第6話 ありがと
二年間と半年着慣れたシャツを着たあと、公立高校にしてはオシャレなブレザーに腕を通す。
そのまま玄関に置いてある靴に足を突っ込むと、ちょうどいいタイミングで間抜けなチャイム音がした。
それは俺が扉を開ける前に家に侵入してくると、「じゃーん」という効果音と共に俺の前に降り立つ。
「迎えに来てあげましたー!」
得意げにニコニコと笑う幼馴染———天羽玲於奈は、同じブレザーのはずなのにまるでモデルのようにそれを着こなしていた。
玲於奈は俺が靴を履き終わったのを確認すると、「じゃ、行こっか」と言ってドアを開ける。
「ちょっと待て!」
俺は慌ててその手を掴むと、彼女の全身をざっと見た。
不思議そうに首を傾げる玲於奈は、なぜ自分が止められたのかも分かっていないようだけれど。
「凪?」
「玲於奈、もしかしてそのまま学校行く気だったのか?」
「うん!」
快活ににこりと笑った玲於奈の顔は、アイドルをやっていた時には見れなかった表情だ。
それを見られるのは嬉しいけれど、やはり限度というものはある。
はあ、とため息をつくと、仁王立ちしていた玲於奈は、不思議そうにしながらも自慢げに胸を張った。
「ほら、ちゃんとウィッグも付けたし、制服もリボンからネクタイに変えたよ!」
リボンでもネクタイでもどっちでもいいのはこの学校の利点だよね、と言いながら玲於奈はネクタイをいじる。
けれどメガネさえつけていない彼女の顔を見ると、俺は再び大きなため息をついた。
「顔が国宝のままだろ…………」
「だから、そういうのやめてってば!」
俺が思わず呟くと、つい先ほど笑っていたはずの玲於奈の顔は、なぜだか真っ赤に染まっていた。
…………国宝じゃなくて、世界遺産かもしれない。
そんなことを思いながら、俺は玲於奈をリビングへ招き入れ、制服の上にタオルをのせる。
それから着々とメイク道具を取り出した俺に、彼女は「何するの?」と首を傾げた。
「正体ばれちゃ騒ぎになるだろ。玲於奈はそこに座って」
「わかった」
俺の言葉に素直に頷いた玲於奈は、中央にあった鏡の前の椅子に座った。
そしてそのまま、鏡越しに俺を見つめながら口を開く。
「ウィッグも変えるの? 昨日したのと同じじゃダメ?」
「ダメ。できれば毎日変えたいぐらいだけど、三日ごとぐらいが限度だろうな」
ほええ、と呟いた玲於奈の顔にファンデーションを塗っていく。
その上に印象を変えるようなアイライナーを引きながら、俺は玲於奈の顔を見つめた。
「玲於奈はとりあえず外に行くときは基本ウィッグをつけて、あとメイクするから出かける前に俺のところにきて」
俺がそういうと、「じゃあ、私、外に出てもいいの?」と玲於奈が驚いたように顔を上げる。
その問いに少し拍子抜けしながら、「できれば俺か陽翔、それか本条連れてな」と付け足すと、彼女はふっと顔をうつ向かせた。
メイク続けるためには上げなきゃいけないものの、自由に外出できないという言葉に落ち込んでしまったのかもしれない。
そんなことを思って少しおろおろしていると、彼女は顔を上げて、なぜかとてもうれしそうに笑った。
(あ、可愛い。)
ではなくて。
思わず反射的に思ってしまった言葉を打ち消して、俺は自分の頬をバシンと叩く。
その音にびっくりしたような顔をした玲於奈に心配されながらも、俺はやはり喜んでいるようにしか見えない彼女の顔を見つめた。
「……………その、玲於奈は嫌じゃないのか? 自由に外出できないって聞いて」
「全然? それに、自由な方だよ!」
ふるふると首を振る幼馴染を見つめる。
俺の気遣わし気な視線が分かったのか、彼女は少しだけ目を細めて綺麗に笑った。
「本当に嬉しいんだよ、凪。……………本当は、アイドルをやめてしばらくは、学校にすら行けないと思ってたから」
そういった玲於奈の言葉に、俺はハッと息をのむ。
もう少し配慮すべきだった、という思いは後の祭りで、やっぱり自分が不甲斐ない。
「凪、ありがと」
でも、そう笑った好きな人の前では、ずっとその思いを抱き続けることすらできないようで。
はにかむように俺に感謝の言葉を伝えた玲於奈には、きっと俺は一生敵わないだろうなと思った。
◇◇◇◇◇
「わああああ! すごいね凪!」
鼻歌でも歌い出しそうなほどかわい…………じゃなかった、ご機嫌な幼馴染を見る。
先ほどと変わらずニコニコとしている玲於奈は、誰が見ても見惚れるような笑顔を浮かべていた。
「…………その顔は、あんまり外で見せないで欲しいんだけどな」
「え?」
「いや、なんでもない」
思わず溢れてしまった独占欲丸出しの言葉を否定してから、玲於奈のウィッグの髪を纏め始める。
まるで別人だよ! と叫んだ玲於奈のサイドに編み込みを施しながら、俺は『心頭滅却火もまた涼し』と何度も心の中で唱え続けた。
そんな俺の心情を露知らず、玲於奈は
「やっぱり凪はすごいね!」
「……………玲於奈のほうが、ずっと」
思わず俺が呟くと、彼女は不思議そうに首を傾げる。
やっぱり眩しいな、と。
口の中で小さく呟いた言葉に思わず苦笑いし、俺は玄関で準備をする玲於奈を見つめる。
ふっと綻んだ口元を手で隠した瞬間、遠くから大切な人の声がした。
「なぎー?」
「今行く」
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