第九話:約束

 あれから数分。

 人混みの中、自転車を押して歩いて来た近間さんと共に、俺達は商店街を歩き始めた。


 まあ、正直話が続くのか不安はあったんだけど、そこは流石近間さん。本当に上手く話を繋いでくれた。

 と言っても……。


「そういえば、遠見君ってどこ中? 学区一緒だと思うんだけど」

「あ、学区は全然別だよ。先月ここに引っ越してきたばかりだから」

「え? 何で?」

「実は。父さんが海外に転勤になっちゃって。俺だけ一人暮らしする事になったんだ」

「家族に付いていかなかったの?」

「うん。妹は付いて行ったけど、何となく自分はあっちの空気に合わなそうで」

「そっかー。でも、ここから高校に通うの相当大変じゃん。何で香我美町を選んだの?」

「近くに親戚の家があって。何かあったら頼れるし、一人暮らしでも生活しやすそうな場所って両親が考えたらしくって、ここを選んでくれたんだ」

「そっかー」


 ……とまあこんな感じで、ほとんど俺の事を聞かれただけなんだけどさ。


 ちなみに、特段隠す事もないって思ったのと、変に答えないで話が切れるのが怖くて、質問には素直に答えてはいる。だけど、ドン引される所がないか、ちょっとひやひや。

 今の所は大丈夫そう、かな?


「家で一人って寂しくない?」

「そこまでかな。別に家族との仲が悪かったわけじゃないけど、家じゃ一人の時間も多かったし」

「ふーん……」


 その言葉に少し考え込んだ彼女は、周囲に人がまばらになったのを確認した後、既にシャッターの下りている店の前に自転車を止め、スタンドを立てた。


「ん? どうかしたの?」


 思わず歩みを止め近間さんの方を向くと、同じくこっちに向き直った彼女が、くいっと人差し指で眼鏡を直すとこんな事を言ってきた。


「ね。折角だしー。MINEマインの交換しない?」

「え?」


 MINE。

 スマホでメッセージをやり取りするのに人気のトークアプリ……ってそれはいい。


「俺と?」


 そう。俺とIDを交換したいってのに、単純に驚いちゃったんだ。

 でも、彼女は迷いなく「うん」と頷いてくる。


「どうして?」

「もし寂しくなったらさー、あたしに連絡できるっしょ? それにー、グラ友としてまた色々話ができそうだし。……って、あ」


 最もな理由を話していた近間さんは、急に驚いて口に手を当て目を丸くすると。


「ごっめーん!」


 またやっちゃったと言わんばかりの顔で、両手を合わせ頭を下げてきた……って、何で?

 謝られる話なんてあったっけ?

 突然の行動に戸惑ってたんだけど、それはすぐ彼女の口からあっさり語られた。


「さっきのお願いって、遠見君の話を聞くって奴だったのに、結局こっちの話を聞いてもらって終わっちゃったじゃん!」


 ……あ。言われてみれば。

 サーラの一件で素直に共感されちゃって、すっかり忘れてたけど。結局俺はほとんど愚痴れてなかったっけ。


 言われて気付いた事実。

 でも今の俺にとって、そんな事はどうでも良くなっていた。


 ずっとペースを握られっぱなしだけど、こうやって近間さんと会話している内に、愚痴りたい思いなんてすっかり忘れててさ。

 振り回されているって気持ちも強かったけど、それはそれで気分転換になったのも確かだし。


「いいよ。近間さんと話しててすっきりしたし」


 だから俺はこう言って、笑って済ませようとしたんだけど。彼女は真剣な顔で首を横に振った。


「駄目駄目! あんなんじゃ、お願い聞けてないのと一緒じゃん!」


 はっきりとそう言い切る近間さん。

 結構律儀なんだな。だったら……。


「じゃあ、代わりにひとつだけ、約束してもらえる?」


 俺がそう持ちかけると、近間さんが少し驚いた顔をした。


「え? 約束?」

「うん。この先誰にも『何でも言うことを聞く』なんて事、言わないで欲しいんだ」

「え? なんで?」


 こんな事を言われるなんて思ってなかったんだろう。彼女が唖然としたけど、俺はそのまま言葉を続けた。


「近間さん、さっきそれを口にした時、後悔してたよね?」

「あ、うん……」


 正解と言わんばかりに、近間さんは気まずそうな顔で目を伏せる。


「それってきっと、変な事お願いされたらどうしよう。そう思ったからじゃないかな?」

「う、うん。そうだけど……」

「だからだよ」


 俺がそう返すと、彼女はまたも小さく「えっ」って声を漏らし、こっちを見た。


「もしあの約束を利用されて、近間さんが本当に酷い事をされてたら、きっと近間さんも後悔したと思う。でも、それ以上にお母さんも凄く後悔したはずだよ。やっぱりバイトなんてさせなきゃ良かった。何で強く止めなかったんだ。って」

