第258話 ドン引き
レフェリーがいないため、試合の開始の合図とかはもちろんのことない。
周囲の感じ的に俺達の勝敗による賭けは行われていそうだが、圧倒的にゴードンが人気すぎて成立していなさそうな雰囲気があるな。
――とまぁ、周囲のことはさておき、俺はゴードンをどう仕留めるかだけを考えよう。
降参させるまで殴るか、それとも有無も言わせないまま痛めつけてそのまま気絶させるか。
こういったタイプの人間は意外と打たれ弱いってのが相場。
一方的な暴力が好きなだけで、やられる経験の方が少ないだろうからな。
そうなってくると……有無も言わせないまま殴り、そのまま気絶まで持っていくのがよさそうだ。
「それじゃ行くぜ! 降参しても無駄だからな。死ぬまで殴り続けてやる」
「いつでもかかってきていいぞ」
俺は手招きしてわざと挑発するような仕草をしたのだが、いきなり飛び込んでくることはなくすり足で徐々に距離を縮めてきた。
両拳は顔の前に構えられ、さっきと同様に極端にコンパクトな上に重心もかなり後ろに取っている。
余程さっきの一撃が頭に残っているようで、不意の一発を貰わないように徹底している。
ゴードンは偶然の一撃だと思っているようだが、残念ながらあの一撃は狙いすました完璧な攻撃。
意図的に気配を消しているとはいえ、こうして向かい合っても実力差に気づかない時点で、ゴードンの能力は知れている。
俺は特に拳を構えることはせず、すり足で近づいてくるゴードンが攻撃を仕掛けてくるのをただ待つ。
動き出してから十数秒後にようやく間合いに入り、重心を後ろに残したままの力ないジャブを放ってきた。
体格差があり、いつもならこの程度のジャブでも効かすことができるのだろうが……。
俺はそのジャブを躱してから透かさずカーフキックを放ち、足から削りにかかる。
予定では数発カーフを蹴り込み、バランスを崩したところで一気に決めにかかろうと思っていたのだが、ゴードンは今の一発で足に力が入らなくなったようでもうバランスを崩した。
表情を窺う限りでは、この一発の蹴りだけで戦意を喪失したように見えるが、まだまだ逃がすつもりはない。
コンパクトに構えていたガードを解き、後ろに下がるゴードンに一気に詰め寄って、下から抉り取るように左ブローをボディに放つ。
ゴードンからしたら目の前にいた俺が急に消え、その途端に腹部に強烈な攻撃を食らった感覚だろう。
たまらず体をくの字に曲げたが、まだ倒れさせはしない。
畳みかけるように胸部目掛けて右拳を振り、威力に押されて倒れかけたところを左ストレートを鼻っ柱目掛けて振り抜いた。
ゴードンの鼻からは剣で斬られたのかと思うほどの血が吹き出て、その光景を目の当たりした観客から悲鳴が上がる。
だが、俺はまだ止めるつもりはない。
気絶をさせるような箇所への攻撃は行っていないため、意識は残っているはず。
倒れたゴードンの上に乗り、馬乗り状態から追撃で拳を叩き込もうと思ったのだが――。
血を噴き出したゴードンの目は完全に白目を向いており、鼻が折れただけでなく前歯が四本折れた状態で気を失っていた。
痛みに耐えられず、自ら意識を手放したパターンだろう。
正直、もう数発は拳を叩き込んでやりたかったところだが、気絶した人間相手を痛めつけても何の意味もない。
この場でゴードンを殺してしまったら無駄に追われることになるだろうし、この辺りで止めておくか。
振り上げた拳を下ろし、静まり返っている賭場をぐるりと見渡す。
前評判では圧倒的にゴードンが優勢と思われていた中、瞬殺に加えて引くほどの出血で盛り上がることすらなくなっている。
居心地は非常に悪いが、祭り上げられるよりかは全然マシなため、気にせず俺はリングの扉の前に向かった。
「扉を開けてくれ」
外から鍵を閉め、ニヤついていたゴードンの手下らしき人間の表情も今じゃ凍り付いており、俺に迫ってきていた威勢はどこへやら、その一言を伝えただけで慌てながら開錠してくれた。
取り囲むように待機していた人たちの間を通り抜け、賭場の外を目指して歩を進める。
ちょっと目立ちすぎてしまった感はあるが、所詮ここにいるのは裏社会の人間。
顔が割れたところで、大きな弊害は生まれない――はず。
色々と問題もあったが、この賭場への潜入は大成功といっていいだろう。
約束通り、この賭場については口外するつもりはないが、ヴィクトルのことは伝えさせてもらうつもり。
地下通路で繋がっているこの賭場のことも芋づる式で取り締まられたとしても、約束を破ってはいないということで納得してもらうしかない。
後はゴードンが逆恨みで消しに動いてこないかだけが少し不安だが、あれだけボコボコにしたし大丈夫だろう。
来たら来たでまた返り討ちにすればいいし、こういった注目が集まる場でなければ今度こそ殺すつもり。
そんな決意を心の中で固めつつ俺は地下通路を後にし、今度こそ先ほどのバーから外に出たのだった。
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