噂の人(前編)


「親切なんて元手かからないじゃないですか」



午後から小雨が降っていた。

六角形の屋根の下、薄暗い公園のフェイクの木で出来たベンチに座った少女が言う。

少女が握っているスマホの画面は蜘蛛の巣のように割れていて、彼女のはいてる厚手の巻きスカートは季節違いで、年齢にも似合っていなかった。


「学校で昔噂になってたんです。何か少しでも親切にすると自分が憎んでる相手を殺してくれる人がいるって。それ聞いた時はそんな事あるわけないじゃんって思ったけど・・・・・・その日から見知らぬ人でも友達でも・・・・・・家族でも、とにかく親切に生きようって心がけてきたんです。一種の願掛けですよね。うん、だから、良かったです。やっと!やっと、貴方に会えて」


サイレントモードにしているスマホの画面に「父」と表示されたが、彼女は親指で「拒否」を選び電話を無視した。


「私の父を殺してください。まぁ、父といっても義父なんですけど。出て行った母が付き合ってた男で、私はその男の母親の介護をしています」


スマホにもう一度「父」の文字が現れたが、またすぐに「拒否」を選んだ。

それでも父からの電話に怯えているようで、スマホを握る手が固くこわばっていた。


「俺は別に殺し屋ってわけじゃぁないんだけどね~」

「え」

「うーん、でももう似たようなものかな。殺すのってさぁ一番簡単じゃない?その人が自分の道を塞いでいる時に一生懸命説得して相手の考えを変えさせるっていう方がずっと大変じゃない?分かるでしょ」

「あ、はい」

「でもさぁ、もうそんな余裕はないよって時もない?あるでしょ?けど殺したら一番簡単だけど~、後処理が大変で、しかも今現在の社会では殺人は犯罪で自分の人生の時間を権力に奪われる可能性が高い。だからー、殺すのって簡単だけど後が大変じゃん?だから皆難しい方の道をきちんと選んで頑張ってるんだと思うんだよ。命は大切とかそんな話じゃなくてね、自分にとって不利になるかどうかって話」

「・・・・・・今の私に難しい方の道を選べって言うんですか?」スマホを握った手が震えている。

「ううん、違う。殺すのってお義父さんだけで大丈夫?その介護してるお婆さんは?高校生の貴方一人に介護を任せて知らんぷりの親類は?何処まで殺したら、貴方は楽になる?」


彼女は少しぎょっとして目を泳がせて唇を噛み、うつむいてただ小さく一言「父だけでいいです」と呟いた。


「貴方が背負える罪悪感はその人間一人分だけって事でいいんだね?俺はダークヒーローでも何でもないの。ただ皆生まれた場所も状況も身体も全部違って格差も差別もあるのに、何で皆一様に難しい道を選ばないと罰せられるのかよく分からなくてさ。勝手に簡単な道を気軽にご提供する一種のお礼参りをやってるだけだよ。単なる気紛れ」

「はあ」

「でも君のお義父さん強そうだなあ。元相撲取りだっけ?ヤクザとか半グレとかって何で元相撲取りがちょくちょくいるんだろうなあ」

「セーフティネットってやつじゃないですか、よく分かんないけど。この国って一度道から外れたら一気に生きづらくなるから・・・・・・」

「セーフティネットね~、どうだろ、本来国がやる事だけど」


嵐山は向かいに座った高校生の義父の写真を自分のスマホで見ながら立ち上がった。

いつも通り全身白い服だが、左足と左側頭部が泥で汚れている。畑の横の深い側溝に落ちて頭を打ったところを少女に助けて貰ったのだ。

嵐山は立ち上がった感触で左足の甲の骨が折れていると分かった。脳震盪で吐き気もする。


「うわー、俺、足折れてるな。これ」

「え!?びょ、病院」

「いや、大丈夫。8回?以上折ってるから足の甲は。これは固定して動かなければ割とすぐ自然に治るやつ。それより脳震盪だな。2、3日吐き気しそう」

「えぇ・・・・・・元相撲取り殺すどころの話じゃないじゃないですか・・・・・・」

「いや、万全でも元相撲取りはちょっとやだ。別の人に頼むわ。あ、大丈夫、バックアップはちゃんとするから・・・・・・多分」嵐山は座り直して上之段にメッセージを打ち込む。

「え?チームなんですか?てっきり嵐山さん一人でやってる活動かと・・・・・・」

「うん、ずっと一人だったんだけどね、今は2人と1匹」

「1匹」

「黒いおじいちゃんの犬。かわいいよ。写真見る?」とスマホで自分のロック画面に写る「かしこ」という名の犬を見せた。

「あ、かわいい」少女は今日初めて笑顔を見せた。


「かわいいでしょう」嵐山も笑った。

「親切ってさぁ、不思議だよね。相手に何の感情も無くてもむしろ憎んでても、行動で示せば全部親切になるのに、それだけでその人の内面を『優しい人』だとか勘違いしてさ」

「私、ずっと父を殺したいってだけで色んな人に親切にして・・・・・・嫌な人間ですよね」少女は自嘲気味に笑った。彼女は相変わらずずっとスマホを握りしめている。握りしめ過ぎて画面が割れてしまったのかと思えるほどに、手は力がこもって節々が白くなっている。


「ううん、君は良い人!これからもずっと色んな人に親切にしたらいい。人の内面なんて自分以外の誰にも分からないんだから。でも自分を大事にするのも忘れないで。まぁ、相手が元相撲取りのDV野郎だったら難しいだろうけどさ」


折れたビニール傘をさして黄色いレインコートを黒い犬に着せた、髪の長い男性がいつの間にか彼の後ろに立っていた。


「ねぇ、足折れちゃった~」彼は自分のお母さんにでも報告するかのように無邪気に告げた。

「でさぁ、写真送ったけど、この元相撲取りのやばいおっさん、上之段一人で大体いける?」

長い髪が湿って額に張り付いている上之段という人が酷く疲れたような様子で溜息を吐いた。

黄色いレインコートがよく似合っている黒い犬は彼らに全く無関心で少女を見て尻尾を振っている。気ままな犬だ、と彼女は可愛らしく思って、痣だらけの腕をあげて手を振った。



「・・・・・・いつの時代も、殺しにくい相手は毒殺だ」上之段が呆れた顔で笑った。

「じゃぁ、いけるね」

かわいい犬の頭上では物騒な殺害計画が陽気に交わされていた。

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