3-2

 昇降口は開け放たれ、しかし人の気配はなかった。土曜日を部活動に捧げる生徒はいるだろうけれど、今はがらんとしている。

 玄関の反対側、木目調の床を挟んだ壁には掲示板がある。色々と貼り紙が見受けられた。

 しかし、魔女は見向きもせず素通りする。彼女はすでに検討がついているようで、それ以外は興味もなさそうな目で流していく。

 妹さんと私は周囲にすこしだけ視線を投げて、後に続いた。


「そういえば、あの日のお兄ぃ、どこに行ってたんだろう」


 歩きながら疑問を口にする妹さんへ、訊き返す。


「あの日、ですか?」

「うん。夏にもお兄ぃとここへきて、その日から姿を暗ますようになった。でもあたしとは別行動だったから、居なくなってた間、どこにいたのか知らなくて」


 答えたのは、魔女だった。


「そんなの、屋上か中庭か、それともなんてことないそこらの廊下でしょうね」

「は……廊下?」


 中庭や屋上を挙げた理由は想像がつく。きっと彼女にとって思い出深い場所なのだろう。

 聞けば、夏に彼が耳にしたという風鈴の音──つまり魔女の遺した魔法は、記憶を思い出させる代物なのだという。であるのなら、そういった印象的な空間に紐づけるのは納得のいく仕様だ。

 でも、そこらの廊下、というのはよくわからない。

 そんな内心を見透かしたように、魔女は説明してくれる。


「風鈴は記憶の入れ物だけど、局所的に開かれるわけでもないの。細かく『ここを訪れたら音が聞こえますように』なんて設定は不可能よ」

「では、廊下に関わらずどこでも風鈴を聴けるということですか?」

「どこでも、というのは言い過ぎ。そこが封じた記憶を思い出せるような場所であれば、という条件がある」


 なるほど。なんとなく理解できた気がする。

 たとえば捻挫して保健室に連れてかれた記憶を、風鈴に閉じ込めたとしよう。

 その記憶を三年後の今引き出そうとすると、思い出せる場所は主に三箇所。

 捻挫をした体育館。

 体育館から保健室まで、通った廊下。

 そして、保健室。

 風鈴の魔法で思い出したいのなら、「そういえばこんなことがあったな」と思える場所でなければならないというわけだ。全く関係のない、似通ってもいない場所で思い出そうとしても、きっと風鈴の音は聞こえてこない。


「ま、記憶を閉じ込めたのは私だから、ハルマからすれば見ず知らずの記憶も垣間見えたかもしれないけど」


 角を何度か曲がり、魔女は足を止めた。

 そこは校舎の端だった。顔をあげると、『技術室』という札が掲げられている。小窓から中を覗いてみると、木製の大きい机が並んでいた。角イスはひっくり返され上へ乗せられている。掃き掃除をしたあと、そのままの状態のようだ。

 試しに扉をひいてみるが、案の定、鍵がかけられていた。

 左どなりの部屋は──準備室。この教室の管理を任され、生徒に材料加工の技術を教える立場の教員がいるかもしれない。

 が、さすがに土曜日には出勤していないご様子。職員室にもどればもしかしたら……と考えたけれど、それもあまり期待できない。カギだけ借りようにも、「なぜ技術室なんかに用事が?」と懐疑的な視線を向けられそうだ。

 「どうします?」と視線を魔女に向けると、彼女は指を顎に当て、数秒考えたあと、トン、と鍵穴を叩いた。

 ガチ、と、あっさり技術室の扉に魔法をつかってしまう。


「……」

「……」


 妹さんとふたりして、ポカンとする。

 しかし尖り帽子は私たちを他所よそに、平然となかへ踏み込んでいく。


「あ、ちょっと……」


 伸ばしかけた手が、空をつかんだ。魔女は反応しない。そこで、違和感に眉を寄せる。


「あの、魔女さん?」


 返事はない。魔女はゆっくりと、でも確かな足取りで、奥へと進んでいく。

 私は妹さんの肩に手を置いた。妹さんは私の顔を見上げ、悟ったようだ。

 すでに、魔女に声はとどいていない。

 無言で、ただ目の前の面影のみを追っている。真っ直ぐと光を目指すがことく、ただ過去の面影を求めている。雑音を排している。

 魔女はベランダと隔てた窓のまえに辿り着くと、迷いなく先ほどと同じ動作をする。

 妹さんは静かに口を閉じ、背中を追った。私もただ背景と化して、彼女を眺めることとしよう。そう心に決めて、静かに中へと足を踏み入れた。

 技術室のうしろを突っ切り、外へ出る。薄暗い室内から一点、視界が天気の明るさに晒される。


 中庭は校舎に取り囲まれており、花壇やちょっとした池が見受けられた。中庭に面した他の教室も伺えるが、どこも人の気配はない。

 そのなかのひとつであるここ、技術室の外は、地面から二階の柵までネットの屋根が張られていた。秋ゆえか、それとも最近手入れがされていないのか、茶色い茎が巻きついている。所々に葉をつけているが、どれもが秋の顔をしている。

