第六話:バイトの理由

「……うん。わかった」


 近間さんの真剣さに、俺も背筋を伸ばし、気持ちを入れ直す。

 こっちの態度が変わったのを見て、彼女は一度片手を胸に当てると、目を閉じ大きく深呼吸し、改めて俺を見た。


「えっと……遠見君って、昨日マクドゥに来たよね」

「うん。行ったけど……やっぱりあれ、近間さん?」

「うん。あたし。でさ。その……昨日の事、誰かに話した?」

「ううん。話してないけど」

「そっか」


 恐る恐る尋ねてきた近間さんにそう答えると、ほっと胸を撫で下ろした彼女は、改めて俺をじっと見ると、ぎゅっと目を閉じ。


  パンッ!


 またも柏手かしわでを打つ勢いで両手を顔の前に合わせると、勢いよく頭を下げた。


「お願い! あの事、誰にも話さないでほしいの!」


 そのあまりの良い音に、周囲の賑やかな声が一気に静まり、他のお客の視線が一旦こっちに集まる。

 っと。流石にこのままじゃ注目されすぎかな……。

 周囲の視線に気づいていない彼女に代わり、俺がペコペコと頭を下げると、周りの人達もこっちを見るのを止め、再び店内に賑やかさが戻っていく。


 ふぅ……。

 流石にあれだけ注目されたまま話を聞くのは、流石に気が引けるもんな。

 内心ほっとしていると。


「あの、何でも言う事聞くから。ね?」


 こっちが何も話さなかったせいか。彼女が必死さを隠さず、片目を開きそんな事を口走った。


 ……へ?

 俺はそれを聞いて思わず唖然とし、首を傾げてしまう。

 いや、まさかだよね?


「何でも、言うことを聞くから?」


 気になった箇所だけを復唱すると、「あっ」という声を漏らしながら顔を上げた彼女の、しまったといわんばかりの表情が目に留まる。


「あ、えっと、その……何でもっていってもその、そう! ひとつだけ! ひとつだけだから!」

「えっと、ひとつだけなら、何でも言うことを聞くの?」


 腑に落ちない俺がまた復唱すると、やっちゃったと言わんばかりの顔が、より酷く困った顔になる。

 でも、口にしちゃったってのもあるし、秘密を握られてるってのもあるんだろう。


「その……ひとつ、だけなら……」


 しゅんっとして、その場で小さくなる近間さん。

 普段見せないほどのしょんぼりっぷり。それは見ているこっち側が申し訳なく感じるほど。


 ……まあ、彼女を困らせるつもりはないけど。じゃあ素直にバイトしてるのを許容できるかっていうと話は別だ。


「悪いんだけど。答えを出す前に、バイトしている理由を聞いてもいいかな?」


 俺はまず、近間さんにそんな提案をしてみた。

 バイトをしている理由がただ遊ぶ金欲しさとかだったら、流石にどうかなって思ってさ。

 その申し出に、ちらちらとこっちを見ては視線を逸し、落ち着きのない反応を見せた近間さんだったけど、腹を括ったのか。

 うつむき加減のまま、ゆっくり話し始めた。


「あの。これもみんなには内緒ね」

「うん」

「……うちさ。実は母子家庭なんだ」

「母子家庭……。その、お父さんは?」

「私が中学生の時に病気で亡くなっちゃって。今はお母さんと弟と三人暮らし」

「そ、そっか。ごめん。聞いちゃいけなかったね」

「ううん。大丈夫。もう心の整理もできてるし」


 いきなり踏み込んだ話をしてしまい申し訳なくなったけれど、近間さんはそれを笑って許してくれた。


「えっと。って事は、バイトをしてるのは、家の生活費の足しにするため?」

「うん。お母さんの知り合いがあそこの店長さんで、学校に内緒でお世話になれる事になってさー。勿論、学校の友達や先生にばれたらいけないから、そんなに回数も入れないけど。給料が出たら半分は家に入れて、半分は自分のお小遣いにすれば、あたしのお小遣いも気にしなくっていいし、少しはお母さんも楽になるかなって」


 不安を隠さず、それでもちゃんと話してくれた彼女の事情。

 それは何となく納得できるものではある。

 だけど、俺の中でどうしてもひっかかったことがあった。


「それだったら青藍高校じゃなく、バイトが許可されてる高校を選べば良かったんじゃない?」


 そう。わざわざバイトしていることがばれるリスクを背負う青藍より、別の高校が良かったんじゃないかって思ったんだ。

 だけど、近間さんはそれにもしっかりとした回答を持っていた。


「勿論そう思って調べたんだけどさー。この辺の高校って一部の私立以外、バイトは原則NGだったんだよねー」


 私立……。

 俺のイメージでも、公立に比べると学費とか高いイメージがある。

 母子家庭でお金に困っているって時に、選べる選択肢じゃなさそうだよな。


「そうだったんだ。お金がないと私立はきつそうだよね」

「うん。一応私立に行くのに、県の助成金制度はあるんだけど。助成金が出るまで間があって、その間は入学費とか含めて自費で補う必要があるんだよねー。しかもそれが、結構馬鹿にならなくってさー」

「へー。随分詳しいね」

「お母さんと一緒に色々調べたからねー。お母さんは『バイトなんてしなくていいよー』って言ってくれたけど、やっぱ家族だしさ。家の助けになりたいじゃん?」

「確かに。つまり、青藍を選んだのは、公立で、かつ家との距離が遠いから?」

「うん。バイトは禁止だけど、家から距離もあってバレにくそうな公立っていうと、青藍しかなくって。でもまさか、こんなに早く誰かに見つかるなんて、思ってもみなかったけどさー……」


 はぁっと大きくため息を漏らす近間さん。

 正直俺も、あんな所にクラスメイトがいるなんて思ってなかったもんなぁ……。


 因みにここまで話を聞く限り、多分近間さんは正直に話してくれたんだと思ってる。

 じゃなきゃ、助成金の話なんてできないだろうし。


「遠見君。改めてお願い。その……ひとつだけなら、何でも言う事聞くからさ」


 不安を隠しきれない顔のまま、おずおずと上目遣いにこっちを見る彼女を見ながら、俺はどうしようかと考えた。


 まあ、元々黙っているつもりだったし、正直ひとつだけ言うことを聞くって話はどうでもよかった。

 家族思いの近間さんが頑張ろうって時に、彼女との約束を悪用して、それこそ彼女やご家族を傷つけたいとも思わなかったしさ。


 ただ、俺が言うのもなんだけど。

 こういう自分が傷つくかもしれない交換条件を出したら、絶対面倒事に巻き込まれる。そういう戒めみたいなのは、持ってもらうべきだとも思ったんだよね。


 ……そうだなぁ。

 結果として、そう思ってもらえるかはわからないけど。

 どうせだし、近間さんにとって面倒くさい話をして、気をつけてもらうようにするか。


「わかった。それでいいよ」


 俺はそう口にすると、きっと他の人からしたら興味もなく、面倒くさいであろう話をする事にしたんだけど。


 ……まさかこれが、俺と近間さんの関係に大きな変化をもたらすなんて、思ってもみなかったんだ。

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