第29話 王の想い、王妃の願い

 その日の一年一組の午前の授業は、奇妙な緊張感に満ちていた。

 明生あさおには、教師の板書の音も声も届かない。

 隣に座る転入生に、意識が集中している。

 


 この手の話の『あるある』の例に漏れず、白井しろい邑子ゆうこ――ギネヴィア王妃の転生者は大野明生あさお・古水蘭澄かすみ・真島りんのクラスメイトとなった。

 王と王妃と王妃の愛人、王の顧問魔術師が揃った訳である。



清華きよらか女子学院から転入して参りました。白井しろい邑子ゆうこと申します。皆様、何卒なにとぞよろしくお願いいたします」


 朝礼にて――教壇横に立つ彼女を、生徒たちは神妙な顔で迎えた。

 ミッション系お嬢さま学校として有名な学校からの、この時期の転入生である。

 しかも、ベンツの送迎付きだ。



「あ~、とにかく席に着きましょうか。窓際の一番後ろの席で大丈夫かしら?」

 担任の女教師は、教室を見渡して言う。

 先ほど、空いていた窓際最後尾に机と椅子が運び込まれていたのだが――


「先生。わたくし、大野明生あさおくんの隣が良いです」

 転入生は、全く怖じずに言い放った。

「彼とは顔見知りですの。彼に、公立校の過ごし方などを教わりたいのです」


「はい……?」

 担任教師は目を丸くし、生徒たちはドン引きした。


 しかし白井しろい邑子ゆうこ明生あさおの座席横に近付き、彼の友人の佐藤にキツい口調で言った。

「申し訳ありませんが、この席を譲っていただけませんか?」


「……はい」

 佐藤はキツネに化かされたような顔で、しかし教科書やノートやバッグを両手で抱え、スタコラと引っ越した。

 白井しろい邑子ゆうこは、澄まし顔で平然と着席する。

 

「でっ、では朝礼を終わります」

 教師は『見なかったことにしよう』とばかりに、ソソッと教室を後にした。

 


(マジかよ……)

 明生あさおは、がっくしと机に突っ伏した。

 この高飛車な少女が過去世の妻であったことは、事実なのだろうか。

 登校するまでの高揚感は萎み、また悩ましい事態となった。

 


 ◇

 

 ◇


 石を積み上げた古い砦の回廊は狭く、薄暗い。


 掲げられた松明の炎の音が、空気を焦がす。

 疲れ切った兵士たちは、皮鎧を着込んだまま、壁に背を預けて休息する。

 

 陽が落ち、敵の投石攻撃も止んだ。

 爆音と怒声と緊張から解放される時間だが、油断は出来ない。

 翌朝の攻撃に備え、後方に居た兵士たちは動き回る。

 矢を補充し、城壁の修繕をする。


 その中を、女たちと司祭が歩き回る。

 司祭は重傷の者たちに秘跡を与え、女たちは食事を配る。

 食事は、薄切りにしたライ麦パンとピールと干しブドウだ。

 簡素な食事だが、不平は言わない。

 


「今日も、この砦を守り抜いてくれたことを感謝いたします」

 

 少し掠れた、しかし美しい声が響き渡る。

 兵士たちは身を起こし、背筋を伸ばす。

 しかし、声の主は顔を横に振った。


「友よ、そのままで構いません。このような場所では、身を休めるにも難儀するでしょう。でも、必ず救援が来ます。神は、わたくしたちを見捨てはしません」


 王妃ギネヴィアは、微笑んだ。

 二人の侍女を連れ、砦中を回って、騎士や兵士たちを励ましているのだ。

 ガーゼのベールと素朴な灰色のドレスは、ブリタニア宗主の妃には相応しくない。

 

 しかし、それは聖女のようだと誰もが思った。

 絹と宝石で着飾った姿よりも、高潔に輝いている。


 

 この時、アーサー王は小ブリタニー(フランス)にいた。

 反逆者と見なしたランスロットを討伐するために、軍勢を率いて海を渡っていたのである。


 そして、国政を預かったモルドレット卿は、王が戦死したと吹聴した。

 挙句に自ら戴冠して王を名乗り、ギネヴィア王妃と結婚すると宣言した。


 しかし、王妃はそれらを嘘だと見破った。

 ランスロットが王に危害を加えるなど有り得ないのだから。


 王妃は忠実なる臣下を集め、キャメロットから南に下った沿岸の砦に籠城した。

 事態を知ったモルドレッド卿は激怒し、砦を包囲した。


 投石機カタパルトからの投石攻撃が繰り返されたが、砦は持ち堪えている。

 王妃の確固たる信念の如く――。

 

 

 ◇

 

 ◇



「……大野くん。授業中なんだが」

「……え?」


 肩を揺すられ、目を覚ます。

 斜め上に、数学教師の不機嫌そうな顔がある。

 いつの間にか、夢の中を彷徨っていたらしい。


「す、すみませんっ」

 立ち上がり、体を二つに折って謝罪した。


 数学教師はそれ以上は追及せず、しかし顔を歪ませて教壇に戻る。

 明生あさおは胸を撫で下ろして着席し、黒板の数式を書写する。


 しながら、白井しろい邑子ゆうこをチラ見した。

 その横顔は、夢で見た気高い王妃の面影と――奇しくも一致した。

 

 

  ――続く。




*********


アーサー王伝説豆知識(22)


 今回の夢の中の話は、マロリー版『アーサー王の死』を参考にしています。

 そこには、王妃が「ロンドン塔に籠城した」となっていますが、この話では五世紀にアーサー王が生きていたと設定しています。


 当然、五世紀にはロンドン塔は存在せず、ローマ軍も本国に撤退。

 ロンディニウム(ロンドン)は遺棄された地だったとか。


 なので、キャメロットを現代のコルチェスター市(イギリス南東部)とし、その南の海岸近くの砦に王妃が籠城したと設定しました。

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