 静かだ。

 休日だから、なおさらに。もしかしたら花壇用のスプリンクラーなんかもあるのかもしれないが、今日は作動していない。野鳥の羽ばたきもなく、花に近寄る蝶の動きも見つけられない。

 まるで時間が止まったようだ。

 ……ここが、魔女と三上さんの過ごした母校。私は別の中学だったため、初めて見た光景だ。

 魔女へ意識をもどす。黒い魔女帽子をさがし、私は息をひそめた。


 彼女は園芸ネットの下にいた。

 何も言わず、なにもせず。

 砂ぼこりだけが散乱した、コンクリートの上で、視線を落としていた。

 そこだけ、砂ぼこりが薄い。なにがあったのかはわからない。けれど、何かが足りないことだけは判る。彼女の緩められた手のひらには、いつもより力が入っていない。


 佇む彼女の雰囲気は、復活した日のソレと似ている。得も言われぬ空気に、私たちは口を挟むこともできなかった。彼女と私たちの間には、埋めることのできない線が引かれているようだった。


 きっと、彼女には、風鈴の声が聞こえている。




◇◇◇




 魔女の寿命について打ち明けて、すこし。夏の気温が峠を越えて、けれどまだまだ汗をかくような時期に、彼の父親は亡くなった。

 俺なんか息子失格なくらいに優しい男だったのだと、彼はつぶやいた。空を仰ぎ、ポケットに手を突っ込みながら歩く横顔が、しばらく脳裏に刻まれている。

 優しいだけではないのだろう。娘のために車道へ飛び出た勇気がそれを証明している。人間は敏感な生き物だ。咄嗟のこととはいえ、死の気配は濃厚に感じ取れる。身体は意志にそぐわず退こうとする。人類の繁栄の根幹にあるのは、恐怖という忌避能力なのだ。当前のこと。遺伝子に刻まれた本能を破ったひとりの親を、私は遠く離れた心で称賛していた。

 親というものに馴染みがない。とても素晴らしいことで、とても哀しいことなのは理解できるけれど、現実感は薄い。他人の家族だからではなく、私という個人の共感力が弱い。魔女のもつ欠陥のひとつだった。

 魔女帽子のツバを指で持ち上げ、ちらりと壁に目をやってみる。

 かけられた絵画――作者の名前は聞いたこともない文字の羅列。興味をひかれることもなく、私は通りすぎた。

 病院の廊下は、ワックスによって光を反射していた。暗い通路の先に、小ぢんまりとした受付が待ち構えている。そこへゆっくりと、私たちは歩んでいた。

 差し込むは昼下がりの気配。目を細めると、四角い扉ごしに殺風景な景色が見てとれた。

 曇りガラスが如く内心を、表しているかにみえた。

 さっきの病室で覚えた感覚が、まだ残っている。

 体調がわるい、というほどではない。ただ、記憶を奪うならともかく、記憶をいじる魔法はそれなりに気分を損なわせる。ハルマのため、ひいては自身のプライドのため行使したとなれば言い訳も出ないのだけど、やはり苦手なものは苦手なままだ。

 はじめから、わかっていたこと。

 ハルマと一緒に花瓶を選んだときから、河川敷を伝ってこの病院へやってきて、彼の妹と対面するそのときまで、私はぼんやりとあの魔法を使うことを決めていたはず。なのに、使ったあとは何か大きなものを失った気さえする。

 私は歩みを止めていた。

 気づいた彼も立ち止まり、私をみた。


「……ハルマは、どう思う」


 端正な顔が、普段とほとんど変わらぬ雰囲気で、小首を傾げた。


「なにを?」

「さっきの魔法」


 私のつかった魔法。私が嫌いな魔法。記憶を奪うのではなく、いじる魔法。

 今まで、彼のまえでいくつもの魔法を使ってきた。ヒトの命を奪う魔法はもちろん使っていないし、多少イタズラじみた魔法はあっても、人生そのものを台無しにするような魔法はない。いつだって私の魔法は、彼との時間を創り、彩るためにあった。

