二章 魔女である必要性

2-1

 ガラスの魔女は魔法をつかう。

 わかりきったことだ。魔女であるのなら、現実に変化をもたらさなければ存在として相応しくない。実際、魔女に扱える魔法は幅広く、様々だった。

 例えば、天気予報をはずすこと。

 例えば、びた錠をこわすこと。

 偶然起こり得る出来事を引き寄せる──そういう視点で魔法を使えば、大抵のことは実現できてしまう。偶然でも引き起こすことが難しいのであれば、複数の偶然を掛け合わせばいい。視点を変えたとしても、モノを指先で動かすくらいはお手のもの。なんなら傘で数秒飛ぶことだってできるだろう。

 しかし、それにも限度というものがある。

 扉を指を振るって閉めることはできても、椅子を自分で歩かせることは不可能に近い。だってソレは、本来起こり得ない動きだから。扉には『しまる』『ひらく』という動作が定められているのに対し、椅子には『歩く』という動作は組み込まれていない。


 つまり、穴あきバケツ。

 魔法なんて、万能にみえて万能ではないチカラ。


 かつてハルマに言って聞かせたとおり、私にも不可能なことはある。不可能なことばかりだから、こうして大切なモノを取りこぼしている。


「……、」


 意識から雑念を取り除いていく。

 ここが三上ハルマの自室であることも忘れていく。

 指先でつまんたビー玉、表面の滑らかさと軽さ、それすらも意識からはずしていった。

 数時間まえに集めた熱を冷まし、床に立てた膝の痛みが痺れへと変わっていく。

 湖面をイメージ。底はみえず、波紋はゆるやかに広がっていく。羽を浮かべるほど、優しい設置を心がけた。

 ──不可能なことばかり。それでも、ある種の壁を打ち破る方法はひとつだけある。

 そう、私は魔女。『ガラスの魔女』。

 あるときはガラスを介して、あるときはガラス自体に魔法をかけ、現実をより捻じ曲げることができる。

 ライター代わりにしかならないような魔法も、ガラスを介すことで実用的になる。


「──導いて」


 薄く目をあける。

 ハルマの自室、その中心に膝をつく自分。床に置かれたからの写真立て、その上に置かれたビー玉と、伸ばされた自身の腕。

 固唾を飲んで見守る四人の影を背中に感じながら、そのどれもが私の意識から消されていく。

 私は落ち着いた沈黙に羽を浮かべた。

 ここには、孤独に魔法をつかう魔女がいるだけ。そういう風に、心の持ち様を誤魔化して。

 そっと、指を離した。

 写真立ての上、体温から解放されたビー玉は、静止した状態からゆっくりと動きだす。

 過去とは連続した足跡である。であるならば、たどることだって不可能じゃない。人々は損失に気づかないけれど、覚えているヒトはいる。生きていた証も残されている。魔女にもどった今、追いかけることくらいは朝飯前のはず。

 願わくば、彼の居場所へ導いて。

 そんな祈りはしかし、異音に遮られた。


 パキ、という、おそろしく軽い、亀裂の声に。


「──、」


 写真立ての上で方向をさがし、揺れていたビー玉。それが、ふいに割れた。コルク板の上に破片を散らし、二対の亡骸が転がった。

 空気が張りつめる。

 あまりの結果に目を疑う。

 写真の持ち主を探そうと、そう思って魔法をつかった。けれどビー玉は足跡をみつけるまえに、指し示す素振りもなく砕けてしまう。それがなにを意味するか、瞬時に悟った。


「あの、魔女さん……?」


 不安げな声に返事もせず、そっと膝を立てた。写真立てから欠片を拾う。細かい粉を落として、二対の半球だけが指に触れた。まるい輪郭はみる影もない。透過した光を蒼く染めていたのが、今は不規則な反射をしていた。無惨なソレをみつめていると理性が揺れそうな気がして、隠すつもりでポケットに突っ込んだ。

 一度、奥歯を噛み締めて、弛緩させる。

 ――落ち着け。

 わかりきっていたことだ。そうすんなりといくはずもないことだ。この程度、予想できた範疇はんちゅうだ。言い聞かせて数秒。思い出をフラッシュバックさせて数秒。はぁ、と短い吐息を境に、すくっと立ち上がる。

