第五話:眼鏡をする理由

 俺も近間さんに合わせて歩き出したんだけど、彼女はやっぱりこっちを見ない。

 そして何処か寂しげな笑顔のまま、近間さんはゆっくりと語り始めた。


「あたしさー。小学校高学年くらいから、友達の影響でずっとこんな感じなんだけどさー。お陰で中学に入ってからも、友達に事欠かなかったんだ。で、男女関係なくみんなで遊び回ってるうちに、その中の一人を好きになっちゃったんだよねー」


 両手を腰の後ろに回し、やや空を見上げたまま、彼女は自嘲する。


「少し軽い感じはあったけど、あいつは優しくって、気遣いもできて。一緒にいて楽しいって思える男子でさー。でも、他の子からも人気あったし。ま、あたしなんかに振り向きはしないっしょ、なんて思ってたんだけど。中一の秋頃だったかなー。あたし、そいつに告白されたの」


 そう言って、近間さんが少しの間こっちに顔を向け、ニコッと笑う。

 でも、俺にはそれが笑顔には見えなかった。それくらい、切なげだったから。


「正直、その瞬間めっちゃ浮かれたし、迷わずOKしたんだけど。その直後、あいつが突然、『眼鏡外してみて』なんて言ってきてさー。何でか分かんないまま、とりあえず眼鏡外したんだけどさ。そしたら、あいつがこう言ったんだー。『やっぱり! 海笑瑠みえるは眼鏡外した方が、絶対可愛いって!』って」


 そこまで話すと、彼女は俯き、大きなため息をひとつ漏らした。


「……あたしさ。当時それが凄くショックだったんだよねー。それまでだって、ずっと眼鏡をしたまま一緒に遊んだりしてたのに。あいつは眼鏡をしてるあたしじゃなくって、眼鏡をしてない、外見だけのあたしに恋してたのかー、なんて思っちゃってさー」


 またもため息。

 きっと、近間さんにとっては辛い想い出で、それを吹っ切ろうって頑張ってるのかもしれない。


「……今考えたら、あいつはそこまで思ってなかったかもしれない。けど、その時のあたしはもう、そうとしか思えなくなっちゃってさー。そのせいで一気に恋心も冷めちゃって、折角初恋が叶ったのに、たった数分で『やっぱなし』って断っちゃった。きっとこれ、両想いだった二人が、付き合ってから別れるまでの世界記録っしょ」


 自嘲するように笑った近間さんが、また歩みを止め空を見上げる。

 相変わらず彼女の心なんて関係ないと言わんばかりの青空を見ながら、少し目を細めた近間さんは、ふっと笑う。


「結局、そこからあたしは意固地になってさ。『あたしは絶対、眼鏡をしたままの自分を好きになってくれる人と付き合うんだー』って決めたの。その反動かなー。眼鏡男子にハマったのって。絶対あたしみたいな気持ちにさせない。眼鏡をした彼の良さを理解して、それを愛してあげるんだーって熱が入っちゃってさ。それで今に至るってわけ。……今考えたら、面倒臭い女だよねー」


