三章 夜、炭酸を噛む

オモイデ

 彼は独り言のように言った。

 「未来がわかれば、死を克服したも同然なんじゃないだろうか」と。

 たしかに、死が定められているとはいえ、詳細な日時は決まっていない。だいたいこの頃にやってくる、おおよそこのくらいの時期に訪れる、くらいの感覚で、私は交通事故にでも巻き込まれるのだろう。ならば、常にこれから起こる出来事を把握していれば、自ずと死を回避する道筋もみえてくるかもしれない。

 けれど彼はこうも言った。

 「でもその方法は、君を自由から遠ざける」と。

 想像してみれば、頭がおかしくなりそうな人生だった。すれ違った人、通りがかった建物、毎日降りる夜。すべてが警戒すべきものへと変わり果てる。常に『死』の瞬間に備える必要性が生まれる。

 私が涼しい顔で「気が遠くなりそうね」なんてうそぶくことで、その会話は終わりを迎えた。ハルマはそうしてまたひとつ、私を生かす方法を諦めたのだった。

 そも。未来を知ったところでどうするというのだろう。もし仮に、「お前は十二月三一日に電車に轢かれる」という未来をみたとして、魔法ではその結末を覆せない。なぜってそれは、魔女の寿命だから。寿命としての死には、魔法は通用しないという。

 しかし興味はある。

 彼のまえではクールに振る舞っておきながら、隠れて未来を覗いてみた。ガラスペンを買って、ノートを買って、徹夜で魔法を編んで。

 せめて死ぬまえに、未来のなにかを知れたなら。そう思っていた。それが彼に関することならば最高だ、なんて些細な希望を抱いていた。

 しかし告げられたのは、私がなによりも恐ろしい未来だった。


 ──このままではハルマが死ぬ。


 不吉な言葉が、紙面に浮かんでいた。

 ランタンを灯した自室で、私は固まっていた。屋根裏部屋の静謐な空気も、天窓から差し込む月明かりも、暖かなオレンジ色のゆらめきも、砂のように落ちていく。カチコチ、針を運ぶ時計の音が静かに息をしていて、時間という概念に置いてかれるような感覚をおぼえた。傾けたペンの影が、アメみたいに伸びる錯覚もみた。

 それほどまでに、ショックで動けなくなっていた。


「なに、よ、それ……」


 何の気なしにノートを購入し、限られた時間を記録しようと思い立った私に、見たくも知りたくも、信じたくもない現実を告げられる。

 混乱で頭が真っ白になったまま、私はひとり、自室に止まっていた。

 ポタ、とペン先からインクが溢れた。雑にインクボトルへつけたせいか、止めたガラスペンは一滴の黒を落とす。

 紙面に染みをつくった跡に、言葉はじわりと浮かび上がった。


 ──動揺してる?


 している。

 なにがどうなってそんな結末になる。私ならともかく、魔法も使えない一般人がなぜ命を落とすのか。文字の主は、私が原因だとでも言いたげじゃないか。

 いや……そうなのかもしれない。

 魔女として、関わるべきではないのかもしれない。それでも離れられないほどに心酔しているのであれば、仕方がないことだが。刻んだ時間が作用する度合いは測り知れない。

 私はようやく力の戻った腕を動かした。


 ──あなたはだれ。


 やや間があって、返答が浮かぶ。

 浮かんでは消える、綴られた文字。その形には、どこか見覚えのあるくせが見え隠れしていた。


 ──私はガラスの魔女。数年後のあなた。


 よぎった可能性は的中する。つまりこいつは、やがて至る自分というわけだ。しかし、なおさらに疑問は深まった。

 『ガラスの魔女』には、もう残り一年とすこしの時間しか残されていないはず。でも、結末を知り、ノート越しに語りかけることのできる人物など、私以外有り得ないだろう。

 つまり、魔女が死ぬことはなく、代わりにハルマが死んだ未来が待っている、ということである。素直に喜べない結末は、どのようにして訪れたのだろう。未来とそこまでの過程に全く想像がつかなかった。

 ペンを走らせる。


 ──ハルマが死ぬってどういうこと?