 魔女帽子のツバを翻すと、不安げな顔がふたつ、そこにあった。


「……なによその顔は」


 なんでもない風を装う私に、パツキンとハルマの妹が顔を見あわせる。


「い、いや……」

「ど、どうなったんですか? 今の魔法、は」

「良い結果ではないわね」


 懐で破片を弄びながら、ふと指を切るかもしれないと思い至り、手放す。

 ビー玉が割れた、というのは――それなりに厄介な結果だった。


「ま、一言でいえば……とっても遠いところにいる、って感じ。無理に探そうとしないことね。あと取り乱しても意味がない」


 妹がハルマに似た心配顔で、私に訊く。


「魔女さん、大丈夫なの?」

「は、」


 大丈夫に決まってるじゃない。

 そう答えようとして、ノドが詰まった。まるでラムネ瓶のくびれに挟まるビー玉みたいに、言葉が出てこなかった。

 『大丈夫なのか』――?

 そんな言葉をかけてくれる人間は、彼だけだった。他のだれもが、私を心配することはなかった。だというのに、何の因果か、彼女にソレを言われるなんて。


「……」

「えっと、魔女さん?」


 怪訝そうにこちらをみるふたり。廊下から、木陰少年とシオンとやらも視線を投げてくる。

 なるほど。

 感情は、思っているより制御できないらしい。

 私は静かに落としていた視線を、持ち上げた。


「帰る」


 言いながら部屋を去る私を、四人は道をあけて避けた。

 現実は非情だ。死者を取り戻そうと抗う行為自体、正しくない目的であって、何であれ阻止しようと立ちはだかる。でも、だからといって諦める理由にはならない。

 燻った感情は熱くもない。冷たいまま、ただひたむきにどこかを目指していた。

 階段を降りる。玄関へ着き、腰を落とした。履き慣れた編み上げブーツ――かつて彼を連れ出すときには決まって選んでいたソレへ足を通し、身体で覚えたように靴紐を結んでいく。これからすべきこと、順序、必要な過程を、積み木を重ねるように、考えながら。

 ドアに手をかけたところで、ひとりだけ、気配が降りてきた。


「待って」


 押し開けようとした腕が、ぴたり、と止まる。

 振り返らずに、ヨシノに返事をした。


「なによ」

「えっと、お礼、したくて」

「……引きずるのね、あなた。数年前のこと、借りだなんて思ってないでしょ」

「そんなことない。私の記憶を奪ってくれたから、あたしはここにいるんだよ。人によって意見は様々だけど、少なくともあたし自身は感謝してる」

「そ。私は貸しのひとつにも数えてない。ハルマの部屋をみせてもらう口実に使っただけよ」


 じゃ、と告げて会話を切ろうとした。この状態であまり感傷に浸りたくない。強がってはいるが、これでもビー玉の結果には打ちのめされているのだ。感情のままに突き放してしまうまえに、今日はあっさりと消えた方が皆も気が楽だろうし。

 しかし、次に投げかけられた言葉を耳にして、す、とドアノブから手を離していた。


「なんで魔女さんは、私の記憶を奪ってくれたの?」


 ハルマの妹は、抱いて当然の疑問を口にした。

 ちくりと、胸の奥に針がささった。

 あの魔法は、あまり好きな魔法じゃない。それを探られるのは複雑な気分になる。振り返り、冷たい心のまま応える。


「私があんなことをしなくても、あなたは命を選んだでしょう。ヒトは『死』を乗り越える生き物。あなたはハルマの血縁なのだから、きっと強く乗り越えていたに違いない。つまり、気まぐれで奪っただけよ」

