第296話 理想論
帝都の北側まで全力で走り、下水道へとやってきた。
この下水道から帝城まで向かえば、クロと会うことができる。
音を立てないように静かに下り、例の秘密の部屋まで向かう。
俺は慎重にゆっくりと進んでいたのだが……目の前に誰かが立っているのが見えた。
最大限の警戒をしていたのに、目視するまで一切気配を察知することができなかった。
立ち姿から実力者であることはすぐに分かり、実力者でありながらこの気配の消し方は危険な臭いしかしない。
あり得るのは、帝城でクロの付き人をしていると言っていた『モノトーン』の幹部。
俺は目の前に見える人物をそう予想していたのだが……下水道で俺を待っていたのは思ってもいなかった人物だった。
「ジュウ、久しぶりだな。元気そうじゃないか」
忘れもしない声。この声を聞くだけで体は緊張で固まっていくのが分かる。
ローブで顔を隠しているが、目の前にいる人間がクロだということを細胞が即座に理解した。
「……なんでここにいるんだ? 帝城の奥で隠れていると思っていたんだが」
「なんで隠れる必要があるんだ? せっかくジュウが帝都に戻ってきてくれたんだ。私は歓迎するに決まっているだろう」
このタイミングで俺の方を向いたため、ここでようやく顔を拝めることができた。
当たり前といえば当たり前なのだが、最後に会った時と何も変わっていない。
表情は笑顔なのだが、その笑顔が俺の目には不気味に映る。
「やはり俺が帝都に来たことに気づいてはいたんだな」
「当たり前だ。ジェイドって名乗っているんだから、気づかない訳がない。ジュウも私に気づいてもらうためにわざわざジェイドと名乗っていたんだろ?」
「別にそんなことはない。バレたらバレたで構わないとは思っていたが」
「そう言うことなら、挨拶の一つくらいしに来い。隠れてこそこそなんて……寂しいだろ?」
トーンが一定であり、言葉の裏が一切読めない。
思い出補正もあると思うのだが、こうして会話しているだけで冷や汗が出てくるほど恐ろしい。
「白々しい態度はやめろ。『ブラッズカルト』に俺を監視させていたのも知っているし、偽造身分証も俺がどこに行ったのかを把握するためのものだろ」
「流石にジュウならば気づくか。監視していたことにはそんなに深い意味はない。俺のことを裏切らないかを監視していただけだ。……そんなことより腕は鈍っていないようだな。どうだ? また私と一緒に仕事をする気はないか?」
「その態度をやめろと言っているんだ。さっきから殺意だけは隠せていないぞ」
「殺意なんて――いや、もう気づいているならいい。ジュウが勇者に殺されていれば、こんな面倒なことにならなかったんだがな」
声のトーンが変わり、無機質なものへと変化した。
常に浮かべていた嘘くさい笑顔も取れ、能面の様な無表情に変わった。
「それがクロの本当の顔ってことか?」
「本当の顔? そんなものはない。私はこの世界を私の理想に近づけるために尽力しているだけで、“私”を“私”として判断するのはお前達だろう」
「理解不能だ。理想の世界というのは何なんだ? それがお前の部下であった『モノトーン』を皆殺しにすることなのか?」
「私の目的はこの腐った世界を綺麗な世界に変えること。『モノトーン』に限らず、私は裏の世界でも暗躍して多くの悪人を処していた。『モノトーン』はその内の一つ。甘い蜜で誘い込み、釣られた悪人を集めて一掃する。実に合理的で素晴らしいと思わないか?」
本心かどうかは読み取れないが、クロなら本気で思っていてもおかしくはない。
何にせよクロは歪みきっており、俺はそんな人物の道具として動いてきたということを、こうして話していると実感させられる。
「極悪人であるクロが綺麗な世界に変える? 本気で何を言っているのか分からない」
「私が極悪人? 私は人も殺したことのない穢れなき人間だ。殺人鬼であるお前と同じにされては困る」
「人を殺したことがないのは知らなかった。――が、命令して殺させているなら同じこと。いや、直接手を汚すより最底だ。それに『モノトーン』の構成員はクロが殺したんだろ? 悪人だから殺人にはならないとでもいう気か?」
「それは確かにいい考えではある。聖典の中で悪魔が人を殺したとされる人数は10人。対する神は200万人以上。それでも人間が神を崇め奉るのは、人殺しであろうと神が行えば善となるからだ」
何を言っているのか理解不能であり、本当に人と会話をしている気がしない。
俺の知っているクロは現実主義者であったはずだが、今話していることが本心なのであれば、理想を叶えるために現実主義者を演じていたことになる。
「――そんな考えも頭を過ったが、私は人を殺していない。『お願い』をし、『モノトーン』の構成員は全員自殺してもらっただけだ」
「そのお願いというのは、スキルによるマインドコントロールか? だとしたらそれは殺しているという。俺と変わらない殺人鬼だ」
「この国の方では、『お願い』をしただけで殺人鬼にはならない。ちなみにだが、お前の同僚も『お願い』をして死んでもらっていたんだぞ」
「…………任務に失敗して死んだんじゃなかったのか」
「任務に失敗して死んだものもいたが、組織を潰すと決めてからはほとんどが自殺だ。急に人が減っていたのに気づかなかったのか?」
そう問われたことで、とある時期から急に任務に失敗した人が多くなったのを思い出す。
わざわざクロが殺すという考えがなかったし、任務の難易度も跳ね上がっていたこともあって、俺は無意識にクロが排除しているという考えを捨てていたのかもしれない。
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