 言葉そのままの意味。と、自分なら応えるところだろうが、訊きたいのはそうじゃない。もっと詳細を訊きだして、問い詰めたい。

 ノート越しの彼女はそれを悟っているのか、簡潔に言葉を返した。


 ──ハルマが私を復活させた。命を対価として。確かめるまでもなく、あなたが一番理解しているはずよ。


 それこそは、魔女の宿命。高校進学の年を待たずして、魔女には死の運命がもたらされる。避けようのない現実として、非現実的な決まりごとが私を縛る。

 それを覆すとなれば、もっとも有効で確実な手段はそうなるだろう。辞書をめくれば、『生け贄』という顔をしかめるような単語が当てはまるのだ。

 なにをとち狂ったのか、未来のハルマはそんな決断をくだしたというわけで。そして私は、止めることもせず犠牲にしたというわけで。


「……、」


 ぎり、と奥歯を噛みしめる。

 あんたは私なんじゃないのか、どうしてそんな結末を許容してしまったのか。投げつけたい罵倒がいくつも浮かぶ。いきどおりが沸々と湧きあがる。

 しかしそんなこちらを気にする様子もなく、彼女は続けた。


 ──あなたに未来を教えてあげる。救いを約束する。その代わり、あなたは自分の感情を押し殺す必要がある。


 頭がいたくなる話だった。

 私のことだ。彼が人生を燃やしたのであれば、現実を塗り替えようと躍起になる。

 この、くすぶった淡い感情を育てあげたのならなおさらのこと。紙面ごしに、ひしひしと圧を感じた。

 ……未来の彼女は、三上春間という貴重な一個人すら取り戻せないほど行き詰まってしまったのだろうか?

 ただただ救われて、恩をかえすことすらままならない。そんな状態だとしたら、こうして命じる意図も納得できる。彼女は自分を反面教師として、過去に語りかけている。私の感情がなにを左右する? そんな疑問さえ些末で、魔女は過去をとおして未来を変えたいのだ。

 『救いの約束』と彼女は言うけれど。その救いは私の心臓と引き換えであることは明白で、私はなんとなく理解できてしまった。

 彼女が二度間違える可能性はあるが──まぁ、今は置いておこう。

 未来の私が抱く思惑がどうだろうと、根底にある願いは察せられる。同じ自分であればこそ、彼を優先するのは当然だった。

 ……従ってみよう。

 最悪、助言の活かし方は決められる。それがヒトという生き物なのだから。


 ──わかった。


 ペン先が、返答を描いた。

 腑に落ちない感覚を漠然と抱きながら、私は彼女の反応を待った。


 ──じゃあ手始めに。そこから十ページ、破りとって。


 新品のノートを早速破るのは、それなりに罪悪感があった。躊躇い、ノートに手を添えたまま動けずにいる私へ、有無を言わせぬ文字が囁く。


 ──ハルマを死なせたくないのなら、覚悟を決めなさい。破ったらお出掛けよ、私。身支度をしなさい。


 未来の自分は淡々とした物言いで指示を出した。

 外は黄昏、時計の針は葛藤を刻んでいく。紙面に浮かんだメッセージが背中に汗をもたらして、息を呑んだ。

 これで救えるなら、私は『魔法使い』として従わなければならない。やれ、と自分に言い聞かせなければ変えられない。他でもない魔女の言葉ならば、きっとそれはハルマのために放たれたから。


「……ッ、」


 もやもやとした内心に戸惑いながらも、『死なせたくないのなら』という文言に背中を蹴飛ばされ──腕に力を込めた。



◇◇◇



 郵便局から出た私は、隅に寄って、紙と会話した。真夏の気温から意識をそらすように、日陰で目を細める。これで手元に残ったのは、破られた数ページだけだ。ノートはタイムカプセル郵便で送りだし、手元を離れた。これでいいのかと問うまでもなく、「それでいい」と簡素な言葉が贈られる。