「ちがう。今、ウソついた」

「……」


 言い当てられ、軽く睨む。

 ハルマの妹は一瞬だけたじろいで、また視線をこちらへ固定する。


「あなたはそんな適当な理由で私に魔法はみせない、気がする。本当の理由はなに?」


そんなの、決まっている。


「ハルマのため。彼の悩みを引き出し、強引に解決させてもらった。ただそれだけのこと。私はね、『魔法使い』なのよ」


 そう、たったそれだけが、私を引き留めるアンカーであり、生を追い求める意味だった。

 帽子の下で目を細める。彼女のもつハルマの面影を重ねて回想する。

 汚れを知らない、曇ることのない、真っ直ぐで強い、澄んだ在り方──彼は、自分をそう評した。私の魔法は残酷なだけではない、とも。彼は魔女としての私、儚い人生、刹那の命に美を見出した。がむしゃらに、身勝手に生きていただけの、この道を理解してくれた。

 私はハルマが好きだ。

 彼と過ごす時間がこの上なく好きだった。

 毎日、それだけが希望でもあった。

 ならば、彼だけの魔女として尽くすことになんの抵抗があろう。むしろ悦ばしくもあるほどなのに。

 ――もちろん、不甲斐なくはある。

 魔法使いは頼りない。魔法使いは役立たず。魔法使いは無力。未だに運命を騙すこともできず、ビー玉の魔法に『三上ハルマは居ない』と告げられていた。

 ここにいる私は、とても彼には届かない。海に沈んだ宝石を探し出す手段を、私は持たなかった。

 ポケットで握り込んだビー玉が、痛みを突き刺す。

 それでも、立ち止まることはしたくないのだ。探して、求めて、可能性はことごとく試すしかない。それしか、私の生に価値はない。他に費やす時間すらない。

 答えになった? と肩をすくめるが、しかしハルマの妹は依然として納得いっていない様子だった。


「お兄ぃのため。お兄ぃが好きだから。――たしかにウソじゃないけど、それだけ? あなたたちがしたことを思い出してから、ずっと考えてたよ。魔女さんが記憶を消したのには、別の理由もあったんじゃないかって」

「へえ。なにを根拠に?」

「魔法の使い方に、信念みたいなものを感じる」

「――、」


 やはり、似ている。

 性別はちがう、瞳もちがう、髪色がちがう、趣味嗜好がちがう。だというのに、そういう目ざといところはハルマと近しい在り方だ。こうして対面していると、無意識に彼との共通点が目に付く。

 熟考し、答えを導き出す。私が欲して止まないヒトと同じ波長で、彼女は考えを述べている。なら、こちらからも訊ねることはある。


「……あなた、死ぬつもりだったでしょ」


 四年前の事故を理由に。

 簡潔な問い。否、問いにも満たない確認に、彼女は数秒して頷いた。


「本当のことを言えば、あの日、病室であなたと対面するまで、魔法を使うことに抵抗があった。私、記憶を奪うならともかく、いじくる魔法なんて嫌いだもの。行使するだけでも吐き気がするくらいにね」

「でも、あたしに会って気が変わった?」


 ええ、と首肯する。

 ちら、と玄関扉の曇りガラスをみる。外の光は、まだ昼の色だった。私にとってはそう遠くない記憶だ。精々が数ヶ月まえ。あの日も、外の明るさはこんな感じだった気がする。


「ハルマが察するくらいに、当時のあなたは罪悪感で首を絞めていた。事故による骨折がなければすぐにでも身を投げそうなほど。その様はまるで――、」

「……まるで?」


 ああ、苦い思い出だ。

 私はよぎった感情を押し込めて、一呼吸で気分を整える。


「まるで、鏡をみている気分だったわ」

「それは……魔女さんと一緒ってこと?」


 私は視線をわずかにそらした。


「一言に死ぬといっても、意味があるかどうかで価値はかわる。病室で虚空をみつめるあなたの意思は、誰かの代わりになるでもなく、ただ解放されたいだけの自殺願望に思えた。昔の自分に似ている気がした」

「それは……うん、苦しいのがイヤだったのは、否定できない」

「今でこそ、私は私が死んでもいいと思っているけどね。でもそれは、ハルマの代わりとなれるのであれば、という前提があってのもの。しかも最終手段の選択よ。手軽に選ぶやり方じゃないし、意味のない死に方はしたくない。でもかつては私もあなたと同じく絶望していた。今のこの在り方とはほど遠い、限られた時間に希望も夢も見出さない、閉じた生き方でしかなかった」


