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 やがて、明るい場所に出た。日光を遮るものは葉を染める樹木だけで、開放感がある場所だ。右には茶色い芝生が広がっていて、その周囲を頼りない柵が囲っていた。鉄棒と東屋が、かろうじて公園を成り立たせている。対する左側はというと、アスファルトの駐車場が整えられていた。しかし車も自転車もなく、今はがらんとしている。

 突き当たり──看板のまえで足を止めた。

 『葉鈴河川敷』という黄色い文字は、相変わらず掠れていた。雨風に晒された末に、着色料の消えにくい成分だけが残ったのかもしれない。そんな小さな不変さに、私は安心感を覚えてしまう。もはやこいつにとっては、一週間も三年も同じことなのだろう。

 くい、と顔をあげる。

 秋にしてはのどかな空模様が、コンクリートの階段を上った先に待っていた。

 背後を一瞥すると、複雑な表情を浮かべるふたりが私をみた。きっと、知らないところですれ違いがあったのだと思う。自分とハルマをとり巻くがゆえに起こった、掛け違えたボタンのような関係性。浮き彫りになった価値観の齟齬そご

 私は手っ取り早く「喧嘩」と表現したけれど、その実、彼女らの抱えるソレはもっと苦く重々しい。

 もとを辿れば私の所為だという自覚はある。ゆえにこそ、爆弾みたいな魔女と引き合わせるのは気が進まないのであろう。

 でも、引き返すことはできない。

 迷って、泣いて、苦悩して、私はこの未来を選んだ。ハルマが望んだように、私も合わせた。ならば、『会わない』という選択は考えられない。

 踵をかえし、私は階段に足をかけた。





 夏は青々としていた土手も、秋に入れば色彩を変えはじめる。眺めたさきにかかる橋、流れる水のせせらぎ、頬をなでるそよ風、記憶の地形とは寸分違わず。ただ、違和感のような年月の気配はたしかにある。

 ハルマがいない世界。

 かつてはなにも感じず、あたりまえのように歩いた風景が、今はもの寂しさで溢れている気がした。

 ふと視線を感じ、見下ろした土手から右に目を向けた。

 伸びた道の向こう、ちっこい女の子と並び、川と対面する少年がいた。

 少年の髪は長めで、穏やかな雰囲気をまとっていた。ガラスの魔女であると知りながらも眼光を光らせることはない。背後のふたりの反応とは大違いだった。目前にはキャンバスが立てられており、腕にはパレットと筆。芸術の秋、とヒトは言うが、こんなにも体現している少年は珍しい。

 対して、傍らのちっこい女は見るからに騒がしそうだ。ハルマが『歩くスピーカー』と呼んでいたのは、おそらく彼女のことだろう。切り揃えられた前髪を揺らし、キツネめいた瞳が私を観察していた。

 と、少年の方が彼女に話しかけた。指を立てて何かを伝えているが、内容は聞きとれない。

 自然と、足先がそちらへ向かう。

 昼まえの時間帯ということもあってか、周囲はとても静かだ。彼らのさらに向こうには、記憶に刻まれた緑のトンネルが口をあけている。季節の変遷に合わせ、今は茶色を混ぜ込んでいる。さわさわと擦れる葉だけが、環境を、意識の届く範囲を占めていく。

 ある程度の距離を残して、立ち止まった。後方で動かないふたりの妙な緊張が伝わってきた。

 改めて彼を見据えると、見定めるような視線が私を貫いた。

 落ち着き払った物腰。こうして対面すると、思っていたより中性的な顔立ちだ。


「お元気? 少年──いえ、木陰クン」


 気さくな挨拶のつもりで、帽子の下から笑みを浮かべる。すると相手の方も、ふ、と破顔した。


「君がガラスの魔女だね。先週の邂逅をカウントしないなら、久しぶり、とでも言うべきかな。お噂はかねがね、主に三上から聞いてるよ」

「あら、それは光栄ね。これでも影は薄い方だと思っていたのだけど」

「それは世間の話さ。僕らに限って言えば、君はまさに台風の目だよ。青春の苦悩も、人間関係の痛みも、とある友人の片想いも、大抵の事情には、君が関わっていた」

「片想い、ね」

「そう、片想い。熱く冷たく、苦く甘く。でもちょっぴり人よりビターかもしれないね」


 たしかに、片想いといえば片想いなのだろう。

 私はあらゆる感情を秘匿した。なかったことにした。自分の欲求に従えば、彼はただただ私のために後追い自殺して、なにも成せず、なにも救えない結末をたどると理解していた。

