④
怜夜を小径寺に送り届けたあの日から二週間ほどが経ったが、あれから怜夜はしっかりと和尚の手伝いをしているらしく、俺たちは安堵していたのだが、奴の行動力の凄さを俺たちは甘くみていた。
それはいつもの平日の昼間、午前の仕事を終えて昼休みに突入して、俺にとってはこのうえない至福の時間である。それは言わずもがな愛妻弁当…いや結婚はしていないのだから妻と表現するのはおかしいが、愛妻弁当(仮)…いや、なんか響きがちょっと気に食わない、せっかくの美味しい弁当が食う気力を食ってしまうような感じだ。まあ、なんにせよ愛しい人が作ってくれたのだから、それだけでいいのだが。そんな話を以前、怜夜にしたらなんともいえない顔をした後に、食べると寿命が延びるなどという変な草を持ってきて、あの手この手を使って日葵に弁当のおかずの一つとして作らせ、俺に食わせた。結果俺は腹を下した上に、三日三晩眠ることが出来なかった。奴にも後日同じ目に遭わせてやるつもりで食べさせたが、奴はケロッとしていた。納得いかん。
などと不要な事を思い出していたのだが、その恋人である日葵から電話があったのであった。
「怜夜がまた暴走したみたい」
あの時、危惧した通り嵐が来ようとしていた。勘弁してくれよ。
なんとか定時で退社することができた俺は、その足ですぐに小径寺に向かうことにした。その途中で日葵を拾って二人で今まさにマイカーで向かっている、約二週間前にこの道を助手席に怜夜を乗せて走ったばかりなのだが、まさかこんな早くにまたあの異界ともいうべき場所に向かうことになるとは。
何故、俺たちが小径寺に向かっているのかというと、前回俺が怜夜を送り届けて時に大福やお茶を御馳走になったという話をした、そのお礼に何かしなければという話になり、何か美味しいものを持っていかねばということになり、訪ねても大丈夫かという事を確認する為に電話をしたそうだ。ちなみに、美味しいものはモンブランになった。和尚はケーキ全般が大好きなのだ、なんてギャップだろうか。そんな蛇足はいいとして、連絡をした折り怜夜が例の山にまた行ったという事を聞いたそうだ。そして、日葵は俺に連絡をし、詳しい事情を聴くために、俺たちは小径寺に行くことになったのだ。モンブランを携えて。
「久しぶりだな、小径寺。怜夜には困ったもんだけど、幻庵さんに挨拶したかったし、ちょうど良かったけど」
日葵はそんなことを言いながら、携帯を操作している。俺も二週間ほど前に同じ事を考えていたな。しかし、日葵はこんな蛇行運転に近い状態でよく携帯を操作でくるものだ。俺なら間違いなく酔ってしまうだろう。
「できれば、こんな遅い時間ではなくて、日が高い内に行きたかったけどな」
この道を日が落ちてから走るなど、本当にしたくなかった。
「そうだね、幻庵さんにも悪いし。この責任はすべて怜夜にとってもらおう」
「そうだな。ところで日葵」
「何?」
「さっきから携帯を操作しているが、何か調べものか?」
俺との会話を続けながら携帯を操作していたので気になっていたので聞いてみた。もしかしたら、調べものではなく誰かとメールなどをしているのかもしれないが…けして浮気を疑っての発言ではない、正直十年も付き合っているのだから疑いなど持つはずがない。断じて疑ってなどいない。
「ああ、絆にメール。怜夜が懲りてないって」
「……」
俺は怜夜に対して心の中でこう言った、ドンマイ。
小径寺と書かれた扁額がある山門の前に車を停めて、俺たちは車から降りた。約二週間ぶりだが夜に来ると改めてどこか世界から隔絶されている印象を受ける。怜夜がどうしてここに居候を決めたのか分かる。あいつの望む世界そのもののような感じだ。
などと俺が考えている中、日葵はさっさと山門を潜り、境内に入っていた。
「行かないの?」
「行きます」
なんとも頼もしい限りだ。俺が感じるこの恐怖心に似た何かを感じていても、俺の恋人にはどこ吹く風なのだろう。男としては情けない限りなのだが、そう思いつつ俺は山門を潜り境内に足を踏み入れた。
日葵がインターホンのボタンを押すと中から和尚の声が返ってくる。そして、すこし待っていると玄関の扉が開く。
「いらっしゃい、お二人とも。久しぶりです、日葵君。この間ぶりですね、九朗君」
「お久しぶりです、幻庵さん」
「この間はどうも、和尚」
俺達二人は揃って頭を軽く下げる。
「せっかくのお客様をこんな玄関口にいつまでも立たせるわけにはいけませんね。さあ中へどうぞ」
和尚に促され、俺達は中へ入る。靴を脱ぐ前に日葵が例のブツを和尚に差し出す。
「幻庵さん、これどうぞ」
「おや、すみません。気を使わせてしまって」
日葵から和尚の手へブツの受け渡しが完了した。なんだかこう言うと疚しいことをしている感じがするが、一切そんな疚しいことはないのだが。
「おや、この箱はもしや…」
「はい。以前お話していた、お店のモンブランです」
「お茶を用意します。さあどうぞ和室へ」
和尚はそう言うと、消えていた。この表現は、けして間違ってなどいない。本当に少し靴を脱ぐために目線を下げた一瞬のうちに目の前から消えていた。ケーキが絡むと和尚は人でなくなってしまうのだろうか。