 ハルマに出会うまえの自分というのは、それこそ生きる気力もない、ただの抜け殻のようでもあった。彼すら、知る由もないくらいまえのことだ。


「あなたの記憶を消したころには、私はもう人生の意味を得ていた。大切なものがひとつ、決まっていた。だからあなたをみた瞬間に、花瓶の魔法をつかうことを決めた。半ば反射的に」


 そこまで話して、軽く苦笑いする。

 魔女帽子のした、前髪を指ではらって、空気を緩めるように、彼女を見据える。


「要は、同族嫌悪ね。納得した?」


 そんな私を、ハルマの妹はしばし呆然と眺め、


「ふふっ、人間くさい」


 と、笑った。

 思わずム、としてしまう。咄嗟に彼女は「ごめんなさい」と両手を振り、気を紛らわすように、視線をよこに向けた。

 視線をなぞると、靴棚のうえに一冊のシンプルなノートが置かれていた。


「それ、お兄ぃのノート。去年の春にとどいた」

「……私が送ったやつ」

「そう。持っていって。今はあなたが持っているべきだと思う」

「私が、」


 引かれるように手を伸ばして、パラパラとめくった。

 薄いページ数に、それなりに内容が書き込まれていた。たしかに、先日ハルマの部屋でみかけた日記と同じものだ。写真立ての方を優先していたため、あとまわしにしていたけれど、やはり一度目を通すべきだろう。

 すこし弛んだ側面が、半分ほどのページに書き込まれていることを示していた。


「あのお馬鹿、律儀に書いてくれちゃって――、?」


 ノートの後半は白紙のまま。

 しかし、途中でなにかがみえて、両手でノートをしっかり持った。食い入るように目を落とし、後ろの方からめくりなおす。そして、一文だけ残されたそのページにたどり着く。


「魔女さん? どうしたの?」


 短い単語の組み合わせを視線でなぞり、私は息を呑んだ。



 ――『。』



 視線がそこで固定される。意識がインクの跡へと注がれる。

 頭のなかで、文字の正体を探った。思い当たる節はない。筆跡はハルマのものではない。唯一わかることといえば、文字が滲んでいない――つまり、ガラスペンで書かれたわけではない、ということくらい。

 間違いなく、第三者が残したものだ。ではだれが……?

 記憶を遡り、ことの発端を思い出す。なぜ私はコレをタイムカプセル郵便に出したのだろう? なぜ、私は未来を知ったのだろう? そんなの決まっている。

 言われたからだ。教えられたからだ。私自身に。

 そうするよう言われたから、私はこのノートをハルマへ送った。なんなら最初に会話したとき、真っ先にそう仕向けられ、応じた。

 過去の私は、この紙面を介して未来を聞かされたのである。

 ノート越しの『ガラスの魔女』は、ハルマの何でもない日常を、たった一度の再会を綴ってくれた。何もしなければ彼が死ぬことも教えてくれた。最善の未来へたどり着くためにどうすべきかを告げた。それが、今こうして再度、私の手に収まっている。

 そして、この身に覚えのない一文。

 最初からこうなることが決まっていたかのような感覚だ。ならきっと、この文字は……。

 軽い重みを指で感じ、思わず吐息がこぼれた。

 途端に、このノートがとんでもなく大事なものに思えてくる。居なくなった彼との繋がりが、この一冊に込められているかのような、不思議な感覚。遠くへ行ってしまう幻がよぎって、手放すのさえ怖くなる。


「――、なんでもない。コレ、預かるわ」

「……うん。じゃ、がんばって」


 ハルマの妹がそうこぼす。顔をあげると、すこしだけ困った風に笑いかけて、踵を返す。かと思うと、階段に足をかけたところで、背中越しに言葉を残していった。


「やっぱり、お兄ぃには、魔女さんのとなりにいてほしい」

「え?」

「なんでもない。応援してます、ってこと」


 たんたん、と、スリッパの音が遠ざかる。

 玄関に取り残された私は、妙に染みこんでくる声音を不思議に思いながら、すぐに振り払った。

 ノートを握る手には、熱がこもっていた。


 ――できることは、限られている。


 改めて掴んだドアの取っ手は、ガチャ、と音を立てて、外の光を透かした。

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