 だから、あらゆる記憶をハルマから奪った。

 私の本心を告げた回数は、すくないがゼロではない。そんな告白への返答も言わずもがな。しかしそのすべてを、私はなかったことにするしかなかった。それが『片想い』と呼べる代物なのか、よくわからなかった。

 木陰少年の目が、一瞬だけ私の後方へと向いた。


「慕われているね」

「ばか言いなさい。これはね、監視というのよ。私がいたいけなあなたたちを傷つけないか、悪事を働かないか見張ってるの」

「ははははっ、違いない!」


 おどける私を、彼は朗らかに笑った。

 そして、


「無理もない。ミノリとヨシノちゃんからすれば、君が三上にした仕打ちは前科だ」


 そんな一言を皮切りに、不敵な空気を仄めかした。


「まあ、ボクとシオンちゃんも共犯者まがいの事をした。そっちのふたりが気まずそうな顔をするのはそういう理由だ」

「詳細を訊いても?」

「おや。三上から、君は未来を知っていると聞いていたけれど?」

「魔法は万能じゃない、とも言っていたはずよ」

「たしかにその通りだ。これでハッキリした。君が知り得る未来には条件がある。いや、限度、といった方がいいかな」


 私は腰に手を当てて、肩をすくめた。

 探偵気取りではない。知ったか振りでもない。憶測を確信へと筋道立てて、彼は暴いていく。


「先週ボクらがやったことは単純さ。三上がステンドグラスを割る手伝いをした。ウソをついて騙し、教会の主を遠ざけ、阻む意志に立ち塞がった。これは知っていた未来かな?」

「いいえ、知らないわね。ま、そんなことはどうでもいいの。過ぎ去ったことだし。今解ったのはひとつだけ。あなたたちがハルマに協力していなければ、私は息をすることもままならなかったということ」

「そうだね。三上が代わりに死んだのも、ボクらが背中を押したからに他ならない。こういう犯人探しはキリがない」


 なんとも、大層なことをしてくれたものだ。その幸運を素直には喜べないが、彼らは間違いなく、三上ハルマという個人の生き方を理解していた。信念、あるいは矜持に共感していた。それ自体はとても喜ばしいものだ。

 『自殺に加担しただけ』と断じられても仕方がない。けれど彼らの決断には、魔女を救うためだとか、彼の悲願のためだとか、そういう譲れないものがある。だから真っ向から「間違っている」「なんてことをしてくれたんだ」と咎めることはできない。その気もない。

 ざわざわと、音もなく迫り上がっていく緊張感。ソレを嘲笑うように、私は微笑みを浮かべた。


「……これで、ボクは君に恩をかえした」

「恩? さて、なんだったかしら」

「ボクは君にもらった魔法に救われたんだ。現在は些細なきっかけや積み重ねによってカタチつくられるもの。魔女との邂逅は、ボクにとって大きな意味をもつ」


 私は目を細めた。


「へぇ。私の気まぐれに対するお礼がコレってこと?」

「そうだ。短い時間を彼と過ごし、死んでしまった君を生き返らせる。三上を手伝ったのは、ボクなりのけじめでもあった。生きる上で定めた使命といってもいい」


 動機としては十分だ。筋が通っている風に聞こえた。

 ただ与えられるだけ、ただ救われるだけでは気が済まない。はたから見れば、ガラスの魔女は不幸な黒猫と相違ない。避けられない最期を背負ったまま先立たれるのは、彼にとって許せないことだったのかもしれない。


「つまり今のボクと君は、与え、返された関係のはずだよね。貸し借りなしの状態。言わずとも、君は理解しているはずだ。理解していないはずがない」

「見当違いね。私のなかにそんな勘定はない」

「じゃあなんだい? 君は、プラマイゼロになった均衡を崩しにきたのかい? なんならボクは大事な友達すらも失って、どちらかというと支払ってるのはこちらな気がするんだけど」