 最善な結末を迎えるため、自分の過ちを正す。キーとなる未来を知ることは有効なはず。


 ──それでいい。


 音なく言葉がかけられる。しかし返答しようにも、手元にインクはなかった。


 ──これから会いに行くのでしょう? 行きなさい。ただし、


 文字は一方的に釘をさす。


 ──あなたが踏み込んだその瞬間に、彼の『死』は決定づけられる。腹をくくりなさい、ガラスの魔女。ハルマを死なせたくないのなら。


 浮かんだ忠告をひと睨みしてから、私は日陰から歩きだした。

 破りとった羊皮紙は、四つ折りで懐に突っ込む。自分に人目を避ける魔法をかけて、考えごとをしながら住宅街を進んだ。

 未来の魔女は、まるで野鳥の目を借りているかのような言葉を綴る。私がノートを郵便に出したことで、さっそく変化が起こったのだろうか。にしたって、こちらの反応を待たないのは出来すぎな気がする。まさか未来の私は、魔女としてさらに悪賢くなっているとでもいうのか。

 まぁいい。今考えても仕方がない。

 重要なのはひとつだけ。私は感情を押し殺す必要があるということ。つまり、魔女の寿命については明かしても、本心からの願いだけは明かすなということ。


「……腹をくくれ、ですって?」


 無意識に歩調を荒くしながら、私は悪態ついた。

 街ゆく人々から注目されることはない。大きな魔女帽子をかぶっていようと、いくら大きな声で叫んでも。それをいいことに、盛大に毒を吐く。


「たいそうなものね、未来の私は!」


 そんなのわかってる。覚悟が必要なんでしょ覚悟が。

 気分を和らげるべく、コンビニに立ち寄る。店内の涼しさと気温の落差をものともせず、颯爽とペットボトルを手にレジへ。

 そして自動ドアを一歩出てすぐに、プシュッとフタを捻るのだった。




 ──数時間後、『腹をくくれ』の意味深さを味わうとも知らず。





「俺は、君との時間のために魔法をつかいたい」

「──、」


 屋上。束の間の静寂。

 ただ一言放たれたソレは、私の胸に矢のごとく突き刺さった。綺麗に、中心を射抜くように、はじめから命中することが決まっていたかのように。

 トモダチになってくれたら、好きな魔法を使ってあげる。そんな口約束を持ち出した結果、彼から飛び出た結論がソレだった。


「ちょ、あなた本気……? なんでもできるのに? いや何でもっていうのは大げさだけど、億万長者になるだとか、好きなヤツを惚れさせるとか、記憶弄って人生出世コースとか、そういうのは!?」


 ハルマは首をよこに振った。


「な、にそれ……なんで私なんかと……そんな媚び売らなくても、ちゃんと魔法は使ってあげるって、」

「これはそういう話じゃない。単純に、俺は君と過ごしたいだけだよ。そういう『約束』、だったろ」


 「わからないか?」とでも言いたげだった。

 なんだこいつは、というのが本心だった。

 魔法を自己欲求のためではなく、ただ私と過ごすために使いたいと、彼はそう答えていた。

 まさか、彼がこんなにも私に惹かれているとは知らなかったし、こちらからの一方的な感情だと思っていた。それだけに、意外すぎてどうにかなりそうだった。

 身体の奥からかつてないほどの熱が湧き上がってきて、背筋にぞくぞくとした緊張にも似た感覚が走る。自分が引き笑いしている気がして、自分が抑えられなくなりそうで、怖くなった。


「そういうこと……なの? 『腹をくくれ』って……」


 ノート越しにされた忠告に、今さら恐怖する。

 とんでもない威力の爆弾だ。これは構えていればどうにかできるというモノではない。私が私だから、彼が彼だから、とんでもない衝撃となって襲う。


「魔法使い?」

「い、いや、なんでもない。気にしないで」


 心臓が鳴ってどうにかなりそうだ。

 気取った冷たさが沸騰しそうだ。

 三上春間。『人避けの魔法』を何食わぬ顔で踏み越えて、私と世界の境界を越えるひと。魔法という不相応な異能を持つ私を怖がらず、ただ純粋に、対等な人間として並びたってくれる者。

