良いのだろうけど、でもわざわざ彼が私の本当に着たい服を尋ねてくれた事が非常に嬉しかった。

「セーラー服かな」

「ここの女子ブレザーだけどな」

「選べるんならセーラーがいいな、可愛いから」

「ああ、函嶺のあれみたいな?」

「ああ、あんな感じ。あそこお嬢様っぽくて素敵だよね」

「そうか?ここの女子とそう変わんねーだろ。髪形は?」

「え?もうそれ全然私じゃなくならない?」

「今の髪形が気に入ってるのか?」

今の私は坊主だった。私の見た目はまるで野球少年みたいだった。

父がそうしたかったのだ。私が徐々に肩までのばそうとしていた事に気付いたのか何なのか突然床屋に行くぞと言われて父の希望通りの坊主にされてしまった。

こっちの方が似合うぞ、と頭をシャリシャリ撫でられた。とても気分が悪かった。

「全然!全然気に入ってない。ロングにして」

「内巻き気味?前髪ぱっつん?」

「よく分かるね。そうなんかお嬢様っぽく・・・・・・いや、ポニーテールかな」

「最近の女子のポニーテール、両サイドにちょろっと毛残すよな。長いもみあげみたいに」

「長いもみあげって酷いな。あれ、えらとか隠せて小顔効果あるんだよ」

「へぇ、成程。じゃ、そういう感じにするか」

「なんかもう全然違う人になりそう」

「ならねぇよ、顔はお前なんだから」

「・・・・・・絵描くの上手い?私に似合う?」

「似合うと思えば何だって似合う」

彼は相変わらず真顔で何も面白くなさそうに言った。そこ喋ってないで手を進めなさーいと遠くで先生の声が聞こえる。私は彼の事が好きだと思った。

同時に彼は何も好きにならなそうな奴だとも思った。全く誰にも興味が無さそうだった。

彼は何度も転校しているらしいから、またいつか転校するんだろう。

もしかしたら友達をなるべく作らないように振舞っているのかもしれない。

でも、少なくとも私には優しかった。優しく思えた。

彼にとっては当然の事で、私にとっても当然の事なんだが、この「当然」を分かってくれる人は未だ私の世界には少なかった。こんな田舎の中学校では。

彼は私にとって奇跡のような人だった。だから好きになってしまったのかもしれない。

単に彼の色素の薄い髪や乾いた肌や何も感情が見えない静かな視線が好きだったのかもしれない。私の初恋だった。

「出来た!」

「え!はや!私まだ全然」

「あと10分だぜ?」

「えー、うそ、私より遅く来たのに」

「遅く来たから速く仕上げたんだろ。何処が未だ出来てねぇんだよ、見せろ」

「やだよ、下手だし、絶対見せない」

「顔ばっか描いてると遅くなるから全体の輪郭だけ取って影から描けよ」

「やっぱり美術得意なんじゃん!そんなわけわかんない事言ってるし!」

「わけわかんなくねぇだろ」笑った。

初めて笑った彼の顔が焼き付いて全く集中出来ず不格好に出来上がった。現実の彼の数倍不細工だった。それでも彼は「まぁ、特徴は分かってんな」と微妙に褒めてくれた。

彼が描いた私は、私だった。紛れもなく私で、それは私が本当に望む姿の私だった。

セーラー服はお嬢様学校の、ポニーテールは長くストレート。両サイドに毛束を残して前髪はやや中央に弧を描いて綺麗に切りそろえられていた。

それは私にとてもよく似合っていた。

私は思わず泣いた。

「何で泣くんだよ」

「この絵、すごく、欲しい」

「いいよ、あげるよ」

「え!?でもこれ課題だから出さなきゃ」

「描けなかったって言う。遅れて来たしな」

「美術の評価下がっちゃうよ」

「別に成績なんてどうだっていいし、画家になる予定ない」

彼はまた笑った。本当はもっと笑う人なのかもしれない。彼が転校してきて半年も経つが、私は未だ彼が全然分からなかった。もっと笑って欲しかった。