そして、俺達は和室でモンブランを食べている。夕食前ではあったのだが、日葵となぜか和尚いわく別腹だから関係ないなどと言われてしまった、何が関係ないのか教えてくれ。しかし、めちゃくちゃうまいな!流石日葵が選んだことはあるなどと思っていたが、その話をすると、このお店の事を知ったのは和尚から教えてもらったそうだ。和尚の底が知れない。その和尚は目の前でそれはもうこの世の至福を堪能しまくっていた。前回の大福の時にはここまでの破顔ではなかったぞ。ケーキの魔力、恐るべし。
「それで和尚。怜夜の事ですけど…」
ここらでここに来た本来の目的を果たさなければ、でなければただお茶をしにきただけで終わってしまう。
「そうですよ、幻庵さん! また、怜夜が馬鹿やったって」
日葵、一応まだ何もしていない。あくまでまだ、だが。
「馬鹿かどうかはさておき、彼がまたかの地へ行ったのは間違いないですよ」
「どうしてですか?あんなことがあったばかりだというのに…まあ想像はつきますけど」
想像というか本人がまた行くなど戯言を吐いていたことは先日聞いているが。
「当分は和尚の手伝いすることになっていたはずでは? あんな事の後だからてっきり許さないとばかり思っていましたが…」
「そうですね。流石の私でも普段なら許さないのですが…」
「ってことは何かがあったということですね、幻庵さん」
そういうことになるだろう。和尚公認でお許しが出たということだ。
「いったい何があったんですか?」
俺達二人からの問いに対して、和尚はお茶を飲み、湯呑を置くと、
「実はですね…」
そして、和尚は語ってくれた。
「その日は、いつもと変わらない雲一つない青空で、なんとも日向ぼっこするにはとても良い日でした。私と怜夜君はそれぞれ本堂の方で瞑想していたのですが、女性が一人訪ねて来たのです。話を伺うと、なんでもあるものを供養してはくれないかという事でした」
「供養ということは、それは故人の物ということですよね」
「亡くなったとかどうかは分からないのですが、その可能性は高いと思います」
「あの、それってどういうことです?」
日葵の疑問はもっともだ。
「供養して欲しい物は、黄色の子供用の長くつでした。それも、右足だけの。詳しく話を伺うと、その長くつはその女性のご息女の物との事で、二十年前に失踪してしまったそうです。そして、今現在もその行方は分からないそうです」
「だから、亡くなったかどうか分からないんですね」
俺の言葉に対して和尚が頷く。
「でも、そのお母さんはどうして娘さんのものを供養しようと思ったんですか?その…こう言ってはなんですけど、ご家族の方は…」
日葵が言いよどむのも理解できる。家族のそれも、子供用のということは娘さんは幼かったのだと思う。それで、いなくなったとすればすんなりと受け入れることは難しいだろう。
「恐らくですが、まだ心の整理ができていないというのが本音のようでした。しかし、ある出来事からこの気持ちに終止符をことにしたそうです。そのための供養だと」
「ある出来事とは?」
俺の問いに対して、和尚は少し間を開けて答える。どこか、纏う空気のものが変わった気がした。
「娘さんの幽霊を見たそうです」
「は?」
「え?」
俺と日葵はその言葉に思わずマヌケな返答をしてしまう。
「娘さんの…」
「ああ、大丈夫です。聞こえています」
幽霊か。怜夜にしこたまその手の話は聞かされた。それこそ、古今東西から世界各地のそういった話を聞かされた。おかげさまで、夢にまで出てくる始末だ。まだ、実際に見た事がないのが救いだ。
「その方は、娘さんが失踪した場所にいってはなにか手掛かりはないかと、家族で時間を作っては探しに行っていたそうです。そして、その探していた日に出会ったそうです、娘さんの幽霊に」
「ちょっと待ってください」
私は和尚の話に待ったをかける。
「何かの見間違えとかの可能性はなかったのでしょうか?」
「その可能性もあるでしょ。ですが、本人がそうだと言うのならば、その場にいなかった私には判断はつかないというのが本心です」
「それはそうですよね」
日葵が納得の反応を示す。まあ、第三者の俺達には確かその是非を問う資格はない。
「でも、その出来事と怜夜が馬鹿したこととどう関係してるんですか?」
そうだ。ことは怜夜が件の山に舞い戻った理由を聞きに来たのだ。しかし、和尚はこの出来事こそが怜夜がまた行くきっかけになったと言っていた。とういうことは、まさか…、
「九朗君の考えている通りですよ」
「?」
日葵はまだ気が付いていないようだ。
「その娘さんが失踪し、その母親が見た幽霊の場所こそが怜夜君が言った神隠しの山なのですよ」
「神隠し?」
「日葵、後で説明する。和尚、ということは、その娘さんは…」
「ええ。二十年前に神隠しにあったということになるのかもしれませんね」
俺は手で口を覆ってしまった。そうか、そういうことか、何故怜夜がまた神隠しの山に向かったのかが分かった。まったく、本当に嵐がやってくるのではないのか、その前兆なのかどうかは知らないが、和室の窓を風が叩いていた。
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