第10話 脱出

扉が閉じるとフィオナは力が抜けて床にへたり込んでしまった。


カシャンと鎖が鳴る。絨毯に散った先生の血を指でなぞった。


(先生は大丈夫だろうか?どうか・・・どうかご無事で!)


先生は心配だが、フィオナは自分が逃げることを最優先で考えることにした。あのクズは、初夜を先生に見せつけるというような悪趣味を本当にやりかねない。そんなことがあったら先生の心は壊れてしまう。優しい人だから・・。


先生の心を守るためにも自分は逃げないといけない。フィオナは自分に言い聞かせた。


何から始めるか頭の中で順番を考える。


もうすぐ夕食の時間だ。


夕食が終わるまでは待とう。


王宮からの救援はすぐには期待できない。もし王宮の動きが悟られたら侯爵は監禁場所を変えてしまうかもしれない。そうしたら、これまでの準備が水の泡になってしまう。


今すぐ行動しなくては!


どきどきする心臓を抑え、フィオナはアンナが運んできた夕食をとった。


夕食が終わる頃にアンナがお茶を入れに来るがそれを断る。疲れていて早く就寝したいので、全て片付けて欲しいとお願いした。


アンナが去った後、しばらく扉の向こう側の様子を探る。監視の護衛はいるだろうが、廊下からは全く音がしない。


約一時間待った。静寂は変わらない。


もう大丈夫だろう。


慎重に隠し場所の羽目板を外すと、オリハルコンのナイフを取り出した。ナイフの柄に触れると勇気が湧いてくる。きっと大丈夫。このナイフは守ってくれる。


鎖を切ったら警報が鳴るから、鎖を切るのは最後だ。


まずは魔法封じの腕輪を何とかしないといけない。


先生の予想通り、腕輪はオリハルコンでできていた。オリハルコンでオリハルコンは切れない。


右手の手首にはまった腕輪を見ながらフィオナは何度も深呼吸した。覚悟は決まっているがやはり怖い。


(オリハルコンで腕輪は切れなくても、手首なら切れる!)


フィオナは思い切ってナイフを振った。


ものすごい切れ味で手首が腕輪ごとスパンと切り離された。血が噴き出し、うずくまって痛みに耐える。


同時に体中にものすごい勢いで魔力が漲ってくるのを感じた。体がどんどん暖かくなる。


急いで切断された手首から腕輪を外し、手首を血だらけの腕に押し付けて治癒魔法を施した。


淡い光を発しながら手首は見事に接着した。痛みもなくなり、皮膚には傷一つ残っていない。


(さすが先生だ・・・想像通りのやり方で治癒魔法が使えたわ)


フィオナは先生の指導に感謝した。実際に自分の魔力を使って練習したことはないけれど、先生が教えてくれた感覚や筋肉の使い方で魔法を使うことは問題なさそうだ。


先生によると、魔法は感覚や想像力が重要だそうだ。前世日本のアニメや漫画は魔法で溢れていた。イメージするのは問題ない。


腕とドレスが血だらけになったので、浴室で体とナイフを洗い、動きやすい乗馬服に着替える。窓に衝撃を与えると警報が鳴る。バカ侯爵め。教えてもらって助かった。最初は窓を壊そうと思っていたのだ。


外された羽目板の奥を見ると漆喰の向こう側にあるレンガ造りの外壁が見えた。隣の羽目板にもぐいぐいと体重をかけてみる。


カタンッ


うまく外れた。大きい音が出ないようにそっと羽目板を床に置く。


壁は厚いけどオリハルコンで穴があけられるかしら?


窓から外を見ると真っ暗だ。ここは一階だし壁の外側に生垣もある。窓枠の下の壁に穴を開けても生垣がうまく隠してくれるはずだ。


慎重にオリハルコンのナイフを壁に当てる。柔らかいチーズを切るくらいの感覚で壁が切れていった。すごいナイフだ。


ほふく前進すれば通り抜けられそうな小さな穴が開いた。切り取った壁を足で外に押し出す。屋敷の地図は小さく畳んでポケットに入れた。


他に持っていくものはないか部屋の中を見渡す。持って行きたいのは日本語の日記くらいだが、分厚いので残念ながら置いていくしかない。逃げるのが最優先だ。


鎖を付けたまま穴に潜り込み、外に出る。真っ暗であたりに人影はない。


カシャン。


十年以上つけられていた鎖を握りしめる。ナイフを構えて呼吸を整えた。


(よし、今だ!)


思い切って首輪の鎖を切り落とす。


シャリンと音がして鎖が床に落ちた。予想通り、けたたましい警報の音が響きわたる。


フィオナはオリハルコンを乗馬ブーツの中に隠し、全速力で走りだした。


暗くても地図は頭の中に入っている。必死で厩舎の方向に走った。この辺りはほとんど人がいないはず。その背後には森がある。先生が言った通り、森の奥を目指した。


森の中は真っ暗で何も見えない。息を切らしながら無我夢中で走り続けた。方向感覚には自信があるが、迷っていませんようにと祈る。


息が苦しい。


屋敷の方角から騒がしい物音が聞こえたような気がした。


しばらくすると暗闇の中にそびえたつ外壁が現れた。乗り越えやすい壁と期待していたが、間近に見るととても高い。どうやって登ったらよいかさえ分からない。


ゼエゼエ息を切らしながら、手のひらの上に魔法で小さな炎を灯す。壁を登るのに役立つ道具とか・・・あるわけないか。あたりを見回すと干し草の束が壁に沿って積み上げられているのが見えた。


(あれなら登れるかもしれない)


フィオナは急いで干し草に走り寄り、藁束にしがみついて登り始めた。何とか一番上に積み重ねられた藁束に辿り着いたが、それでもまだ外壁のてっぺんには届かない。


途方にくれていると壁に釘がささっているのが見えた。そこに足をかけると幸いフィオナの体重くらいは支えられそうだ。その上にもところどころに釘が打ってある。


(きっと先生だ!)


干し草の束も釘も先生が手配してくれたのだろう。先生が『森の奥を目指せ』と言った意味がようやく分かった。感謝の気持ちで一杯になりながら、必死に壁をよじ登っていく。


(もうすぐてっぺんに届く)


『外壁を乗り越える = 結界が破られる』ということなので間違いなく気づかれる。侯爵は結界を破った人間に害になるものを仕掛けているに違いない。しかし結界から出れば転移魔法が使えるようになるはず。外壁を越えた瞬間にすぐに転移魔法を使って安全な場所に移動する。それがフィオナの計画だった。


(すぐに転移魔法を使うのよ)


フィオナは自分に言い聞かせると一気に壁を乗り越えた。


壁を越えた瞬間、体が電撃に打たれたようだった。ビリビリと痺れ全身に激痛が走る。意識が飛びそうになるが、必死に転移魔法を念じた。


『どうか安全な場所に転移させて!』


頭がぐにゃりと曲がり体が浮いた感覚があった。


次の瞬間、白い髪で赤い目のイケメンと目が合ったような気がするが定かではない。


フィオナはそのまま意識を手放した。

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