恋愛偏差値マイナスの頭脳戦

第7話 結婚宣言





「早くしないと遅刻しちゃうよ!」という幼馴染の声に、俺は小走りで玄関へと向かう。

だが靴箱の横に置いてある時計を見るとまだ時間に余裕があり、俺は横眼で玲於奈を睨んだ。



「………まだ時間あるじゃん」

「えへ」

「かわいいからと言って済まされると思うな…………」

「やっぱり私可愛い?」

「今更だな」



いたずらっ子のように微笑んでくる玲於奈に顔を逸らしながら答えると、顔を真っ赤にした彼女がちらりと見える。

その顔に首を傾げると、「これだから鈍感は嫌なんだ!」と玲於奈が袖を握り締めて叫んだ。


意味が分からず、とりあえず機嫌が悪いようなので頭を撫でる。

その瞬間、先程の不機嫌さはどこへ行ったのか、玲於奈は気持ちよさそうに目を細めた。

俺は一瞬息を呑んだ後、全力で彼女から視線を逸らし、できるだけ玲於奈から距離をとる。


それを見て不満そうな顔をした玲於奈が、一mほど開けていた距離をずいと近づけてきた。



「ねえ凪、手繋ご?」

「ちょっと落ち着こうか、国民的アイドル」

「今、私はただの一般人だから」

「いや、ただの一般人ではないと思う」

「ほら、夫婦のスキンシップだと思って」

「今から学校行くんですが」

「前は手を繋いでたじゃん」

「前って幼稚園の時だよな?」



だが、「ダメ?」と首を傾げてくる玲於奈に、彼女に甘い俺が反論できるはずもなく黙り込む。

それを肯定と受け取ったらしい幼馴染は、今までのどの記憶より嬉しそうに微笑むと、躊躇っていた俺の手を掴んで扉を開けたのだった。






◇◇◇◇◇







「案外気づかれないもんだね。さすが凪」

「………ソウダナ」



マスコミがいる中で堂々と歩く玲於奈―――――国民的アイドルは、きっと誰もが探しているはずなのに気づかない。


そんな感心したような玲於奈の言葉にぎこちなく頷くと、彼女は上機嫌でにこにこと口元を緩めた。

ぎゅっ、と手を握る力を強められ、思わずびくりと肩が跳ねる。

すると、玲於奈はやはり嬉しそうにふにゃりと笑った。



「かわいいね、凪」

「………なんか言ったか?」



ようやくゼロ距離という名の距離感になれたところで、玲於奈が何かを呟くのが見える。

思わず聞き逃してしまった俺が聞き返すと、玲於奈はえっとね、と少し考えた。


そしてつま先立ちになった玲於奈を見て離れようとした―――――までは正解だったのだが。

離れようとした俺と玲於奈は、生憎のところ右手と左手によってがっちりと結ばれていた。



「凪は面白いね、っていったんだよ」

「………サヨウデゴザイマスカ」



こそりと耳元で囁いた玲於奈の声に胸がうるさくなり、やや体温が残っている耳を抑える。

ふふ、と笑った玲於奈は満足そうに頷くと、「さっきの仕返しだよ」と口元を袖で押さえた。

その後に手と足が一緒に出た俺を見ると、玲於奈は口元を緩めながらちらりと俺を上目遣いで見上げる。



「…………もっかいやろうか?」

「死んでしまいます」



間髪入れずに即答した俺に目を瞬くと、玲於奈は花が咲くようにふわりと笑う。

……………なぜそこで嬉しそうにするのかが本当にわからない。


ASMRって本当にあるんだなと呟くと、玲於奈はさもおかしそうに、顔をくしゃりと崩れさせたのだった。









◇◇◇◇◇









特にこれといったアクシデントもなく、とても平和に学校へと着く。

それでもいつもよりはざわざわしている学校を見て、俺は思わず顔を引き攣らせた。


だがメイクをしているおかげで玲於奈の素顔がバレることは特になく、順調に三年B組―――――俺たちの教室へと向かう。

ここ、櫻野高校は、三年間クラス替えがないという、高校にしては………というか学校にしては珍しい特殊な学校だ。

だから毎年顔ぶれは変わっていないため、国内で最難関と言われる進学校でありながらも、玲於奈についてはある程度の事情は察している。

そして俺も三年間通っている、が。


『三年B組』と書かれたプレートの扉の前で、俺達は足を止めた。

少しだけ騒がしい教室内では、少しだけ音が漏れてくる。



「ねえ、ファッション雑誌のアイミィ見た!?あの服今度買いに行こ!」

「それよりもアカゼミーの主演・助演男優賞のダブル受賞だって!これで8年連続受賞だって、大露真央!まじでカッコいいよな!」



あえて『国民的アイドルの電撃引退』という話題を避けているかのようなその空気に、俺達はごくりと喉を鳴らした。

乾いた喉が少しだけ潤うが、緊張は全く和らがない。


そんな中、玲於奈は覚悟を決めたような顔で俺が施したメイクを落とすと、ガラリと扉を開く。

その瞬間、39人の無数の視線が俺たち二人へと突き刺さった。

俺は身がすくんで半歩後ろに下がりかけたが、不意に堂々と前を向いている玲於奈が目に入る。

彼女の柔らかい茶色の髪の毛が、重力に逆らってふわりと揺れた。



「もうみんなは知っていると思うけど、私はアイドルを辞めました。」



踏みとどまった後に足に力を入れて一歩踏み出す。

俺は―――――彼女の後ろではなく、前を歩きたい。



「私、如月玲於奈がアイドルを引退した理由は」



すう、と小さく息を吸う玲於奈の呼吸が聞こえる。

俺は大丈夫だと安心させるために、緊張した彼女の手を握った。



「私は結婚して、彼―――――天羽凪の妻となったからです!」



一息に全てを言い切り、玲於奈が緊張した面持ちで前を向く。

さっきまでざわざわと騒がしかったはずの教室は静まり返り、ただ外にいるマスコミの声だけが聞こえる。


そして―――――その静けさを破るように、クラスメイトの誰かが口を開いた。



「お前ら…………結婚式ぐらい呼んでくれよ」

「「………………………………ん?」」



静かなはずの教室では、その生徒に同意するように激しく首を縦に振るクラスメイトと、頭の上にクエスチョンマークを浮かべる俺たちがいた。

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