とある英雄の物語《弓》9

「先生たちは五年間もこの地下に隠れながら生き延びてきたんですね」


「私たちだけではありません。この街に住んでいた多くの人たちが今もシェルターで暮らしています」


「ここ以外にも同じようなコミュニティがあるんですか?」


 僕の質問に先生はこくりと頷いた。

 

 有事のために造られたシェルターならば、他にもいくつかのシェルターがあるのは当然だ。たまたま連れて来られたのが、先生のいるここだったのは幸運以外の何物でもない。


「ええ、ですがどこも限界に来ています。みんな……、精神的にも肉体的にも疲弊しています。シェルターに保管されていた食料はとっくに底を尽き、今は西戸巡査長たちのような若い方たちがスーパーに残されている食品を回収してくれていますけど、それも残り僅かと聞いています。ラットマンたちの数も日に日に増してきているそうです。シェルターの存在が彼らに見つかるのも時間の問題かと……」


「あのネズミ人間、ラットマンって一体何者ですか? あんなモンスターは僕らの世界に存在しなかったはずです」


「その通りです。ですが、存在しなかったのとは少し違います」


「どういうことですか?」


「あれはイーブルラットが進化した姿です」


「イーブルラットって……、でかいネズミみたいな魔獣ですよね」


「はい、本来この世界には存在しないイーブルラットが五年前の戦いの後に突然出現したです。あっという間に数が増え……、そしてこちらの世界に来た影響なのでしょうか、彼らはどんどん進化していって今の形になったのです」


「そもそもイーブルラットはどうやってこっちの世界に来たんスか?」ジーナは不思議そうに首を傾げた。


「これは推測なのですが、ロイくんの時空転移魔法に巻き込まれたのではないでしょうか……」


「巻き込まれた?」


「ええ、ロイくんは何度かこっちとあちらの世界を行き来していますよね? 移動の瞬間にイーブルラットがたまたま近くにいたとか、もしくは何かの拍子に魔法の効果範囲に入ったとかして世界を渡ったのではないでしょうか。ロイくん、なにか心当たりはありませんか?」


「うーん……」僕は腕を組み、頭を傾けて考えてみる。


 あんな魔獣がアルトやジーナみたいに魔法の効果範囲に隠れ潜んでいたってことか?

 ありえると言えばありえるけど、さすがにイーブルラットくらいの大きさの魔獣なら気付くはずだ。

 たまたま、じゃないとしたら? 僕が故意に転移させたとしたら?

 でも、そんなときあったっけなぁ?


「あ……」僕は思わず口を抑えた。


 あのときだ……。

 それは僕がまだ禅宮游だった頃、アイザムでラウラと結成したパーティ《極刀》、その最初のクエストが港の倉庫に出現するイーブルラットを駆除するというものだった。


 確かあのとき、最後の一匹は生きたまま時空転移魔法に呑み込まれて消えていったんじゃなかったっけ??


 ということは僕のせいじゃん……。


 そのとき、僕は僕を隣からジッと見つめる視線にハッと気付く。

 

 ジーナがじっとりと薄く開いた眼で僕を見ていた。その瞳は懐疑や猜疑ではなく犯人を確信している。


 おっおー……、これは完全にバレてますね……。


 ――あんた、ナニかやったやろ? 正直に白状せえや。


 彼女の目がそう問いかける。


「うう……」


「なにか心当たりがあるのですね」


 さすがのヘンリエッタ先生も僕の動揺に気が付いたようだ。


「はい……、かなり昔の話しですが、過去に受けたクエストでイーブルラットが時空転移魔法に飛び込んでいったことがあるんです。だから、つまりそのときの一匹が時空を超えて、アルデラとの戦いが終わったタイミングで転移されたんだと思います」


「……そうでしたか、おそらくその一匹が身籠ったメスだったのでしょう」先生は力なく言った。


「これは完全に僕の責任です。この街の住人にはすごい迷惑を掛けてしまいました」


 顔の前で合わせた手を自分の額を当てた。


「確かにそうかもしれませんが、ユウくんがアルデラと戦っていなければこの世界は消滅していました。だからそんなに自分を責めないでください」


 先生はそう言ってくれたけど、この街がこんな状態になってしまっているのは間違いなく僕のせいだし、きっちり責任を取らなければなるまい。


「ラットマンは僕が駆除します」


「助かります。私たちではモンスターと戦うにしても武力も経験も足りず、大した武器もありません。ユウくんがいれば心強いです」


 僕が頷いたそのときだった。


「自分は反対ッス」ジーナが言った。


「え? なんで?」


「ラットマンに襲われた訳でもないのに駆除するなんてあんまりッス」


「いや、でもみんなが困っているし……」


「ししょーたちはラットマンが害獣である前提で話してるっすけど、誰かが襲われたことがあるんスか?」


「え、ええ……、先月も襲われて何人も怪我人が出たと聞いています」


「じゃあ攻撃されているところを直接見た訳じゃないんスね?」


「そ、それは……」先生が言い淀む。


「イーブルラットは家畜を襲ったり作物を荒らしたりするけど、魔獣の中では特に警戒心が強くて臆病で、人間には近づいてこないし、人間がいれば姿を見せない生き物ッス。たとえ進化して人型になったとしても魔獣としての特性は残っているはずッス」


「でも、ラットマンは僕らの前に姿を現したじゃないか。『ギーッ!』って威嚇てしきたし」


「ししょーはラットマン語が分かるんすか? 進化して知能を得たのなら人間に接触を図ろうとしても不思議じゃないッスよ。怪我をした人がいるのは、こちらからラットマンを攻撃して反撃されただけなんじゃないスか? 自分たちだって相手が誰であろうと襲われたら反撃するッス」


「あいつらが実は友好的だと? 人間に接触しようとしているってことかい?」


「それは分からないッス。自分、バイリンガルじゃないんで」


「分からないって……」


「だから、それを見極めずにいきなり駆除するのは反対って言っているッス。それにししょーの魔法でこっちに送られたのに、ししょーの都合で駆除されるなんてあんまりッス、あいつらもよく分からない変化が自分たちに起きて不安なんじゃないスか?」


「そうは言っても、あいつらは元々こちら側の住民じゃないんだ」


「だからって殺すんスか?」


「うっ……、しかし先生の話ではもう相当な数がいて今も増え続けている。そこまで増えてしまったら、もうそうするしかないだろ」


 僕がそう告げるとジーナは大きく息を吐いて立ち上がった。


「……この件から自分は手を引かせてもらうッス」


 踵を返した彼女はドアに向かって歩き出す。


「ジーナ、どこへいくつもりだ?」


「自分はしばらく勝手にやらせてもらうッス」


「なんだって? 勝手な行動はするなジーナ!」


 ジーナを追って立ち上がった瞬間、彼女を中心にバリバリと雷撃が迸った。

 微弱な雷撃ならが僕の全身が強張り、先生は悲鳴を上げる。


 これは!? なんでフルグの加護が使える!?


「ししょーはいつも言っているッス、『自分のケツは自分で拭け』って。だからこれはししょーが解決する問題っす。でも、ししょーがラットマンたちを無理やり駆除しようとするなら、自分は自分の信念を貫かせてもらうッス」


「待てジーナ!」


 引き留めようとするも彼女の怒りを体現するかのように雷撃は強くなっていった。


 ぐっ!? これじゃあ近づけない!


 そして、桃色の頭髪を逆立たせた彼女はドアから出て行ってしまった。

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