 その彼が、真摯しんしに本能を引き出していく。

 想定外だ。いや、想定できても耐えられるわけがない。


「──、」


 『君との時間のために』。

 声はまず、再生される。

 私との、時間。なんてことない、現実に詰め込んだ隙間時間の連続を、彼は望んでいる。道具として見るでもなく、踏み台として利用するでもなく。

 私は彼に迷惑をかけているかもしれない、とさえ危惧していたくせに、嬉しさを覚えてしまう。

 ブラウスの首元をあおぐフリをして、動悸を抑えた。踏み込めば、すべては瓦解する。ハルマは命を落とす。確証がなくとも、危険な橋は渡りたくない。

 ガラスの魔女は冷淡に、そっと感情を押し殺した。いつもより二割増しで虚勢を張って、私は答えた。


「それで? 具体的にどうすればいいの」

「今までと変わりなく。魔法使いはいつもどおり強引に、無遠慮に連れ回せばいい」

「強引って。これでも私、あなたの意思は尊重してたつもりなのだけど」


 ウソだ。

 実をいうと、会うたび会うたび、ひとり反省会をしている。今日もあなたという存在に縋って、迷惑をかけてしまった。


「たしかに尊重はしてたな。意図的に孤立させたり、ここぞというときにだけ天候を操ったり、一日の最後の授業だけ自習へ追い込んだりはしてたけどな」

「ぅぐ……い、いいじゃないそれくらい。刺激的だったでしょ」

「ああ。陰湿と呼んだほうがしっくりなくらいね」

「……私との時間、イヤなの?」

「イヤじゃないよ。あれでも楽しみにしてた時間なんだ。だからこうして魔法の使い道として提案してる」


 油断も隙もない。微かな期待すら裏切らない。


「ふ、ふぅん。そうなんだ。そうなのね。わかった。じゃあこれまで以上にしつこく付き纏うけど、それでもいいの?」

「いいよ」

「あなたの時間を奪う。構わない?」

「構わない」

「後悔するわよ」

「少なくともこの選択に後悔はしない」

「バカ」

「短すぎる寿命を明かしたのが運の尽きさ」

「……」

「……」


 ……彼は、ズレている。

 他人にここまで委ねることができるのは珍しい。魔女相手ならばなおさらに。他人のことを言えたわけではないが、彼の価値観はもはや異常だ。

 顔があつい。

 もうほんとに、勘弁してほしい。

 このままでは化けの皮が剥げる。魔法で誤魔化さなければ、と考えて、彼には耐性があることを思い出した。最初に私のまえに訪れたのも、彼の特別な体質によるものだった。

 私はなにか逃げ道はないかと探し──つい、帽子のつばをつかんだ。そのまま引き下げて、顔を隠す。


「魔法使い? いいんだろ、俺の言った使い方で」

「っ、……」

「おーい。別に意地悪しないよ。俺が決めた使い方だからって、炭酸は禁止なんてこともしない」


 彼に問い詰められる。心境が見透かされていることにより恥ずかしくなる。彼のまえではいつだって、ガラスの魔女という穢れを知らない存在でなければならない。そうであることを願っているし、これまでもそうやって良い顔をしてきた。

 それが、今日はじめて覆させられている。

 羞恥と混ざる不思議な感覚がどうしたらいいのかわからなくて、じっと堪えるように心臓を落ち着けようと試みる。

 ハルマ。

 三上、ハルマ。

 頭から離れない。

 未来の私は『踏み込むな』と言うけれど。ここまでされたら、決意も容易く揺れ動く。死をもたらす運命を嫌ったくせに、別の意味で「運命」を感じてしまう。

 ……ああ。あと先考えず浸りたい。心の赴くまま独占したい。

 底なしの衝動に抵抗するため、ごくりと喉を鳴らすが、それがさらに欲求を色濃くしてしまった気さえする。頭のなかは危険信号で埋め尽くされていた。

 静かに深呼吸を挟み、私は思いついた。この状況。この時間。この問答を、なかったことにする方法を。

 許して。私を恨んでもいい。そう心の中で謝罪しながら、逃げる道を選びとる。

 そして私は、これだけは通じますように、と願った。



「……わ、わかったわよ」



 言葉とは裏腹に、そっと、震える指を持ち上げる。

 やはり、『魔法』は度しがたい。こういう残酷な使い方を選んだときに限って――成功してしまう。

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