 対等なのに、むしろ失ってばかりなのに、さらにボクからなにかを奪うつもりできたのか。

 木陰という男はそう言っている。

 その疑問は、おそらくシスターの方も同様だろう。

 私は魔女。執着心のままに三上ハルマを振り回し、悩ませ、操っていた邪悪な魔女だ。むしろ当然の反応と言えよう。

 ……まったく。


「はぁぁぁぁああああ──呆れた」


 盛大なため息とともに、私は帽子をおさえた。すこし先の地面に目を落とした。

 背後のシスターとヨシノがぴくりと反応したのを、気配で感じ取る。

 もう、なんだか億劫になってきた。貸し借りとか、使命だなんだとか、どうでもいいのに。

 ただ、私は彼とまた、なんてことない日々を過ごしたいだけなのに。

 どうしてこう、現実はうまくいかないのだろう。

 私は愛想をつかしたネコの気分で、冷ややかに視線を持ち上げる。


「さっき言ったでしょ。私はね、」


 カーディガンの内、胸ポケットに指をすべらせる。

 穏やかに黙っていた空気が風を吹かせた。ひゅ、と時間が動きだす。自分の挙動に周囲が緊張感を高めるなか、



「そういう面倒な勘定はしないの」



 私はなめらかに、握った杖を彼へ向けた。


「──、」


 河川敷に、風が吹く。

 息を呑んだのは、だれだろう。ヨシノか、シスターか、木陰か、それとも険しい表情で見守るシオンとやらか。

 杖は透明で、外気の冷たさを吸っていた。日光を透かし、暗い袖に蒼黒い光を散らした。

 持ち手から杖先にかけ、流れるように輪郭をすぼめ、螺旋を描くように一点に集約する構造。インクはないが、ガラスでできたそのペンは、『ガラスの魔女』にとって大きな武器だ。銃口を突きつける動作と意味合いは重なる。

 人さし指と親指で挟み、ペン先に彼の顔を照準する。真剣な目つきで、しかしまっすぐに私をみつめていた。

 その間に、シスター服がバッと割り込んだ。

 かと思うと、立ち塞がるように両手をひろげる。顔は見たこともないほどこわばっていた。


「や、やめて、ください」


 震える声で、私を敵視していた。

 シスターにとっては、恐れていた成り行きのひとつだろう。

 訴えを無視して、逆に告げる。


「それ以上動いたら、手がすべるかもしれない」


 意味を汲み取れないやつらではない。警告を受けて、また沈黙がおりる。

 また、風が吹いた。

 野ざらしのここでは、よくあたる。視界の先の木々も、ザアザアと葉を揺らす。

 佇むヨシノ、動かないシオン、私を警戒する金髪、そして真意を探ろうとする木陰。すべてに意識を注ぎながら、ハッタリを仮面で隠す。


「なにが目的だい?」


 強盗犯に対するような物言いに、くすりと笑ってしまう。


「そのまえに話しましょうよ」

「もう十分に話したと思うな、ボクは」

「あなたのカノジョは、それを望んでいるようだけど?」

「じゃあ、なにを話すつもりなのかな」

「大事なことよ。これから数分間、約束ごとをするだけ。そしたら、私はあなたから余分なモノを貰う」

「余分なモノ……?」

「そ。あなたにとって不要なモノ。そして私にとって必要なモノ」


 あごに指を添えて思案した彼は、はっとして私をみた。

 理解しながらも意図を汲んでくれるのは、とてもありがたい。ええ、きっとあなたはハルマの親友ね。

 私は空いた方の手で、指を立てた。約束ごとを、声にする。


「ひとつ、私に触れないこと」


 二本目を立てる。


「ふたつ、言葉を挟まないこと」


 三本目。


「みっつ。だれも傷つけないこと」


 この約束ごと、守れる? と、首をすこしだけ傾げた。シスターが木陰少年に目配せをして、眉をひそめた。


「その約束ごとは、あなたにも適用されるのですか」

「もちろん。気をつけて、約束をやぶったら、何が起こるかわからないから」

「木陰さんになにをするつもりですか」

「さっき説明したはずだけど、聞いてなかった? 命に関わることはないし痛みもない、ただ要らないモノを受け取るだけ。私の指示通りにする限りは危害を加えないから、引っ込んでなさい」

