500円のパパ

僕は変な人を見た。

朝、学校に行く道の途中の、公園の前の自動販売機の下に這いつくばっている白いコートの大人がいた。

確かに自動販売機の下にはたまに小銭が落ちていて近所の騒がしい悪ガキも小枝で小銭を探索していたりするが、大人でしかも白いコートを着ている人間がする事とは思えない。

コートが白くちゃ汚れちゃうし、大人の男性の腕が自動販売機の下に入るわけがない。


僕は思わず

「馬鹿なの?」

と尋ねてしまった。

ママからは小さい頃から「あんたはすぐ余計な事を言う」と怒られ続けている僕だが、思った事をすぐ口に出してしまう癖はどうにも直る気配がない。


小学4年生に「馬鹿なの?」と問いかけられた白いコートの男性はゆらりと立ち上がって、とても悲しそうに「500円玉が下に入っちゃったんだ」と深刻そうに申告した。

大人にとっても500円は大金なのだろうか?

僕は何だかその男性が非常に不憫に思えたので、サツキの下に落ちていた枝を拾って、彼の代わりにするりと500円玉を助けてやった。

彼はとても喜んだ。


「ありがとう!君は凄く器用なんだね」

「ううん、お兄さんより腕が細いだけだよ」

「何かお礼をしなくちゃいけないね」

「ううん、知らない変な人から何か貰っちゃいけないって学校で言われてるんだ」

「え?俺達はもう知り合っているし、俺は変な人じゃないよ?」

「5月なのにそんな長い白いコート着てる人は変だよ」


変な白いコート男は「そうなのかぁ」と500円玉を器用に片手でくるくる回しながら何やら考えこんでいた。そんな事してるから落としたんじゃないか?本当にこの人馬鹿だ。


「君はこれから学校に行くの?」

「ううん、行かない。行ったふりしてそこの公園のベンチで自習する」

「何で?」

「気に入ってたランドセルがあったんだけど、パパにメルカリで売られちゃったんだ」

「メルカリ?」

「メルカリ知らないの?やっぱり馬鹿なんだ」

「馬鹿なのかな?何かジュース買ってあげようか?」

「いらない。お兄さん、変だから」

「そっか」


僕は変なお兄さんを無視して公園の隅にある、屋根の付いた少し汚い木製の五角形のベンチとテーブルのスペースに向かう。

ランドセルの代わりに使っているママのローリーズファームのショッパーをテーブルに置いて勉強道具を出していたら、変なお兄さんがいつの間にか缶のコーンスープを持って隣に座っていた。


「通報するよ?」

「何で?」

「変だし、邪魔だし」

「邪魔しないよ、隣でおとなしくコーンスープ飲むだけだよ。あとお礼がしたいな」

「お礼がしたいならそのコーンスープ置いてどっか行って。朝御飯食べてないからお腹空いてるんだ」

「知らない変な人から何か貰っちゃいけないんじゃなかったの?」

「今はコーンスープが飲みたい」

「よし、君にあげよう」


僕は変なお兄さんから貰った粒入りのコーンスープを一気に飲んだ。ちょっと熱かったけど、最近のコーンスープの缶は飲み口の下がへこんでて、コーンが残らず全て口に流れ込んでくるから好きだ。


「ランドセルが無いと、学校に行けないの?」

「行けるけど、なんかやだ。何でランドセル無いの?って皆に聞かれる。しかも代わりの鞄はリュックじゃなくて、ピンクの変な袋だし」

「お兄さんもそこのブランドの袋よく使ってる。丈夫で良いよね~」

「僕はネイビーのかっこいいランドセルが気に入ってた」

「何でパパに売られちゃったの?」

「お金無いんだって。だったら最初からあんなかっこいいランドセル、僕に買わなきゃ良かったのに。最初から無かったら、僕だって惜しいと思わないのに・・・・・・」

「お兄さんも生まれなきゃ良かったってよく思うよ」

「・・・・・・なんだ、僕だけじゃなかったのか」


僕は算数のドリルを開いた。お兄さんが覗き込んできてうざかった。何でこの人ずっと僕の隣に座ってるんだろう?