「何でそんなに私に優しくするんだ?」

「優しい?優しくはないだろ。普通だろ」

「その『普通』を、君以外が私にやってくれた事は今迄一度も無い」

「そうか。じゃぁ、お前不運だったんだな。ずっと」

「生まれる身体違ったかもだしね」

「まぁ、これからなりたいものになればいいじゃぁねぇか」

「簡単に言うね」

「そうだな。他人だから無責任に言うんだ。お前、誰の言う事も気にするなよ」

最後にそれだけ言って、黒板の前の先生のところへ行き一言二言で何かを説明し、乾きかけのシャツとタオルを掴んで教室から出て行った。美術の先生はまた口を開けたまま茫然としていて、私も彼の描いた絵を抱いて何も言えずに彼の背中を見送った。

次の日から彼は学校に来なくなり、その後すぐに転校した。

あれは別れの挨拶だったんだ。


私は医者になった。名前も三波ミキに変えた。

色々考えて戸籍上の性別は変えなかったけれど、今の自分の姿には結構満足していた。

医師国家試験も通ったが、はり師きゅう師の資格も取っており、今は「ミキ鍼灸院」を個人で営んでいる。

親を脅して暦年贈与で毎年限界額まで相続し続け、ほぼすっかりそれで吸い上げて、両親は上手いこと事故で亡くした。おかげで相続税をクソみたいな国に納めずに済んだし、お金は全部私の資格取得やこの鍼灸院の設立、個人の鍼灸院には不釣り合いな程の医療設備につぎ込んだ。

高収入の親を持って生まれた事だけが私の「運」だったようだ。

鍼灸院だが、医者の仕事もやっている。殆どは「普通」の病院に行けない患者だ。

やくざものも人殺しもいるが気にしない。私は「普通」から外れた人間の為に生きると決めたのだ。善悪の判断は私の仕事じゃない。ただ門をくぐった者を受け入れて治す事が私の仕事だ。

「ミキ~、まだやってる?」また彼が呑み屋を覗くようにやってきた。

「やってねぇ!何でいつも終わってから来るかな」

「こいつ足折れてんだけどさ」

「誰だよこいつ。うわ!犬だ!」

「嵐山と申します~、この子はかしこちゃんっていいます~」

見知らぬ背の高い全身白服のイケメンと雑種の黒い犬を連れてきやがった。家族か。クソ腹立つ。

「頭も打ってるっぽい。なんだっけ、あのドーナッツみたいなやつ?ある?」

「MRI。あるよ」クソ腹が立つ。いつの間に私以外の友達作ったんだ。クソ腹が立つ。

「ここ鍼灸院でしょ~?」

「医者もやってんだよ早く入れ馬の骨目立ってんだよクソが犬も中入れろ犬の足拭け水晶」

「初めて馬の骨って呼ばれた~」

「まぁ、そうそう呼ばれねぇわな」言われた通り犬の足を拭きながら上之段水晶が笑う。


水晶は学生時代から笑い方が変わっていない。

左側の頬だけ不自然に上げるのだ。その癖のせいで左ばかりほうれい線が深くなっている。


「笑ってんじゃねぇとっとと入れシャッターで挟むぞ!」

彼はやっぱり本当はよく笑うのだ。

私は正しかった。

この仕事をやってれば、いつか必ず彼の方から来る。そう推測した私は正しかった。

あの日の恋はもう彼の方角に向いていない。そこまで純情ではない。

でも、私にとって、唯一の「普通」をくれた人で、私の特別な人だ。

世界中が彼を殺人鬼と罵っても、私は彼の味方だと決めたのだ。彼以外は、ただのゴミ。

私の世界観も学生時代からずっと変わっていない。

「あ、そうそう、やってから数時間後に効く毒とかってある?」

「あるっていうか、それ用に作るけど。お金かかるよ」

「いいよ、払う払う」

私の両親はヨモギとトリカブトを「間違えて」食べて死んだ。

私は今日もポニーテールがよく似合ってて素敵。

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