➁

 百面相を後にして車に乗り、市街から出て、今は山道を走っていた。目的の場所がこの山中にあるのだ。しかし、何度来てもここの道は異界に行く為の道に感じてしまう。そんな山道をひた走ること数十分、目的地に着いた。


 小径寺こみちじ。山門にある扁額へんがくにはそう記されていた。山門の前に車を停車させ、降りる。俺よりも先に車を降りた怜夜はその山門を潜り、境内に入る。山門を潜った瞬間にまるで、世界から隔絶されたような感じがいつもする、それはこの小径寺に限った話であり、他のお寺や神社などに行ってもここまでの感じはしない。いつもながら不思議である。本堂に向けて歩みを進めると、その本堂の前にまるで我々を待っていたかのように、一人の人物が居た。


「いらっしゃい、九朗君。そして、おかえり怜夜君」


 その老人とはいっても、齢六十とは思えないほど矍鑠としている方だが、この方こそこの小径寺の住職にして、怜夜の居候先の主でもある、幻庵和尚げんあんおしょうである。毎度会う度に思うのだがこの人はとても年齢通りの見た目に見えない。作務衣を着ている和尚は常に背筋が曲がっておらず、立ち姿だけで洗練されているのが分かる。そして、穏やかな表情をのぞかせるその顔はどこか人を安心させるものがある。


「ただいま戻りました、幻庵和尚」

「お久しぶりです。幻庵和尚」


 我々を出迎えてくれた和尚に対して、挨拶する。そして、和尚は微笑むと、


「聞きましたよ。また迷惑を掛けたそうですね、怜夜君」

「その通りです」


 何か弁明もとい言い訳をしようとする怜夜を遮る形で俺が答える。この人相手に下手な言い訳など通用するわけでもないだろうに。そんな目で見ても駄目だ、受け入れろ。

 俺の言葉を聞いて、和尚はやれやれという風に軽く息を吐くと、


「君のその好奇心を否定するつもりはありませんが、人に迷惑をかけてはいけません。ましてや、親しい人達を心配させるようなこともいけません。いいですか…」

「げ、幻庵さん。九朗も来ていることですから、今はその、なんと言いますか…」


 幻庵和尚の話もとい説教を遮り、目線でそれとなく、本堂の方よりさらにその奥に目を向けている。その目線は和尚の住んでいる平屋がある。いつもここに来るとそこの客間に通されるので、怜夜は俺をダシにして説教を回避しようとしていた。


「おっと、そうでしたね。せっかく九朗君が来てくれたのに、こんな場所で説教をしているわけにはいかない。ちょうど、檀家さんから美味しい大福をいただいたので食べましょう」


 そう言うと、俺達に背を向けると本堂の裏手にある和尚の家に向け歩き始める。俺達もそれに続く。


「ほんと、九朗が居てくれて助かったよ」

「お前、そのための俺をここに連れて来たのか」


 前を歩く和尚に聞こえないようになのか、小声で話かけてくる。まったく、こいつは。


「聞こえていますよ。座禅でその雑念を飛ばすとしましょうか」


 背を向けたままで俺達に、むしろ怜夜にだが。その言葉を聞いて怜夜は青ざめている。本当にこいつは余計な事を言わなければいいものを。とはいっても目の前を歩く和尚にはすべて見透かされている気がしてならないが。しかし座禅か、以前気になったので試しにやってみたが、翌日は肩が上がらなかった。雑念を消すというのはかくも難しいことのだと身をもって学んだ日であった。


 そんな事を想い出していると、目の前に見知った平屋の建物が見えてきた。平屋とは言うがその広さは中々である。


 玄関から中に入り三和土で靴を脱ぐ。玄関から入って右手にドアがあり、このドアの先は脱衣所になっており、その右手にトイレのドアが、左手が風呂場になっている。玄関からまっすぐ廊下を進むと正面に襖と左側に廊下が伸びており、そのまま廊下を進むとダイニングと寝室につづくドアがある。正面の襖は開けると六畳ほどの和室になっており、ここを客間に使うことが多いらしく、私達はここに通される。和室の中には中央に座卓テーブルがあり、入ってすぐの右手側には座布団が重なって置いてある。そして、正面西側には窓があり障子が今は開いている。俺と怜夜はここで好きに寛いでくださいと言われ、それぞれ座布団を出すと怜夜は下手側に置く。俺は上手側に座布団を置き座る。怜夜は座布団を置くと、手伝いに行ってくると言って、ダイニングの方に向かった。