「早くどっか行ったら?」

「まだお礼をしていないから」

「コーンスープ貰ったよ」

「お腹を空かしている君が御飯を食べるのは当然の権利だ。だからそれはお礼にならない」

「どういう事?」

「君はパパの事が好きかい?」

「え?」

「君の大事なランドセル売っちゃうパパでも好きかい?」

「分かんない・・・・・・パパは優しい時とそうじゃない時があって、そうじゃない時はママを叩いたりするから嫌い。でも優しい時もあるんだ、僕にネイビーのかっこいいランドセル買ってくれた時みたいに・・・・・・」

「親が子どもに優しくするのは義務だ。パパがママを叩くのは暴力だ。だから、君のパパは優しくないんだと俺は思うよ」

「そうなのかな・・・・・・」


馬鹿で変なお兄さんだと思ってた奴はいきなりハキハキと元気よく、僕の悩みに返答し始めた。なんだろう、この人、実は学校のカウンセラー?だったりするのかな?僕が学校に行ってないから、僕を探しに来たのかな?


「お兄さん、学校の人?」

「ううん、僕は君のママの主治医だよ」

「ママ、病気なの?」

「ん?メンタルイルネスだよ。君のパパは会社を辞めさせられちゃって中々働かないけど、ママが働こうとすると怒るんだって。君のママが僕のクリニックに相談しに来たんだ」


「メンタルイルネス」という単語が分からなかったけど、この馬鹿で変なお兄さんに意味を教わるのは僕の高いプライドが許さなかったので、特に訊かなかった。ママが働きたがっているのは僕も知ってた。パパと結婚した時にママは仕事を続けたかったけど、パパに言われて辞めたんだって、僕と一緒に洗濯物を畳んでる時に聞いた気がする。このお兄さんはママに頼まれて僕の話を聞きに来たのかな?


「お兄さん、ママに頼まれて来たの?」

「ううん、そこの自動販売機で何か飲みたかっただけだよ。で、お金落としただけ。そこに腕が細く聡明な君が通りかかるとは、なんたる奇跡!」


やっぱりただの馬鹿で変なお兄さんなのかもしれない。

場所を変えよう。考え直して学校へ行って、この変なお兄さんの事を大人に相談した方が良いかもしれない。そうしよう。


「僕、やっぱり学校に行くから。絶対ついてこないでね」

「ついてかないけど、まだお礼が」

「怖いお兄さんだな。お礼に執着してる」

「執着なんて難しい言葉よく知ってるね」

「馬鹿にしないで。もうついてこないで」


殆ど進まなかった算数ドリルをローリーズファームの袋に入れて、僕は学校に行く事にした。ついてこないで、と言った僕の言葉を守ろうとしているのか、後ろからお兄さんが大きな声で呼びかけてきた。


「明日からパパがいなくなっちゃったらどうする!?」

「何でそんな事聞くの?」

「パパがいないと困る?」

「・・・・・・以前はパパが家の収入源だったけど、パパが今いなくなったら、きっとママが働くだろうから・・・・・・ママが働くなら、僕は困らないと思う」

「そう!やっぱり君は頭が良いね」

「良くないよ。算数も全然出来ない」

「俺も算数出来ない!九九も言えない!」

「やばいね」

「うん、やばいんだ!おかげで生活が大変だよ~!」


確かに九九が出来ない大人はちょっと就職とかが大変なのかもしれない。でもそういう障害の人もいるって前にママが言ってたから、この人の事を馬鹿馬鹿言ってちょっと悪かったなって、僕は上から目線で大変不憫に思った。


