3-8

 最後の日、というのは、案外音沙汰のない時間がながれる。

 朝目を覚まして、顔を洗って一日がはじまる。

 何となく河川敷を散歩して、物思いに耽る。

 適当に喫茶店にはいり、適当にメニューを選ぶ。

 いつかの思い出をなぞり、小雨でも降らせてみようか、なんて考えてみる。

 見慣れた街をあるく。

 駅前の画材屋へ立ち寄ってみる。

 絵の具の種類の多さに、ちょっとだけ関心をもつ。

 手荷物になることを恐れ、何も買わず退店する。

 教会にもどる。

 エセシスターと話す。

 三上家へ行く。妹と話す。

 どこか不安そうなふたりの内心を読み取って、けれど言及はしないでおく。


 気づけば空の色はオレンジに染まってきている。

 もうすぐ夜の前触れが混ざり込む。

 私はその場に一時だけ留まって、くるりと踵を返す。


 結局、人生なんてものはそんなものなのだった。

 ヒトはやれ「一度きりの人生」だの、「楽しんでこその人生」だのと口にする。幸せ者の妄言だと、私は思う。人生の過酷さを知っていれば、そんな綺麗事は口にできない。そんな楽観視、できやしない。

 きっと、そういう人間とは理解できなくて、私は距離をとって生きてきた。それが魔女として至極当然な人生というのなら、納得もできる。ひどく惨めで、色がなくて、臆病で。残酷な魔法に似た生き方だ。

 けれど、そんな弾かれ者を好む人間も世の中にはいて。私にとっては三上春間であった。



 ――夜。



 いつものごとく、過去の情景を再生しながら歩く。

 秋の夜中は、すこしだけ冷える。けれど防寒着に身を包むほどでもなくて、いつもの黒いケープだけを持ち出していた。

 ワイシャツの上にカーディガン、スカート。魔女帽子を除けば、およそそこいらの学生と何ら変わらない装いで、こつ、こつとアスファルトを鳴らした。等間隔で並ぶ街灯をくぐる度、丸い光に私の影が横切った。

 電線が夜空に線を引いている。

 その向こうにある空は曇っていて、でも所々で晴れている。流れながら、月明かりを滲ませていた。

 昼間、ハルマの妹から教えてもらった道をなぞり、目的地へと向かう。

 ほぼ無人の電車で数駅、人気の薄い駅まえから、さらに閑静な方へと踏み込んでいく。夜に身を沈ませていく。

 やがて闇に慣れた視界に、身長を越える高さの校門がみえてきた。


 こつ、と足音が、そこで途切れた。


 私は魔女帽子を傾け、夜空に佇むシルエットを見あげた。

 深夜の鐘之宮高校は、街と同じく暗闇に覆われている。等しく夜のとばりが降りている。奥の方――夜間警備員が居るであろう箇所には薄らと光がみえたが、それ以外に気配はない。

 立ち並ぶ窓も、口をあけて待ち構える校庭も、すべてが黒に染まっている。外灯すらも、明かりを消している。ときおり雲の隙間から覗く月だけが、柔らかく地を照らす。そのたび、喧噪からもっとも忘れ去られた、眠る校舎が息を潜めている。


 私は、はぁ、と吐息をこぼした。


「……なにかご用かしら?」


 冷ややかに、暗闇に目を向けた。校門のまえに立つ人影ふたつ。脇の庭木の影になって、顔は見えにくい。

 こちらからの呼びかけに答えるように、ふたりは進みでた。

 わずかな夜の明かりに身をさらし、私と対面した。


「ミノリから聞いたよ。迎えにいくんだね、三上を」


 木陰少年が声をかける。

 パーカーのポケットに突っ込んだ白い腕。その横に並び、小柄な身体が私をみつめた。


「後悔はないっ?」


 情報屋を称す、シオン。

 かつてハルマの背中を押した共犯者。魔女の復活に手を貸したふたり。並んだ視線は、私の到来を待っていたらしい。

 ……まったく、お人好しね。

 思わず笑みを浮かべて、私は口をひらく。


「ええ。後悔はない。むしろ、これから唯一の後悔を払拭しにいくところ」


 夜は、声をよく通らせる。ムダに人がいない。空気が澄んでいる。繊細に音の波を伝わらせる。辺りから響く虫の声も心地良い。そのお陰もあって、返答は雑音に阻まれることなく届いた。

 締め切られた門扉を背後に立つ人影が、薄らと笑う。まるで予想どおりの返答をもらったみたいに、呆れもすこし混じっていた。

 木陰少年が、こほんとひとつ、咳払いする。


「土産だ、ガラスの魔女」


 ……?


