第8話 十四歳
フィオナが前世のことを先生に告白してから三年の月日が経過した。
現在フィオナは十四歳。幸いなことに、まだ初潮は始まっていないが、いつ来てもおかしくない。
この三年間で様々な準備をした。
まず刃物が手に入った。
先生はどのように入手したのかを絶対に教えてくれないけど、とても大変だったんだと思う。何度も「すまない。もう少し待ってくれ」と疲れ切った表情で繰り返していたし、長く家庭教師に来られないことも頻繁にあった。どんどん窶れて顔色も悪くなっていった。窶れてもイケメンはイケメンだけど、先生の体調が心配で堪らなかった。白髪も増えて今ではほとんど総白髪である。
しかし、刃物を渡してくれた時は満面の笑顔で「ようやく手に入れた」と感極まった様子だった。よっぽど苦労したんだと思う。
しかも渡された刃物は小ぶりのオリハルコンのナイフだったのだ。
オリハルコン!
完璧だ。文献によるとこの世のもので切れないものはない。創世記の神が作ったという伝説もあるくらいだ。この鎖なんて簡単に切れるだろう。
刃渡りニ十センチくらいだが、切れ味抜群といった雰囲気の淡く光る刀身に鳥肌が立つ。
ナイフの柄を握るとほんのり温かく感じる。何故かこのナイフは私の味方だと確信した。握っていると力が湧いてくる。きっと大丈夫と楽観的な気持ちになるのが不思議だった。
「このナイフは握るとちょっと温かいというか懐かしい感じがしますね」
「そうかい?私には分からないが、君がそう感じるのであれば良かった。そのナイフの元々の持ち主は・・・」
先生はそう言いかけたが「まぁ、いいか」と微笑んだ。白髪だけでなく皺も増えた。初めて会った頃の若々しさは完全に失われている。
「オリハルコンは大変貴重なものだと本で読みました。この世のもので切れないものはないとか・・・。先生はこのナイフをどうやって手に入れたのですか?ご無理をされていたのでは・・・」
申し訳なくて身を縮ませると、先生は笑いながらフィオナの頭を撫でた。
「いや、無理なんてしていない。私はとても嬉しい。達成感があるよ。今日まで生きてきた甲斐があったと思える。全部君のおかげだ。ありがとう。ただね・・・」
先生の顔が少し陰を帯びる。
「オリハルコンでも切れないものはある」
「えっ!?文献では・・・」
「オリハルコンでもオリハルコンは切ることができない」
フィオナは虚をつかれた。
(なるほど。オリハルコンはオリハルコンを切ることができない。でも、この鎖は多分オリハルコンではないと思うんだけど・・・)
「鎖は大丈夫だ。オリハルコンではない。私が心配しているのは魔法封じの腕輪の方だ。オリハルコンの可能性がある」
「あ、腕輪ですか?だったら、大丈夫です。腕輪の外し方はもう考えてありますから」
フィオナがあっけらかんと答えると先生は絶句した。
「外し方はもう考えてある?腕輪を切らずに?どうやって・・・?」
「あ、それは内緒です。ごめんなさい」
フィオナは内心ヒヤヒヤした。つい口が滑ってしまったが、反対されそうな気がするので先生には言わないようにしようと思っていたんだ。
「内緒って・・・でも・・・」
「大丈夫です。任せて下さい!」
「でも内緒って・・・」
「すみません。内緒です」
しばらく不毛なやり取りをした後、先生は諦めたように息を吐いた。
「君は賢い。君が大丈夫だと言うなら大丈夫なんだろう」
ちょっと心配そうな先生の表情に罪悪感を覚えるが仕方ない。
「はい!大丈夫です。任せて下さい」
と言い切った。
*****
オリハルコンは以前から作っておいた隠し場所、羽目板の後ろに隠してある。
この屋敷の地図も完成した。地図も小さく折りたたんで羽目板の裏に隠してあるが、頭の中に全部入っている。
通常、貴族の屋敷は魔法の結界で守られている。ブーニン侯爵邸も例外ではない。魔法の結界の中では転移魔法や攻撃魔法を使うことができない。それ以外の魔法は使用可能だ。生活魔法が使えないと使用人たちが困るからね。
それから無断で結界に出入りしようとすると体が痺れたり、怪我を負ったりするような設定がされていることが多い。恐らくこの屋敷もそうだ。
フィオナは考えた。逃げる前に腕輪を外して魔法が使えるようになっておきたい。腕輪の外し方については考えがあるが、外した後に思うように魔法が使えるかどうかは正直賭けである。でもセイレーンは魔力量が多いらしいし、先生から十年以上指導を受けている。絶対に大丈夫だと自分に言い聞かせた。
鎖や腕輪が切れると警報が鳴る装置もきっとついているだろう。だから、逃げる直前までは切ることができない。だからこそ臨機応変に対応できるようにあらゆる場面を想定しておこうと思っている。
厩舎や散歩に行く時には、注意深く観察して建物の位置や構造を把握するようにした。広大な敷地なので逃げる時に迷ったら絶対に出られない。先生が厩舎の後ろにある森を目指せと言ったのは、乗越えやすく比較的監視の緩い外壁をさりげなく教えてくれたのだろうと思う。
先生は時々暗い目をする時があってフィオナは心配だった。真っ暗な深淵のような瞳。フィオナの身を誰よりも案じているからこそ、先生は十年以上も自分を責め続けてきたのだと思う。
(私が無事に逃げないと先生の精神状態はおかしくなってしまうかもしれない)
ブーニン侯爵は相変わらず気まぐれにやってきて、フィオナを居丈高に威嚇する。そのくせ舌なめずりでもしそうな勢いで上から下まで全身を舐めるように眺めるのだ。
(気持ち悪くて吐きそう。絶対にあんたの思い通りになんてならない)
フィオナの逃げる決意は揺るがないが、逃げた後は二度と先生に会えなくなるかもしれない。
ここにいる間に医学の知識を全部は伝えきれないだろう。先生は頭が良いので一度聞いたことは二度と忘れないけど広い医学分野だ。いくら時間があっても足りない。
期待しちゃいけないと思いつつ、無事に解放されて平和に生活できるようになったら、医学の勉強という名目で先生と繋がりを保つことはできないのかな?と考えてしまう。
(先生と離れるのは何より辛い・・・)
フィオナにとって先生はかけがえのない男性になっていた。
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