「じゃぁ、明日、期待してて!」

「何を?」

「君はきっとまたランドセル買って貰えるし、御飯もしっかり食べられる」

「・・・・・・何で?」

「それが当然の権利だから。まっ、ランドセルって高いし、俺もしょった事無いんだけどね」

「・・・・・・」

「俺、嵐山って言うんだ。俺よく嘘吐くんだけどさぁ、さっきのママの主治医っていうのも嘘なんだ。ごめんね!じゃぁね!」


最後にいきなり自己紹介と、重大な嘘をばらして、白いコートを翻して逃げていった嵐山という謎のお兄さんの背中を僕を茫然と見送るしかなかった。どうやら本当に変な人だったみたいだ。学校で先生に言おう。

でも、その時はお兄さんが一体何をするのか、僕には分からなかった。




次の日の朝から、パパはいなかった。

ママは警察の人?と沢山話してて、大変そうだった。

何日経ってもパパは帰って来なくて、ママは近所のスーパーでパートをするようになった。パートをしながら、看護師の仕事を探しているらしい。

ママが前は病院で働いていたなんて僕は全然知らなかった。


「ママ、嵐山っていう人知ってる?」

「え?何?」

「ううん、何でも」

「ごめんね、優。ランドセル、中古のやつで」

「ううん、いいよ。前と同じネイビーだし。かっこいいから」

「そう、ありがとう」

「ママ」

「何?」

「僕が御飯食べるのも、ランドセル買って貰うのも、当然の権利なんだってさ」

「え?」

「だから、ママには僕の権利を守って欲しい。僕は、またママを殴る人が来たら僕がそいつを殴り返せるくらい強くなるって約束する。ママの仕事を応援する。沢山お手伝いするよ」

「・・・・・・」

「ママ、約束。もし、僕の権利が守れなくなったら、僕を施設に預けてね」


僕は本当は契約だと言いたかった。僕を作ったのなら、僕をちゃんと育てて欲しい。こんな事なら生まれてこなきゃ良かったってもう思いたくない。僕を守れないなら、僕を守れる機関に預けて欲しい。多分、その方が幸せな事だってあるだろう。

ママは震えながら僕をしっかり抱きしめた。

大丈夫、守る、守るよ、と耳元でぐぐもった声が聞こえた。

その時、僕はやっと、僕という人間がよく分かった。


パパもママも別に好きじゃないし、ずっとどうでもよかったんだな、僕は。




それから12年後くらい、僕が大学生の時に、父の遺体が発見された。

山の中に埋められていたのが偶然土砂崩れで出てきたらしい。とっくに白骨化していて、しかも頭蓋骨しか見つからなかった。歯の形で父だと判明するなんて、案外父は歯医者に行くタイプだったんだなぁ。

最近は科学捜査の技術が発達してるのか、どうやって殺されたのかも遡って調べられるらしい。眼窩の骨の傷から見て、父は生きたまま眼球を何かの金属片で繰り出され、そのまま脳組織までずるずると引っ張り出されたらしい。

クソ親父にふさわしい散々な死に方だった。


多分、その金属片というのは、僕が拾った彼の500円玉じゃないだろうか、と何故か僕は殆ど確信に近い形で想像出来た。

彼は多分、僕があの500円を拾ってあげた感謝のしるしに父を殺したのだ。

彼は変な人だったが、僕に少し似ていたのかもしれない。

僕はどうやら人より「情」が欠けていて、母が先日過労の末にクモ膜下出血で倒れてあっけなく死んだ時も「僕が介護をする羽目にならなくて良かった」「就職が決まった後で良かった」「直葬が一番お金がかからないからそうしよう」等と考え、全く母への悲しみの念は湧かず、経済的に合理的に母を見送った。


大学を卒業したら僕は公務員になる。もう殆ど単位は取っているから、最低限の授業だけ出て、後はずっとバイト浸け。奨学金という名の借金を早く返済してしまいたい。

バイトで疲れて帰って来ても、財布の残り少ない小銭の中の500円玉を見ると、今でもちょっとワクワクしてくる。


僕は500円でパパを殺したんだって。

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