 目を細める。暗闇になにかがきらりと光って、その正体を探り――すこし驚いた。

 放り投げられたボトルを取り落としそうになりながら受け取り、ラベルに目を落とす。見間違うはずもなく、ソレは飲み慣れた清涼飲料。

 訝しげに視線を投げる。

 木陰少年が微笑む。傍らで情報屋が肩をすくめる。両者の手には、それぞれ同じものが握られていた。夜の暗さにも紛れない透明感が、わずかな光を浴びて揺れていた。


「乾杯といこう、ガラスの魔女」


 彼の内心を探ろうとして、取りやめた。腹に一物抱えていそうな佇まいが、実はそう深くないことが薄らと感じ取れる。きっとハルマと同じ、顔でウソをついている。

 私はふぅ、と吐息を挟み。気分を入れ替えた。


「時間が惜しい、と言ったら、あなたは通してくれるの?」


 否定を表す首振りが返る。

 強引に押し通ることはできる。今の私は魔女だ、立ち塞がるのであれば薙ぎ払うなど造作もない。

 だけど、その選択肢を私は捨てている。これは彼なりの餞別なのかもしれないし。


「五分までなら付き合うわ」

「五分もかけないよ、ボクらはあくまで見送り人さ」


 どちらともなく、ボトルを持ち上げる。

 余裕のある、悩みなんて知らなさそうなほどに嘯いた少年。そして、付き添い、成り行きを見守る情報屋。ふたりの意志は同じというわけだ。

 私は帽子のツバ越しに彼らを収めながら、


 ──酸の抜ける音を、重ねた。






 秋の夜は冷える。

 季節も時間も、炭酸には似合わないかもしれない。こたつを引っ張りだす家庭もあるくらいだ、こんな風に乾杯する私たちを、世間は奇妙な目でみつめるのだろう。


 ああ、だけど不思議と、味わい深い。


 満月の夜。暗い空に見下ろされて流し込む刺激は、氷を呑みこむより優しくて、空虚ではない。

 これがしっかりと堪能できる最期の機会かもしれないと思うと、なおさらに恋しくなる。いつか尋ねられた美味しい飲み方にすら届きうる、格別な一本だ。

 シスター曰く――彼はひとりの女を忘れないために、この飲み物を好んだという。

 それがどんなに嬉しいことか、知る由もないだろう。彼が私を想ってくれる。彼が私を思い出してくれる。呪いじみた人生に歪めてしまった罪悪感はあるけれど、儚い命にとってはこの上ない報酬だ。

 その末に破滅を選んだのなら、私は今度こそ彼を救おう。


「――、」


 夜空に、ボトルをかざしてみる。

 ダイヤカットに月明かりが反射する。不規則に、散らすように。


「……さて。それで? ハルマの共犯者が、私になんの用事?」


 炭酸の気泡をフタで閉じ込め、首を傾げる。

 口を開いたのは情報屋からだった。


「感情が足を向かわせるのなら、私たちが出ないわけにはいかないでしょ!」

「この結果はボクらが背中を押したからでもあるからね」

「そ」


 内心で、なるほど、とつぶやいた。

 また一口、炭酸を噛む。

 液体のガラスを砕く気分に近い。飴玉は舐めるだけが全てではないように、炭酸にも飲み方、楽しみ方がある。

 例えば思い出を舌先に転がすつもりで、例えば迷いを断ち切るつもりで、例えば過去を押し流すつもりで。

 今の一口は、そのどれとも異なっていた。迫り上がった因縁をまえに気を引き締めるつもりで飲み込んだ。私の胸中はかつてないほど澄み渡っていた。深夜に交わされる会話も、どこかスクリーン越しのやり取りに聞こえるくらい外れている。


