第三話:どっち?

 で、もやもやしたまま今日を迎えたわけなんだけど。平日だから勿論学校はあったわけで。

 快晴の空の元、俺は朝日に照らされる電車に揺られながら、普段通りに学校に向かった。


 昨日の近間さんのバイト姿。

 その理由が気になったのは確か。

 だけど一晩考えた末、俺は今回の件に触れず過ごす事に決めた。


 人には色々と事情があると思うし、それは近間さんも同じ。そういう思いもあったんだけど。

 そもそも近間さんと俺は、クラスメイトとはいえたまたま席が隣なだけ。友達でも何でもないんだし、事情を聞いたり話したりする間柄でもない。


 だったらこの話に触れずにいれば、近間さんとは何も起きないし、彼女も心配しないだろうって思っていたんだ。


 俺は学校に着いて教室に入ると、近間さんに関わらない。そんな姿勢を貫いた。

 普段通り、彼女よりより早い登校。

 ホームルームまでの間もいつもと変わらず、突っ伏して仮眠を取る振りをする。


「おっはよー」

「おはよー海笑瑠みえる。ねえねえ、昨日のプレ恋見たー?」

「見た見た!」

「最後に裕二が亮次だって気づいた瞬間の千早の笑顔。あれほんと最高だったよねー?」

「あははっ。そうだねー」


 途中で近間さんが教室に入ってきたであろう挨拶が聞こえたけど、すぐに友達に囲まれたのか。何かの会話で盛り上がっている。

 これもまた何時も通りの、代わり映えする事のない日常だ。


 隣の席が女子達の会話で盛り上がる中、寝た振りを決め込んでいる内に、朝のショートホームルームの時間になった。


 担任の淡々とした朝礼の挨拶と点呼。

 流石に姿勢を正して、それをぼんやり聞いている間も、近間さんの事をチラ見すらしない。

 そのせいで彼女が俺に対してどんな様子か分からなかったんだけど、普段だってこういう態度だし、きっとこの方がいいと信じて己を貫いた。


 結局こんな感じで、俺は彼女との距離を取り過ごしていた訳なんだけど。

 そんな状況に変化を与えたのは、意外にも近間さんの方だった。


      ◆   ◇   ◆


 昼休みも終わり、午後の授業も進んでいき。

 今日の最後の授業、六時限目の数学の授業が始まった。

 ここまで彼女との絡みもなかったし、予定通り何事もなく今日は終わる。

 そんな気持ちにほっとしつつ、先生が黒板に書いた公式を控えていると。


「ねえねえ、遠間君。消しゴム借りるね」


 なんてヒソヒソ声が、何時ものように隣から聞こえ……え?

 違和感と共に思わずそっちを見ると、近間さんが何時ものように、俺のペンケースの脇にあった消しゴムを持っていくのが見えたんだけど。この時俺は、強い違和感を覚えた。


 いや、何故かって。

 授業はもう六時限目。だけど今日彼女が俺に消しゴムを借りたのは、これが初めて。

 体育の授業もなく、全ての授業で筆記が必須。その間、まったく書き損じをしないのは流石に考えにくい。


 つまり、もし本当に消しゴムを忘れたんなら、もっと前の時限から借りてくるんじゃないか? って思ったんだ。


 そんな疑問を持ちながら、流れで彼女の机を見ると、隅に置かれた開いたペンケースからはみ出している何かが目に留まる。

 あれって……彼女の消しゴムじゃないか。


 は? どういう事?

 予想外の展開に、さっきまでの決心すらあっさり忘れ、思わず近間さんの顔を見てしまう。


 しっかりと視線が重なった瞬間。

 彼女はにこっと笑うと、机に置かれたノートの隅をシャーペンでトントンッと指し示した。


 ん? なんだ?

 目でそれを追うと、そこにはデフォルメされた近間さんみたいなキャラが「注目!」という吹き出しと共に、何かを指差している絵が描かれていた。

 その先にあるのは、何かの文章……何々……。


『今日の夕方、時間ある? Yes? or No?』


 ……これ、何かのお誘い、か?

 そう思った瞬間過ぎったのは、昨日のバイトの事だった。


 つまり、あの時の話をしたいって事、だよな……。

 俺は自然と顔を机の上にノートに戻し考え込む。


 よくよく考えると、俺は勝手に話さない事が彼女のためになるって思っていたけど、近間さんのこの提案は全くもって普通だ。

 彼女からしたら今の状態って、秘密を握られたまま、どういう態度を取られるかもわからないわけで。

 それじゃ、ずっと不安のままだもんな。


 うーん……。

 別に今日は予定もないし、真っ直ぐ家に帰ろうと思ってたから時間はある。

 だけど。そうなるとやっぱり、二人っきりで話をしないといけないんだよな……。

 

 あまり乗り気になれない気持ちと、自分の浅はかな考えに対する落胆が重なり、小さくため息を漏らし肩を落としていると。


「消しゴム、ありがとね」


 そんな囁きと同時に、俺の目の机に消しゴムが戻された。おまけと共に。


 貸した時にはなかった、本体とカバーの間に挟まっている、小さく折った紙切れ。

 それが何を示すのかくらい、流石の俺にもわかってる。


 ちらりと先生を見れば、まだ黒板に向かってる。

 授業中に授業に関係ないやり取りをしている事に背徳感を覚えつつも、俺はそっと紙切れを抜きその場で開いてみる。


『どっち?』


 可愛らしい筆跡で書かれた、たった四文字の言葉。

 妙に圧を感じるそれを見て、俺は再び視線だけを近間さんに向ける。


 そこにあったのは普段と違う、少し不安そうな彼女。

 俺は今まで、近間さんがこんな顔をしたのなんて見た事がなかった。

 常に明るく快活な笑顔ばかり見せてたしさ。


 彼女にそんな顔をさせている現実。

 別に悪い事をしたわけでもないのに、その表情を見た俺は、酷く罪悪感を覚えてしまった。


 ……多分、Noと答える事もできたと思う。

 実際二人っきりで女子と会話するのなんて、母さんや妹以外になかった俺からしたら、どうしていいのかもわからないし。

 でも……。


 俺は、心にある不安を無視し、彼女に見えそうなノートの端に、シャーペンでYesと書いた。

 それを見た彼女がぱっと笑顔になると、さっきのノートの絵の下に、続け様にささっと何かを書き出す。


『五時半に香我美駅前。いける?』


 文を書き終えこっちを見た彼女に、俺は自分が書いたYesの文字を、シャーペンの先で二度トントンっと叩いた。

 

 意図は伝わったんだろう。

 近間さんが申し訳なさそうに苦笑しつつ、片手でごめんねってポーズをしてくる。

 それに首を振り返事とすると、それを最後に俺は彼女から視線を外し、再びノートに黒板の内容を書き写し始めた。


 ……近間さんと、二人っきり、か……。

 彼女には問題がなくても、俺には問題しかない。


 うまく話せるのか。

 彼女を不安にさせちゃわないか。


 まだ授業中だっていうのに、気づけばそんな悩みに気持ちを持ってかれてて。黒板の内容は書き写せたものの、先生の話はさっぱり頭に入ってこなかった。

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