 窓の向こうは雨がいい。

 ふたりの時間は音を消そう。

 ガラスの反射は穏やかだ。

 星の輝きだって、瞬きの間くらいはさらなる美しさを得る。

 どれもが、人道的な域に落ち着いていた気がする。個人的なものさしによる感覚だけれど。

 それだけに、今日の魔法はかすんでみえるのではないか。滑稽で、愚かで野蛮なヤツにみえたのではないか。

 ──そんな私の不安を、彼は一言で否定してみせた。


「綺麗だと、思ったよ」


 そうだ。彼は平然と言ってのける。

 私は真っ直ぐみつめて、確認した。


「お世辞で言ってない?」


 ハルマは困ったように微笑んだ。


「本気なんだけどな」


 その毒気ない反応に、思わずム、としてしまう。

 揺るぎない私の評価。私以上に可笑おかしな彼の審美眼。気づけば私は距離を詰め、煽るように言葉をぶつけていた。


「妹をあれだけ苦しめておいて、文句のひとつもないワケ? だとしたら、あなたは相当に薄情な人間か、救いようのないお人好しね」

「ならたぶん後者だ。俺はお人好しだよ。君が思うよりずっとね。……いや、『魔女好し』の方が近いか」


 「魔女好し」。数秒をつかい、心の中で反復する。どうか否定して、と祈りながら、すこしだけ冗談風に、廊下の滞った空気を揺らす。


「そんな言葉は存在しない。じゃあなに? 私が『死んで』って言ったら従うの?」


 悪い予感はあたるもの。

 迷いなくもたらされ──私の時間をとめた。


「構わないよ」


 ──どうしようもない。

 ノート越しの私が言うとおりだ。

 踏み込めば彼は命を賭すだろう。

 遠慮なく。躊躇なく。それはとても、哀しくて怖い結末。

 自制心を無視して、手のひらに力がはいってしまう。どうしようもないの? どうしようもない。彼が嫌がる女に徹すれば、鋼鉄の意志は曲げられるだろうか。

 いや、無理だろう。

 彼は私の内心を読みとるに違いない。今更態度を変えたところで彼は変わらない気がする。


「どうして、あなたはそうやって……」


 顔を伏せて、唇を噛んだ。

 ハルマはよく、「君は澄んでいる」「透明感のある生き方をしている」と評してくれる。きっと魔女としての世界を歩んでいて、現実から隔絶されている風に感じているのだろう。普通とはちがう、という意味では、たしかに的を射ている。

 そんなことない。

 私に言わせれば、あなたの方が体現している。

 曇りなき佇まい。

 曲がらない志。

 達観し、俯瞰する思考。

 非現実を知りながら傾倒することもない。

 命の重さすら目的のまえには軽くなる。

 それが、私はこわい。

 ハルマ自身への価値の軽さが、私はこわい。

 迷いがないがゆえに、簡単に時間を手放してしまってしまいそうでこわい。


 記憶をいじる魔法はきらいだ。

 でも、忘れさせるためならば。彼の心の奥底に仕舞い込み、カギをかけるだけであれば、私は頼ろう。

 初めて彼の記憶を奪った日は覚えている。こうして罪を重ねることに心を痛めながらも、唯一の手段――風鈴の魔法に、慣れてしまっていた。


「……? 魔法つか、」


 私を呼ぶ声を遮る。

 ひゅ、と横一文字を指でひく。


 途端、彼の身体はぐらりと揺れた。

 糸がぷつりと切れたように、膝から崩れ落ちる。

 それを真正面から抱き止めて、自責した。また、ひとつ罪を重ねた、と。魔法で事実の隠蔽をした。彼の意思を曲げることなんてできやしないだろうに、「そうあってほしくない」などという理由で記憶を閉じ込めてしまった。


「……ごめんね」


 本当に。

 ごめん。こんなことを繰り返して。あなたの、それなりに勇気ある告白の数々を『無かったこと』にして。


「……私だって、ッ」


 私だって?

 私――私――私とは、なんだろうか。

 私はガラスの魔女だ。

 彼は魔法使いと呼ぶ。

 顔も知らない親から与えられた名もある。

 何が正しいのだろうか。どれが私だ。どの自分がこんなに悔しがっている。


 人払いの魔法は保ったまま、喧噪を遠ざける魔法を途切れさせた。

 ハルマを背中に背負い、一瞬よろけながら、出口に歩き出す。


 身体を支えながら、懐からいつもの紙を取り出した。

 ノートから破りとった、未来の自分との連絡手段。羊皮紙越しの白地には、案の定、見計らったかのように文字が浮かんでいた。


 ――『これでまたひとつ、未来は変わったわ』


 黒いインクは、詳細を確認しない。

 空の向こう側から観察でもしているのか、ただただ完了を褒める。「それで正しい」でめる。

 そしてまた、私が居なくなったあとの、ハルマの日常を伝えてくれて。幾日かしたあとに、思い出したように指示が飛んでくる。


「……。」


 出口の扉に手をかけ、ピタリと動きが止まった。頭の片隅に、微かな、けれど無視できない可能性が浮かび上がったせいだ。

 ――もしそうだとしたら?

 この考察が当たっていたとしたら、私はもう、未来の私を信じられない。このまま指示どおりに行動するなんてもってのほかだ、


「ガラスの、魔女」


 こぼした単語は、届くはずもない時間の彼方へ向けられていた。私であって私でない、別の存在を差していた。

 硝子扉の先、外の光を睨めつける。


 羊皮紙をポケットに突っ込み、ハルマを背負い直す。

 背中の重みを落とさないように、話さないように、扉を押した。踏み込めば、夏の生暖かい風が頬を撫でた。

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