第三話:ライバルは弟?

「さてっと。ランニングの途中だから、そろそろ行くわね」

「はーい! 先輩、ぜーったい勝ってくださいね!」

「うん。海笑瑠みえるは折角の休みなんだし、遠見君とイチャイチャしときなさい」

「だ、だからー。そういう言い方はなし寄りのなしですよ!」

「はいはい。じゃ、遠見君も。またね」

「はい。お気をつけて」


 俺の言葉に軽く手を振った黒縁先輩は、そのまま俺達に背を向けると、軽快に走り去って行った。


 黒縁先輩か……。

 普段はきっとコンタクトなんだろうけど、眼鏡も知的さを際立たせてて。凄い似合ってたな。


「……遠見君ってさー。やっぱり、敦美先輩みたいな眼鏡女子が好み?」


 遠ざかる黒縁先輩の背中をぼんやり眺めていると、近間さんがそんな問いかけをしてくる。


「うーん……まあ、眼鏡姿も似合ってるなとは思うし、ありかなしかなら、断然ありかなー」

「そっかー。そしたら、羽流はねるのライバルかもねー」

「え? どういう事?」


 ライバルって言葉がピンとこなくて、思わず近間さんに顔を向けると、彼女はこっちに苦笑して見せると、再び黒縁先輩を見る。


「だって、羽流はねるの奴、間違いなく先輩の事好きだもん」

「あ、そうなんだ?」

「そうそう。あいつに先輩の事聞くと、すーぐ顔赤くするしさー」

「それって、近間さんがからかうような聞き方をするからじゃないの?」

「違う違う! だって敦美先輩が教えにくる日なんて、髪型とか服装とかめっちゃ気にしてるんだよ! 普段そんなの気にも掛けないくせに。あれは絶対先輩ラブだよ。間違いない!」