「あ……確かに、そうだよね……」


 また俯き、ぐっと唇を噛む近間さん。

 表情を見る限り、事の重大さは分かってくれたかな。


「そんな想いをお母さんにさせない為にも。近間さんが自分自身を大事にする為にも。もうあんなお願いは誰にもしない事。それだけ約束してほしいんだ。駄目かな?」


 俺はできる限りきつい言い方にならないように気をつけながら、彼女の様子を伺う。


「……ううん。わかった。約束する。ごめんね」


 深々と頭を下げる近間さん。

 まあ、ちょっと勢いで物事を運ぶ印象はあるけど、思いやりもある彼女だし、きっとこれで大丈夫かな。


「じゃあこれで貸し借りなし。俺もちゃんと約束を守るから、安心して」

「うん。ありがと。……でも遠見君って、ちょっと優し過ぎじゃない?」


 緊張から解き放たれたのか。

 今までと違う柔らかな笑みでお礼を言った彼女のしおらしさにまたドキリとさせられて、俺はそれをごまかすように頬を掻く。


「べ、別に。こんなの普通だよ。それより早く家に帰らないと、お母さんが心配するんじゃない?」

「そうだね。じゃあ、ちゃちゃっとMINE交換しよ?」


 さっきまでの雰囲気を吹き飛ばし、あっさり普段通りの笑みを見せる近間さんの早変わりっぷり。

 もしかして、さっきのは演技なんじゃ……なんて疑いたくもなったけど、そう思うのもなんか悪いよな。


「うん。わかった」


 彼女が鞄からスマホを出したのを見て、俺も上着からスマホを取り出しMINEを立ち上げると、慣れない手付きIDの交換を進めた。


 ピロンッという音とともに、ID交換完了を告げる近間さんのスマホ。


「お、きたきた。じゃあテストっと」


 彼女がささっとスマホを操作すると、可愛い猫のスタンプが俺の画面に表示された。


「どう?」

「うん。届いたよ」

「おっけーい。じゃ、何かあったらこれで連絡するからさ。既読スルーは止めてよね!」

「あ、うん。ただ、普段全然MINE使ってないから、すぐに返信できなかったらごめん」

「え? 全然?」

「うん。まあ、家族ともたまにしかやり取りないし、登録されてるのもそれだけだから」


 ちょっと情けない気持ちになるのを抑え、硬い笑みのまま頬を掻く俺。

 実際友達がいなかったからこそ、今までMINEを交換する機会なんてなかったわけで。

 でも、友達リストにいるのが家族だけって、よくよく考えてみると凄くシュールだよな……。


「つまり、MINEに登録された友達って、あたしが初めてだったりする?」


 俺の気持ちとは裏腹に、にんまりした近間さん。


「う、うん。初めてだけど」

「そっかそっか。じゃあ、何かあったら気軽に連絡してよ。あたしもそうするからさー」

「え? でも迷惑にならない?」

「ないない。美香なんて夜中でも送ってくるし。あ、勿論あたしもすぐ反応できない時はあるから、その時はごめんねー」

「あ、うん。わかった」


 互いに笑顔を交わすと、彼女は自転車のスタンドを下ろす。


「じゃ、悪いけど先に帰るねー」

「うん。夜道は危ないから、気をつけてね」

「大丈夫大丈夫。いっつもこの時間に自転車で帰ってるし。遠見君こそ帰り気をつけるんだよ?」

「うん。わかった」

「それじゃ、まったねー!」


 自転車に跨った彼女は、俺に笑顔で手を振ると、そのまま勢いよく走り去って行った。

 商店街を抜け、走り去る後ろ姿が住宅街の闇に消えたのを確認すると、俺はほっと胸を撫でおろす。

 ……なんか、色々ありすぎて緊張したけど。これで彼女もきっと、安心してバイトできるよな。


 そんな事を考えながら、俺もまたゆっくりと家路を歩き出した。 


      ◆   ◇   ◆


 家に着いてからスマホを見ると、無事に帰ったってメッセージがMINEに残ってて、良かったって言葉と、おやすみの挨拶を返した。

 最後にもらったのは、近間さんからの猫のおやすみスタンプ。


 それを最後にMINEのやりとりはなく。

 土日も普段通りに掃除に洗濯や料理などの家事をしたり、暇な時間はゲームや宿題をしながら一人で過ごした。


 金曜のあれは何だったのか。夢だったんじゃないのか。

 そう感じるくらいの普段通りの一人暮らし。

 でも、MINEを交換したくらいで浮かれるものでもないし、今回の話を終えたら俺と近間さんの距離は普段通りに戻っていくと思っていたから、それは全然苦でもなんでもなかった。

 まあ、ちょっと虚しさもなくはなかったけど、そんなのは慣れてるし。


 だから、次の月曜。週末にはゴールデンウィークが始まるその日も、何も変わらないって思っていた。


 朝早くに電車に乗って通学。

 学校に着いたら席でうとうと。

 登校して来た近間さんが隣の席に座り、みんなと賑やかに話をする。


 そんな光景もやっぱり普段通りで。

 俺の予想通り、今までと同じ生活に戻った……はずだった。


 ショートホームルームの始まりを示すチャイムが鳴り、みんなが席にバタバタと戻っていき、俺も先生が来る前につっぷした姿勢から戻って、大きく伸びをしてたんだけど。


「おはよ。遠見君」


 これまでの学校生活で聞いたことのなかった、横から届いた可愛らしい声。

 それに釣られ顔を向けると、近間さんが片手で頬杖を突き、眼鏡越しに笑顔を見せていた。


「お、おはよう。近間さん」


 今までの高校生活で返したことのない挨拶を、慣れない笑顔で返したその瞬間。


 ……もしかして、俺の高校生活が少しだけ変わったんだろうか? なんて思ってしまったのは、ここだけの秘密だ。

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