「あなたって人は、いつもそうやって──」

「ミノリ」


 シスターの肩を叩いて、木陰少年が首を振った。


「木陰さん……」

「彼女を信用すべきだ。こういう約束は守るヒトだと、ボクは思ってる」

「……、わかり、ました」


 決まったようだ。

 私はガラスペンをシスターへ向けて、指示をだす。


「邪魔よ。どいて」

「……」


 硬い表情のまま、シスターが退く。彼の背後にゆっくりと下がった。

 ペンの矛先を向けたまま、続ける。


「手を」


 木陰少年が大人しく腕をだす。

 それを見届け、私はガラスペンをくるりとまわした。ペンとしての正しい持ち方で、宙に透明を添える。

 この一時だけ、周囲へ向けていた注意を解いた。全意識をペン先に集中させ、ガラスの冷たさを肌に染み込ませた。

 軽く。

 弱く。

 されどもはっきりと。

 差し出された腕の上の空間に、文字を書き紡ぐように、ゆったりとした運びを意識しながら円を描き。

 そして。


 すぅ、と短く息を取り込み、声を注いだ。


「──私は魔女。ガラスの魔女」


 観客が、息を呑んだ。


「──すくいあげる水面の陰り」


 ざわり、ざわり、伝播する。


「──深さを増す夜のとばり


 ひたり、ひたり、澄み渡る。


「──散らばり瞬く星の囁き」


 ぽつり、ぽつり、こぼれ落ちる。


 這いあがる正体不明の身震いに比例して、場の緊張感は増していった。

 冬の先取りたる風があたりを過ぎ、砂ぼこりを巻きあげる。雑草のさきを切り、川の水面に偏りをもたらし、騒がしく枝が呼応する。生き物みたく、うねる世界。

 ある者は目を見張り、ある者は怯えながら周囲を見回す。淡々と唱え、真っ直ぐ射抜くように視線を注ぐ私に対し、無知な人々は困惑に支配されていく。

 また、くるりとペンをまわす。

 透明な奥に紺色の軌跡が混じり、尖った先端がふたたび彼の顔を指す。筆を持つような指の位置。垂直に定められた細い芯。俯瞰する八割が意識から外れ、そのすべてが一点に集中する。

 ガラスのペン先、差し出された腕が仄かな光を放ち、それがひとつに集まった。


「音色はあるべきもとへ。色彩はあるべき姿へ。受け取りたまえ、これは『魔女』の存在証明」


 ふわり、と。

 腕から光の一滴が抽出され、ペン先に止まった。

 透明なガラスが形どった螺旋の上を、不可思議な色が流れインクとなる。

 一部始終を見届け、ゆっくり腕を下げながら後退する木陰少年。

 預けものは返してもらう。もうあなたに魔法は必要がないのだから。

 復活以来、私は、今一度力を欲していた。今このときをもって、私は再度、怪物へ身をやつすことになる。


「──その選択でいいのっ?」


 約束ごとはおわり。そう悟ったのだろう。

 今まで口を閉ざしていたひとりが、真剣な表情で私へ問いかけた。

 片勿月かたなづきシオン。本名、片勿月しおり。

 情報屋の要にして、恋愛を知らない少女。片想いをするだれかの味方。そして、三上ハルマの決断に背中を支持した、木陰少年と並ぶ共犯者。

 それで、いいのか?

 その問いかけに対する答えは、迷う余地なく決まっている。

 ハルマの選んだ自己犠牲、結果得られた、魔法使いのまばゆい未来。これからすることは、果たされたそれらを裏切る行為。

 だけど。


「愚問ね、無知な小鳥。教えてあげる」

「それはありがたいッ! なにを教えてくれるのかしら!」


 ──目蓋をとじた。

 刹那に浮かんでは消える、彼の姿を思い出した。

 私に教えられることは少ない。おそらく私よりもたくさんのことを、普通の日常は教えてくれるだろう。魔法などという非現実的な要素に頼らない、曇りなき視点を養ってくれるに違いない。