「まったく、共犯者らしい」


 関心を含んだ声が、喉から放たれる。

 覚悟に深みを与えるという意味で、彼らはこれ以上ない適任だった。


「ねえガラスの魔女……こんなのは分かりきったことなんだけどさ。君はどうして立てるのかな」


 指の間にボトルをぶらさげる。


「三上の起こした奇跡いまを、なぜそう簡単に否定できる?」


 晒した指先を冷たい風が過ぎていく。


「君に勝算はあるのかな?」


 その疑問は、幾度も自問し、後ろ髪を引っ張ったそのものに感じられた。それを、今面と向かって問われている。

 月夜。

 誤魔化すには些か空気が透明すぎる。でもきらいじゃない。

 泣きたくなるほど寂しい夜の最終日に、木陰少年は続ける。


「大事なことを教えよう。ボクらは君の手の内なんて微塵も想像がつかないんだ。でもひとつだけ、自信をもって言えることがある」


 私は視線を空から地上へおろした。

 突き刺さる予感がありながら、立ち塞がるふたりを凝視する。



「君は、失敗するよ」



 数秒の沈黙がながれた。

 もとより声の少ない乾杯だったが、なおさらに空気は冷え込んだ。

 聞き間違い。空耳。そんな言い訳は通じない。彼ははっきりともう一度告げた。


「ガラスの魔女。君は、失敗する。それがどんな計画だろうと」


 失敗。

 失敗する。

 それはつまりどういう結末か?

 ハルマが生き返らない結末だ。私はハルマの手を触ることすらできず、ただ寿命を縮め。残された刹那の時間を絶望と孤独に苛まれながら生きる。刹那とはいえ、それでも一ヶ月はあろう。

 私が何よりも優先するものを取りこぼして、正気でいられる自信はない。それほどまでに、私にとって彼はなくてはならない。ああ、たしかに恐ろしい失敗だ。想像しただけで身がすくむほどの。


「失敗すると予想した根拠は?」

「根拠はないよ」


 木陰少年が自身の頭を指差して言う。


「根拠はないけど、勘が告げている」

「あら、冴えてるのね」


 冗談半分に返す。

 動じる気配はない。

 ないが、彼の顔には「どうして本音を隠す?」と書いてあった。私らしい反応が返ってきたことは予想の範疇だけど、気に入ってはいないらしい。

 継いだのは、傍らに立つチビの方だった。


「愛なの?」


 唐突にも思える切り出しで、情報屋シオンが訊ねる。


「魔女にそうまでさせる動機――やっぱり、愛なのね?」

「……ま、そうとも言えるかもしれない」

「人生という時間を費やしてようやく至る感情をあなたたちは抱いている。愛は、そこまでさせるの?」

「場合によってはね」

「自分の命なのよ!?」

「粗末にするなって? 『もっと自分を大事にしろ』なんて正論を魔女相手に投げようなんて、童話作家が聞いたら笑い転げるでしょうね」

「間違ってるかしらっ?」

「間違ってるわ」


 はぁ、と一息を挟む。

 数秒、考える。

 愛。

 実際に言葉として耳にすると、どうにもこっ恥ずかしい。こういう綺麗すぎる単語を発する耐性を、人間の多くは持ち合わせていない。私もそのひとりであったようだ。

 しかし情報屋は真剣な面持ちでこちらをみている。探し求めた答えを期待している。

 だから、言ってやった。


「愛って、そんなに大事かしら」


 情報屋が目を見開く。

 どうやら私は彼女の核心に触れてしまったらしい。一瞬だけ愕然とした目をして、次の瞬間には険しい表情になる。

 固まったろうのような声が、絞り出された。


「教会であんな切ない告白かましといて、あなたがそれをいうの?」


 覗いた落胆の色。ほのかな絶望。それらを受けて、けれど私は譲らなかった。

 残念だけれど。私は期待に添える答えを持ち合わせていない。

 だって。


「だって、理解してないもの」

「――、は、……、」

「他人に心を許し、命すら捧げてしまえる感情。年月とともに身につける一種の結論。それを愛と呼ぶのなら、たしかに私の感情も愛と呼べる。でも、私にはわからない」

「わからないって、そこまで体現しておきながらどうしてっ!」

「愛は相手を尊重する心だと聞く。でも私に利己的な感情がないのかといえば嘘になる」


 むしろ、私は利己的に過ぎるくらいだ。なにせ、一度彼を押し倒している。唇も奪っている。それを自己都合で隠蔽している。

 反して、彼のために身を燃やす覚悟はたしかにあって、どう表現していいのか不明瞭。


「そのあたり、深く考えないことにした。私たちには時間が無さすぎる。愛を育む余裕もない。恋だってしたまま。私たちってばどうしようもなく不器用な関係だもの。ちぐはぐ、曖昧、半端物。答えなんて持ってないわ」