 俺は所在なさげに待っているが、やはり俺も何か手伝うべきなのではという気持ちが出てくる。しかし、この家は何故こんな和洋折衷なのだろう。俺の中のお坊さんのイメージが変容していく。


 そんなどうでもいいことを考えていると、襖が開き、そこにはお湯呑と大福が三つずつ乗ったお盆を持った怜夜と幻庵和尚が入ってきた。7

 相変わらず和尚の淹れるお茶は美味しい、以前コツのようなものを聞いたがたいしたことはなにもしていない、という謙虚な言葉が返ってきた。ちなみに大福もとても美味しかったのはいうまでもない。


「ところで怜夜君」

「…はい」


 ちょうど大福とお茶でまったりしていた中で和尚がお茶を飲んでいた怜夜に話しかける。


「詳細は絆君から伺っていますが、何故森で遭難などという事態になったのですか?」

「それは…って絆から連絡があったのですか⁉」

「病院からも連絡はありましたが、詳細は聞かされていませんでしたから。絆君が気を回してくれたのですよ」

「あ、あいつ」


 恐らくだが怜夜は絆が和尚に言いつけたとでも思っているのだろが、あいつの事だから純粋に心配しての事でもあるとは思うのだが…いや、もしかしたら頭の上がらない和尚にお灸を据えてもらおうと思ったのかもしれないな。関係はないが、和尚は女性の事も君付けで呼ぶ、それがとてつもなく似合うので少し羨ましい。


「絆君の事を責めてはいけませんよ。君の事を想って私に伝えてくれたのですから」

「はい」


 怜夜自身もそのことは分かっているのだろう。


「それでどうして遭難を? あまり褒められたことではありませんが、君自身結構そういった事には慣れっこなわけですし。聞けば、地図や方位磁石といった道具などを持っていたと聞いています。それなのにどうして…」


 確かにこいつは褒められたことではないが、そういった状況に遭遇し過ぎて、何かあった時にといろいろと準備するようになっていた。実際そういった状況が来ても経験を活かして、その状況から脱出するといった行動を取った事すらある。言ってしまえばその道のプロなのだが…まあプロとはいっても失敗しないわけではないのだが。和尚はどうも今回の遭難の事を随分と気になっていると見える。


「幻庵さん。実は…」

「はい」

「ただ迷子になっただけです」


 ズコっという擬音が恐らく正しいだろう、俺と和尚は目の前のテーブルに上半身が倒れた。安心してほしいお茶が入った湯呑はちゃんとこぼれない様に考慮している。


「お前本当に…」

「待ってくれ、本当に気を付けてはいたんだ。でも、気が付いたら森の中を彷徨っていて磁石や地図を見てもチンプンカンプンになってしまって」

「ただの迷子だろ」

「はい…」


 本当に趣味を止めさせるべきではないか、後でしっかりと他の幼馴染にも共有してしかるべき対策を取ることにしよう。しかし、


「和尚。どうして、怜夜の遭難が気になったのですか? 正直な話をするとこいつがこういった事態に陥るのは今に始まったことではないと思いますが」


 隣で怜夜が抗議の視線を向けてくるが無視だ。


「九朗君。例え彼の奇行が今に始まったことではないとはいえ、心配の一つぐらいはしますよ」

「では、なぜ?」


 奇行ってとつぶやいて落ち込んでいる怜夜を後目に問い直す。


「今回彼が行った場所が気になったもので、もしかしたらと思っただけですよ」

「場所ですか?」

「彼が今回向かった場所はちょっとした、いわゆるいわくつきの場所なのですよ。そうですよね、怜夜君」


 和尚の言葉と視線を受けて、怜夜は頷く。


「どんな場所なんだ?」

「そう珍しい話でもないよ。そこはが起きる山だってだけ」

「……」


 怜夜は平然と口にする。神隠しは日本人であれば必ずといっていいほどよく聞く話ではある。

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