④

「話を戻しましょう。薬地政さんは、お堂に居た志保ちゃんを勘違いで保護した。しかし、本人は記憶を無くしていた。なら、その後はどうしたのかしら?」


 私の問いに、怜夜は少し考える。そして、私が聞こえないほどの声量で何かを呟く。自分の中で何かを確認しているのだろう。軽く頷き、私の方に意識を向ける。


「彼は、記憶を失くした志保ちゃんを自分で保護することにしたそうだ。何故、そうしたのかは本人もよく判らないとのことだったが、彼は志保ちゃんを育て始めた」

「志保ちゃんの記憶がいつ戻るかも判らないのに?」

「ああ」


 とんでもないリスクを冒したものだと思った。もし、記憶が戻ったら一気に保護から誘拐になってしまうというのに。


「訊きたいのだけど」

「なんだ?」

「薬地政さんは、保護した少女が上村志保ちゃんということは認識しているのかしら?」


 保護した当初は知らなくても、月日が経てば、知る機会があったはずだ。いくらなんでも、今の今で知らないなんて事はないはずだ。怜夜は頷く。


「後々知ったらしい。それでも、名乗り出なかったのは、志保ちゃん自身が記憶無くしていること、自分の中にある罪の意識から、なんていろいろあったらしいが、一番は愛情らしい」

「愛情ね…」


 ならば、愛していたはずの上村夫妻の気持ちはどうなるのだろう。確かに、記憶を無くしてしまっていたら、夫妻は辛かったかもしれないが、それでも一緒にいれば記憶が戻る可能性だってあったかもしれない。それなのに…。


「絆。思うところはあるかもしれないが、もうすでに過ぎ去ったものだ。僕達は、部外者だ」

「判っているわ」


 そんなことは判っている。だからこそ、私は一人でここにいるのだから。


「肝心のことを訊くわ」

「志保ちゃんの所在か?」

「……」

「この話の流れなら当然だ」


 志保ちゃんが生きているのなら、今どこで何をしているのかは気になるのは当然だと思う。あれから二十年、記憶を失くして成長した志保ちゃん…。待って、そうだ、二十年経っているならば大人になっている。そして、薬地政さんには…。


「怜夜、確認よ」

「なんだ?」


 怜夜は聞き返すが、私が訊こうとしていることの見当はついているはずだ。


「薬地英子さんは……上村志保ちゃんなのね」


 私はその名前をイコールに出すのに少し躊躇って言葉にした。その言葉に対する怜夜の解答は私の想像した通りだった。


「ああ。彼女が上村志保ちゃん、今は薬地英子さんだ」

「いつから怜夜は気付いていたの?」


 こんな事実はそうそうあるものではない。しかし、怜夜は上村夫妻が見たものを幽霊だとは考えなかった。怜夜なら幽霊の可能性の方に重きをおくはずなのに。つまり、早い段階から志保ちゃんの生存の可能性を考えていたわけだ。


「二人が同一人物だと思ったのは、あのお堂の管理者が薬地政さんだと知ったときだ。俺は、最初から考えていた。様々な神隠しの例を考えた時、神隠しに遭ったものは帰ってきた者、帰ってこなかった者がいる。なら、志保ちゃんが帰ってきた場合、つまり生きていた場合はどうなるだろうと。いろいろ考えたよ、でもしっくりくる答えはなかった。あのお堂の秘密とその管理者が判るまでは」

「とんだ発想の飛躍ね。少なくとも私には無理だわ」


 現に私は、今の今まで答えは出ていなかった。


「俺自身も彼から話を聞くまでは、半信半疑だった。だが、現実にそれは起こった」

「志保ちゃん…いえ、英子さんの記憶は戻っていないのね?」

「戻っているように見えるか?」


 本人と会った時のことを思い出すが、どう見ても失踪した過去があるようには見えなかった。もし記憶があるのなら自分が消えた山のある村で働いたりすることなどはしないだろう。なによりも、本人は至って普通だった。


「怜夜はこのままでいいのね」

「この事を知っても誰も幸せにはならないのは、絆、お前も判るだろ」


 そう、この事を知っても誰も幸せにはならない。薬地政さんは非難の対象になり愛する人達とも離れ離れにある、上村夫妻は生きている志保ちゃんには会えてももう二人が知っている彼女ではない苦しみが増すだろう、英子さんには記憶がない、そこで本当の事を教えられても困惑するだろう、彼女にとっては今が幸せなのだ。私が、幽霊の正体を黙っていた理由と同じだ。それを知ってももうどうしようもないのだ、これはすでに過ぎ去ったものなのだ、掘り返してもしょうがない。


 だからこそ、私は今ここに一人で来た。九朗や日葵はきっと今回の事を知ってしまったら流石に幽霊の正体の時とは違い、きっと真実を言おうと言うに違いない。


「じゃ、僕は帰るよ」


 いつの間にかパフェを食べ終えた怜夜は席を立つ。ご丁寧に自分の分の料金をテーブルに置いて。


「ええ」


 これ以上は引き止める理由は私にはない。ただ、どうしても言わなければいけないことがあった。


「私に隠しごとはもう無いわよね?」


 私の言葉に怜夜はどこか呆気にとられたのか、マヌケな顔をしている。そして、そんなマヌケな時間が終わったのか、いつものマヌケな顔に戻る。


「どうだろうな」


 取り敢えず私は、彼の弁慶の泣き所にローキックをお見舞いすることにした。

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