 ゆえに私は、自信をもって言えるコトだけを口にしよう、と目をあけた。


「好きな人を引っ張り回すの、すっごく楽しいのよ」


 言ってやると、「なに、それ……!」と彼女が笑った。

 ええ、自分でも小っ恥ずかしいことを口にしていると自覚はある。それでもきっと、放ったのは伝えることがなかった本音だ。消してしまった記憶だ。


 私は自嘲するように微笑し──ひゅ、と腕を振るった。


 光をつかんだ杖を閃かせ、虚空に弧を描く。インクが紙面に線を描くように、光が伸びて溶けていく。交差する日光、歪める微風、ざわざわとした木々のさえずり。ひと振るいに切なる願いを乗せていく。

 ヒトは、創作に想いを込める生き物だ。音楽、絵画、そして文字。ことごとくに、様々なカタチで言葉を隠す。私は高尚な画家でもなければ、名の知れた作曲家でもない。されど、紡ぐ一片にこだわりを混ぜ込むことは、万人に与えられた権利だ。愚かな選択をしようと、魔女だろうと平等に与えられる。

 例えばそれは、他人に踏み込む第一歩。

 例えばそれは、手紙に刻んだ秘めたる感情。

 愚かな選択だ。そう笑われようとかまわない。

 定めよう、刹那の在り方に。舞い戻ろう、我が運命に。

 彼ともう一度会うためならば、今一度、『死』のまえに姿をさらそう。


 また、一筆を振るう。


 描きかえる。塗り替えられた現実を。


 また、一筆を振るう。


 刻み込む。ガラスの魔女としての存在を。

 間違っていようとこれでいい、だって私は──




使のだから」




 その一言を皮切りに、私という存在の定義は書き替えられた。かつての儚さを取り戻し、再度破滅の運命を据えられた。ロウソクが半分以下に縮んだ感覚が、イヤでも私を蝕んでいく。

 本来残されていた、秋から十二月までの二ヶ月間。それが私に与えられた猶予だった。

 だが、それで十分だ。私がハルマを取り戻したとき、彼が生きていればそれでいい。未来の自分が叫んだように、文字の道筋をたどるように、私は使命に指を浸す。


「──は、ぁ」


 騒いでいた風が、ナリをひそめていく。

 短く吐息をこぼして、ガラスペンを胸ポケットにもどした。

 どうなったのか、と変化をさがす彼らを気にとめることなく、魔女帽子をすこし持ち上げる。そして、冷え込んだペットボトルを取り出した。


 躊躇なく、プシュ、とフタをひねった。


 凪いでいく微風、現実の穏やかな喧騒を取り戻す日常に、はっきりとした開封音が鳴り響いた。

 首を傾け煽り飲めば、炭酸の刺激が喉を伝った。施されたダイヤカットに目を細める。

 懐かしい味、と言えるほど、体感年数は離れていない。皮肉なことに、ようやくあるべき場所へ戻ってきたような気さえする。


「やはり、そうなるのですね。あなた方は」


 半分ほど飲んだ私に、状況を理解したシスターが諦めの声をこぼした。

 もう一度不運にみまわれることを皆が気づいていた。三者三様の複雑な表情が向けられていた。なのに私の胸はどくん、どくんと熱を帯びていた。

 ああ――これこそが、魔女の立つ現実だった。

 絶え間なき清涼感だ。限りない憂鬱だ。

 たしかに、不幸な選択を手にとったかもしれない。せっかく手に入れた可能性に富む人生を自ら手放したのだから愚かしい。それでもなおコレが一番正解に近いのだと、私は信じている。

 なぜなら。この未来を選べと、ガラスの魔女は命じたのだ。これから私は自分をいましめていくのだ。


「全部、私が解決する」


 いずれ、答え合わせはやってくるだろう。残された砂時計が終わるよりもはやく。その瞬間に、彼は傍らに居るだろうか。私は生きているだろうか。本当に現在は最善な足跡を残すのだろうか。なんにせよ、これで逃げることは許されない。結末の如何にかぎらず終着を迎えるのみ。

 再会できないとしても。

 無駄死にで終わるとしても。

 ひたむきに、まっすぐに、あなたを目指し、私は歩もう。


 魔女帽子の向こうがわ。

 綺麗で残酷な空が、私の決断を歓迎していた。

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