「じゃああなたたちのその関係性はなにっ! 愛でないのなら、あなたは三上春間とどういう関係になるのよっ!? それをどう言い表わすの!」

「恋でも愛でも、どっちでもいい」

「は――、は、はは……魔女って、ホント……」


 情報屋が髪をかきあげた。

 納得いっていない様子だった。彼女はおそらく、『恋愛』そのものを知りたがっている。探している。

 正解なんてない。答えたところで、それは解釈のひとつでしかないのに。

 というか、私たちの関係性? 恋でも愛でも何でもいい。共依存と蔑んでくれても構わない。

 私は炭酸をまた煽る。一口目よりも小さい開封音を響かせて、ごく、ごく、とノドを鳴らした。

 炭酸を半分残して――私の価値観を伝えた。


「情報屋。私にとって重要なのは言葉の定義じゃない。互いの想いが向き合っている、その事実だけでいい。そこまで気づいたのなら、あとはもう走るだけよ」

「……達観してるのね」


 薄く笑って、空気を流す。彼女は言葉のひとつひとつを噛みしめるように、胸に手をあてた。

 私は思いついたように、懐から懐中時計を取り出した。

 月明かりに照らして、針の位置を確認。この学校を訪れて、ちょうど五分が過ぎようというところだった。


「もう、行くわ」


 時計をしまい、校門に近づいていく。


「全部、終わらせてくる」


 問答はそろそろ良い頃合いだろう。

 時間切れだ。


「あんたたちは帰りなさい」


 傷ついて、しかし何か光明を得たかのような瞳で私をみる情報屋。

 失敗を考慮せず突き進む私を記憶に刻もうとでも思っているのか、行く末を見守る木陰少年。


 ――ゆっくりと道をあけたふたりを置き去りに、私は門扉へよじ登った。


「……魔女」

「……」


 視界の先に、アスファルト続きの敷地が広がっている。闇に待ち構えた建造物は沈黙を保ち、夜の音が辺りを支配している。

 感じられる。

 この先に、ハルマがいる。

 同時に、引き返せないだろうという予感もある。

 夜空を一瞥した。

 相変わらず、星々は雲に覆われ、月だけが光を届けていた。


「情報屋」


 背中ごしに、別れを告げよう。


「愛を知りたいのなら、自分でみつけなさい」

「――っ、わかった。シオンなりのやり方で、探してみる」


 きっと、次に会ったとき、私は私ではなくなっているのだから。


「それと木陰少年」

「なんだい?」

「その脅し文句は、私たちに通じない」

「……はは、肝に銘じておく」

「あと、炭酸、ありがと」

「いいや」


 これくらいでいいか、と私は内心で心を落ち着ける。

 すべきことで頭を埋め尽くす。

 やるべきことは定まって、その手段も明らか。できることもした。後悔もたくさんした。

 なら、あとはまえに進むだけ。

 余計な考えは後ろを振り向かせる。なら今は目を瞑ろう。どうしても達成しなければならない一点をこえるためなら、私はもう振り返らない。


 風が頬をかすめていく。

 最後にもう一度だけ、ペットボトルに口をつける。

 半分の量を、残らず身体に染み渡らせる。憂いも葛藤も流し込んで、その先に踏み込む。


「……っ、ん、く」


 夜。炭酸を噛む。


 ああ――今夜は、月が澄んでいる。

 きっと、魔法も精度を増すだろう。より残酷で、綺麗な結果をもたらすだろう。

 胸の内側が、温め続けてきた感情に焦がされていく。

 

「……ぷは」


 私は甘い余韻を手放しながら、


 ――門の向こうへ飛び降りた。





 かつん、というボトルの音が、遠くへ消えた。

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