 そこまで顕著に態度に出てるのか。だとしたら信憑性もあるのかな。

 近間さんの説明を聞いて、俺も納得はできた。

 まあ、実作会ったばかりの俺が言うのもなんだけど、性格も良さそうだし、側にいたら恋心も抱くのも仕方ないのかも。

 でも、だったら尚のこと。


「それだったら、俺がライバルにはならなそうだね」


 俺はそうはっきりと言い切った。


「え? 何で?」

「いや、だって。黒縁先輩は眼鏡女子として素敵だと思うけど、俺はそれだけだし」

「そうなの? ときめいたりしないわけ?」

「もっと親しくなったらわからないけど。今は別に憧れだけいだくだけで、見守って終わるだけじゃないかな」

「でも、でもだよ? もし万が一、敦美先輩が遠見君を好きになったら──」

「ないない。大体リアルじゃ今会ったばかりだし、接点だってほとんどないじゃない」


 うーん……。

 なんか妙に食いついてくるけど。あの人だって、近間さん同様高嶺の花みたいな存在だし、目の保養にはできても、それ以上の事なんておきないって。


 でも、このままこの話題が続くのも……そうだ。


「それより近間さんって、男子と二人っきりで遊んだりしないの?」


 ふと、さっき黒縁先輩が口にした言葉を思い出し、切り出してみる。

 あの台詞を聞いた時、ちょっと意外な気持ちになってさ。


 俺の返し言葉に、「げっ?」っといわんばかりの顔をした近間さん。

 だけど、すぐ咳払いの後澄まし顔になり、ちっちっちっと指を振る。


「そ、そんなわけないじゃん! 流石に彼氏彼女じゃないから、デートするってわけじゃないしー。カラオケなんかで二人っきりにはならないようにしてるけどさー」


 そう言いながら、どこか様子を窺うかのようにこっちを見てくるけど、やっぱり何処か戸惑いがあるように感じる。

 っていうか、近間さんなら男子と二人で遊んでいても不思議じゃないと思うし、黒縁先輩が冗談を言ったのかなと思ってたけど。この反応は……。


 俺の疑いの眼差しを感じてか。

 両手を腰に当てた彼女が前のめりになり、圧を掛けるように俺をじっと見る。


「ま、まったくー。いーい? 遠見君。先輩の言葉、絶対間に受けちゃダメだかんね!」

「あ、えっと。例えば、彼氏とか言ってた奴とかって事?」

「そうそう! あたし達はなんだからさー。変な気は起こしちゃだめだよ?」

「あ、うん。そこはわかってるから。心配しなくっても大丈夫だよ」


 強く釘を刺してきた近間さんを安心させようと、素直にそう答えると、


「……そこは少しくらい、残念がる所っしょ」


 と、はっきりと不満を示す、ぼそりとした声が聞こえる。


「え?」


 いや、だって釘を差されたんだし、言ったことも本音なんだけど……。

 俺の戸惑いにため息をいた彼女は、やれやれと肩を竦める。


「そういう正直な所は遠見君らしいんだけどさー。それって、あたしを女子として見てないよーって言ってるのと変わらないんだけど」

「あ……そっか。ごめん」


 両腕を組みこっちを見てくる近間さんに、俺は思わず平謝りした。


 確かに友達だと思ってるし、あまり女子だって意識し過ぎてもいけないから割り切ってたけど。近間さんだって女の子だし、可愛いって思って欲しいのか。

 とはいえ、それが変な匂わせみたいになったらいけないと思ったんだけど……女心ってやっぱり難しいな……。


 近間さんは俺少しの間じーっと見た後。


「ま、今回は許してあげよっかなー。美味しいご飯も待ってるしー」


 ころっと表情を一転させると、何時もの悪戯っぽい笑顔を見せる。

 とりあえず本気で怒ってはいなさそうで良かったけど、口にされたんだから気をつけないとな。


「このまま池沿いに行くと裏門があって、そこから駅前のバスに乗れるから。そっちから駅前に行こっか?」

「うん。駅前に着いたら昼食にする?」

「もっちろん! 遠見君わかってるじゃーん」

「それほどでも。じゃ、行こう」

「おっけー!」


 俺は、再び笑顔の戻った近間さんに内心ほっとしつつ、言われた方に歩き出した。


 そろそろ日もずいぶん高くなってきたけど、やっぱり風は少し肌寒い。

 池を見ると、ボートで繰り出す家族連れやカップルが結構いる。

 この時期だと、流石に池に落ちたら寒いだろうな……。


「ねえねえ。遠見君って、ああいうボートとか乗りたい派?」

「うーん……半々かな」

「どうして?

「小さいボートだと、濡れたらどうしようとか、落ちたらどうしようとか考えちゃうんだよね」

「あー、それ分かるー。前に羽流はねると一緒にスワンボートに乗ったんだけど、漕ぐペダルのすぐ下に水があるってだけで、ちょっと緊張しちゃったしさー」

「確かにあれはプレッシャーあるよね。ちなみに近間さんはどっち派?」

「あたしはねー。好きな人が乗りたいって言ったら乗るかも派」

「乗るかも、って事は、普段は乗りたくない派?」

「うん。絶対やだってわけじゃないんだけど、あの小舟のタイプは正直乗る段階から揺れるし苦手なんだよねー」

「あー。確かに。係員の人もいてくれるけど、やっぱりドキドキするよね」


 小さい頃、父さんに乗せてもらった時に、その揺れが怖くって泣いちゃったんだっけ。ふとそんな昔の事を思い出して懐かしくなる。


「後はこっちの道まっすぐだよ」

「あ、ちょっとだけ待ってくれる?」

「ん? いいけど。どうしたの?」


 丁度裏門に続く道の突き当たりに位置する池のほとりで、俺は手すりのすぐ側に立つ。

 向こうはすぐ池の水面なんだけど、丁度太陽が反射して水面がキラキラして綺麗だったんだよね。


 とりあえずスマホをジャケットのポケットから取り出し、そんな池を一枚パシャリと撮る。


 ……うん。案外綺麗に撮れたぞ。


「お、いいじゃーん!」


 脇から俺のスマホの画面に映った写真を覗く近間さんが、感心した声をあげる。

 って、また顔が近いって!


 思わず緊張した俺に対し、


「ね? スマホ借りていい?」


 その距離のまま彼女が俺に笑顔を向けてくる。


「え? ど、どうしたの?」

「うん。遠見君の事撮ってあげる。初めて来た記念にさ」


 そう言うと、こっちの返事も待たずに俺の手からスマホを奪い取った彼女が、俺から距離を取るべく、ほとりと反対方向に走って行く。


 ……相変わらずだなぁ。

 普段の消しゴムの時を思い出し、思わず苦笑しながらその背中を見ていたんだけど。


 次の瞬間。


「きゃっ!」


 という悲鳴のような声と共に、向かい風の突風が吹き、彼女の隠されていた金髪が強くなびくと、同時に吹き飛ばされた帽子が、俺のいる方に勢いよく飛んでくる。


 このままじゃ池に!

 そう思うより先に、身体が動く。


 背を向けすぐ、手摺りの最上段に素早く足を掛けた俺は、頭上を越えようとする帽子目掛けて、迷わず飛んだ。


 届け!

 必死に伸ばした右手が、空中で帽子のつばを掴み、ちょっとだけほっとしたんだけど。


「遠見君!?」


 近間さんの叫びが、俺のその先の未来を示唆した気がした。

 ちらっと横目に見ると、俺の下には池。


「しまった!」


 咄嗟に帽子を陸に投げたんだけど、視線はすぐに姿勢に合わせて空にある太陽に向き──。


 次の瞬間。

 俺は池に勢いよく落ちていた。

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