 こっちに向き直る事はせず、また歩き出いた近間さんは、頭の後ろに両手を回しながら、ちらっとこっちの様子を伺うと、困った笑みを浮かべる。


「遠見くーん。大した話じゃないんだからさー。そんな深刻な顔するなしー」


 そう言われた俺は、いつの間にか感傷的になっていた事に気づく。

 でも、それは仕方なかった。

 友達を作らなくなった俺と、どこか似てるって思っちゃったから。


 自分らしくありたかったけど、それができずに人と距離を置くようになった自分。

 自分をちゃんと見てもらいたかったけど、そうしてもらえず彼と別れた近間さん。


 俺は自分を貫けなかったから逃げ。

 彼女は自分の想いを貫いたから別れた。


 そんな違いはあるけど、そこで感じた切なさや不満はきっと、俺が心の内に持っている物と同じなんじゃないかって気がしたから。


「ね。ね。折角質問に答えてあげたんだからさー。今度は遠見君が眼鏡女子好きになった理由、教えてよ。ほらほらー」


 さっきまで話してた事を無かった事にするかのように、彼女はもう普段通りの笑顔になり、俺にそんな催促をしてくる。


 ……今の俺が何を言ったって、彼女の過去は変わらない。

 そしてきっと、同じ気持ちを共有できると思ってくれただからこそ、この話をしてくれたんだと思う。

 だったら、俺にできる事は──。


「そんな。こっちの話なんて、凄い話じゃないよ」


 俺も思考を切り替えると、できる限りの笑顔を見せた。

 ここまでの話なんてなかった。そう思ってもらう為に。


「そんなの関係ないっしょ。グラ友だからこそ、眼鏡との馴れ初めを知りたいんだからさー。だ・か・ら。早く話して楽になろ?」

「いやいや。言い方は考えようよ。犯人への尋問じゃないんだから」

「細かい事は気にしない! ね? ね?」

「わかった。わかったから。ただ、せめて少し心の準備くらいさせてって」

「じゃ、大きく深呼吸してー。はいどうぞ!」

「だから慌てさせないでって!」


 彼女の悪ノリに付き合いながら、俺は思い出もへったくれもない、自分の眼鏡女子好きについて語り始めた。

 それを聞きながら、近間さんも何時ものように気軽に話を聞き、時に笑ってくれる。


 俺にとって、高校生になってやっとできた、大事な友達。

 彼女の役に立ちたい。

 そんな気持ちを勝手に持ちながら、俺は話し下手なりに、必死に話をし続けた。

 少しでも、彼女の心が楽になるようにと願いながら。

 

      ◆   ◇   ◆


「へー。やっぱりゲーム好きなだけあって、二次元から入ったのかー」

「みんながみんなそうじゃないと思うけどね。俺はたまたまそうだっただけ」

「ふーん。で、つまり遠見君の好みは、眼鏡で大人しい文系少女タイプって事だよね?」

「理想はね。とはいっても、今まで恋なんてした事もないし、そういう女子がいても目の保養にするくらいだけど」

「え? まだ初恋とかした事ないの?」

「そりゃ、これまで友達すらいなかった奴だよ? 自分なんかが誰かと付き合えるなんて思ってないから、恋なんて考えられなかっただけだよ」


 あの後、大いに盛り上がる近間さんとした話は、結局俺の話ばっかりだった。


 と言っても、こっちだってそんなに語る事なんてなくって、俺が小学生の時にやったギャルゲーの眼鏡女子にときめいて、そこから眼鏡好きになったって話をしただけ。


 ちなみに初恋すらしてないってのも本当だ。

 可愛いなと思う子がいたって、俺には高嶺の花で、話すきっかけすらなかったし。

 しかも外見が好みでも、遠目に眺めている内に、その人の本当の姿も見え隠れして、理想とのギャップも感じてくるわけで。

 結局さっき言った通り、目の保養にしてるだけってのが現状だ。


 そんな人生が虚しくないかと言われたら、そういう気持ちがないとはいえない。だけど、自分を一番理解しているからこそ、人生そんなもんって割り切れもしてる。


 まあだからこそ、近間さんの妙に近い距離感が、今でも俺を緊張させるんだけど。


 ちなみに、あれから近間さんが憂いを見せたりはしてない。

 そっちの方ばかり気にしていた俺は、そんな状況に内心ほっといていた。


「そうそう。次の大通りを右に曲がると、もうすぐ到着だよ」


 っと。なんか話すのに必死で忘れてたけど、やっと目的の公園に到着か。

 自分で行きたいって言ってたのに、すっかり頭から飛んでたな。


 どれどれ……。

 十字路を曲がった先に見えた、立派な公園の入り口。

 その大きさと、そこから横に続く長い塀を見るだけで、普通の公園と比較しちゃいけない広さだってわかる。


「これ、結構広そうだね」

「そりゃねー。この辺の総合公園の役割も持ってるから、大きな池とか散歩コースなんかもあるし、サイクリングロードとか、それこそ野球場や陸上競技場なんかも併設されてるんだよねー」

「へー。そんなのまであるんだ」


 以前住んでいた所でも、そこまで大きな公園なんて見た事はない。

 素直に驚いた俺を見て、近間さんがにんまりと笑う。


「ちなみにここ、学生のデートコースとしても定番なんだよ」

「へー。確かにそれだけ充実してたら、歩き回っても飽きないかもね」


 俺は素直に感想を口にしたんだけど、それは彼女が望んだ回答じゃなかったのか。


「ちぇーっ。面白くないのー」


 なんて言いつつ、不満げに口を尖らせた。


 ……あー。きっと近間さん、そうやってからかって、こっちが照れるのでも見たかったのか。


 まあでも、流石に俺だってわかってる。

 デートなんて付き合ってる男女がするもの。

 近間さんと一緒にいるって事には緊張しても、そんな関係じゃない俺が緊張する要素はないって。


 何処か落ち着いた気持ちで彼女に笑みを返した俺は──次の瞬間、ぎゅっと手を握られた。

 って、え?


「ね。あたし、喉乾いちゃった。公園の中にオススメのドリンクスタンドあるから、そこで飲み物買お? ね? ほら! 行こう?」


 手のひらから伝わる温もりを感じる余裕もなく、強引に俺を引っ張る近間さん。


「ちょ!? ちょっと! 近間さん!?」

「ほらほらー! ちゃちゃっと走って! 男の子っしょー?」


 俺の事なんてお構いなし。

 手を繋いだまま、こっちにいつものような笑顔を向けてきた彼女に引かれ、俺も結局走り出す羽目になったんだ。

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