とある英雄の物語《弓》8


 叫び声を上げたヘンリエッタ先生は、オッドアイを大きく見開かれせたまま固まってしまった。

 次第にポカンと半開きになった口がわなわなと震えはじめる。


「ロ、ロロロッ、ロロロッ! ロイくん!? なんで!? どうして!!?」


「どうしたもこうしたもッ、置いて来てしまった先生を迎えにきたんですよ! 無事で良かった、会えて良かった」


 先生に駆け寄って肩を掴む。腰が砕けた彼女はへなへなと崩れるように床にお尻を付けてしまった。


「驚いたな……、キミたちは聖女様と知り合いなのかい?」


 困惑する西戸巡査長に僕は答える。


「えっと……、彼女は僕の国で教師をやっていまして、僕の担任だったんです。ところで聖女様ってヘンリエッタ先生のことですか?」


「ああ、そうさ。ヘンリエッタさんは我々を助けて導いてくれた救世主のような御方だ。雨水を飲み水に浄化する装置の作り方や地下でも育つ野菜の栽培方法などを指導してくださったり、不思議な力で傷を治してくれる。ここにいるみんなは彼女のことを敬意を込めて聖女様と呼んでいるんだ」


 彼女の正体が魔人だと知る僕からすれば聖女様と呼ばれているのは変な感じだけど、みんなのために奮闘した彼女は、彼らにとって本物の聖女に違いない。


「そうだったんですね、さすがヘンリエッタ先生です」


「わ、私は自分にできることをしたまでです」


 慌てて立ち上がった先生は両手を振って謙遜する。恥ずかしがっているのを誤魔化すように咳払いした。


「再会の挨拶をこのくらいにしましょう。ロイくん、あの後にこの街で起こった顛末についてお話しますので会議室に移動しましょう。西戸巡査長もお疲れ様でした、ゆっくり休んでください」


「そうさせていただきます」と西戸巡査長は敬礼で応える。



 先生に案内されてシェルターの奥にある会議室にやってきた僕らはパイプ椅子に腰を掛けた。

 広さは十畳ほどだ。長机と椅子がロの字に配置され、壁にはホワイトボードが掛けられている。


「先生、改めて無事で良かったです」


「ええ、色々ありましたけどなんとか生き延びることができました。あの……、ところでそちらの方はどなたでしょうか?」


 先生は僕の隣に座っているジーナに視線を送る。


「この子は僕の弟子です」


「ジーナ・マルゲインっす、ししょーの先生に会えて光栄っス」


 紹介を受けたジーナがペコリと頭を下げると先生も同じようにペコリと頭を下げる。


「ヘンリエッタ・リネットです、よろしくお願いします。先生と言ってもただの学校の担任だっただけですので、そんな畏まらないでください。なによりロイくん、あなたがここにいると言うことはアルデラを……、デリアルを倒せたのですね」


「はい、レイラやヴァルヴォルグの協力のおかげで倒すことができました」


「よかった……」と息を付いて彼女は胸を撫でおろした。


「もう大変でしたよ、ボロボロになって、家に帰ってからもボロボロになって、もうホントにね……」


 昨日のことのように思い出されるのはレイラをフィアンセたちが待つ家に連れて帰った日に起こったナイトハルトの大火、ラウラの怒りを鎮めるのはアルデラとの戦いより熾烈を極めた。

 今でもトラウマでゲロを吐きそうになっちまうぜ……。


「それで迎えに来るのに五年も掛かってしまったのですね」


 先生は仕方がないと苦笑する。


「え、えーと、はい、ですはい、そうそう……、ゴネンも待たしてゴメンナサイ」


 言えない、忘れていたなんて言えない。ましてや半世紀以上の時を経て来ましたなんて絶対に言えない……。


「ミルルネ様はお元気ですか?」


「あいつはローレンブルクにいますよ」


「ローレンブルクに?」


「アルデラとの戦いが終わった後、魔王を辞めて一国民として移住したんです。あいつと同じようにほとんどの魔人族も一緒に移住しました」


「良かった、ミルルネ様の願いが叶ったのですね」


 先生のその一言には様々な想いの重さが込められていた。


 願いか……、あいつはそこまで未来さきを読んでいたのか。そう考えると僕はあいつに踊らされていただけなのかもしれない。

 ミルルネ・ヴァルゴ、やはり恐ろしいヤツだ。その気になれば僕なんか簡単に殺されてしまっていたのだろう。


「意に沿わない奴らもいたみたいですよ。そいつらは今も魔境に残っています」


「ええ……、全員が納得するはずはないのですから、でも良かった……」


「ヘンリエッタ先生、聞きたいことが山ほどあります。まずこの街の状況ついてです。アルデラとの戦いは五年も前に終わった事件なのに、どうして街は今もこんな状態なんですか? 政府は何をやっているんですか?」


 僕の問いに先生は視線を伏せた、まるで責が自分にあるかのように。


「私たちは街から出られなくなってしまったのです」


「出られなくなった?」


「ええ、この街をぐるりと覆うように張られた結界のせいです」


「結界? なんで結界が? 一体誰がそんなことを?」


「おそらく結界を敷いたのはアナスタシア様でしょう。その結界が消えずにそのままずっと生きているのです」


 ――そうか、アナスタシアはあの戦いの前にアルデラを逃さないように閉じ込めるための結界を予め敷いていたのだ。

 強固で頑丈で、屈強で、時間が経っても壊れない結界を。すべてはこの地で決着を付けるために――。


「結界のせいでこの街の外へ出ることも外から入ることもできません。街は電話もネットも繋がらない外部と完全に隔絶されている状態です。結界の内側から向こう側の景色は視えるのですが、向こう側からこちらは視えず、認識できず、存在しないみたいに誰も私たちに気付いてくれません」


 先生の話を聞いてやっと街の状況に合点がいった。


 アナスタシアが張った結界によって、あの戦いが始まったときに街の中にいた人たちが外に出られず、外からも入って来られない状態が五年間も続いているのだ。


 この街は世界から孤立した空間になっている、そういうことだ。

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