とある英雄の物語《弓》10
「ジーナさんは大丈夫でしょうか」
ヘンリエッタ先生は心配そうにジーナが出て行ったドアを見つめる。
僕は動揺とショックで情けないことにしばらく動くことができなかった。
今まで彼女が僕に反抗したことはなかった。彼女はいつだって僕を肯定してくれた。そのジーナが本気で怒っていた。威嚇とはいえ攻撃を受けた……。
「ロイくん?」
「あっ、そ、そうですね。どうやら加護が使えるようですから身の安全という意味では大丈夫でしょう」
「ジーナさんはどうするつもりでしょうか」
「分かりません。でも、どうにかしろってことだと思います」
「どうとは?」
「さて、どうしたものでしょう……」
どうどうどうと結論の見えない問答が繰り返される。
「……両親を失った彼女は生きるためにハンターを職業としてきました。生活のために必要な分しか狩らず、無駄な殺生は一切しない。命を奪うことに関して彼女なりの信念があります。だから僕が簡単に駆除しようと言ったことが許せなかったんだと思います」
これまでの修行の過程においてもそうだった。
並行世界を渡って歴代の魔王を討ち破ったときも、いつだって彼女は止めを刺そうとしなかった。
敵の命乞いを受け入れ、騙されて殺されそうになったのは一度や二度ではない。
それでもジーナは許した。何度騙されても受け入れた。
やがて魔王たちは彼女を認めて、自らの敗北を認めて降伏した。
それが彼女の戦い方なのだ。
「おそらく僕がラットマンを強制的に駆除しようとすればジーナは敵に回るでしょう。そうなったら魔法の使えない今の僕に勝ち目はありません。……そう、鍵は魔法なんです、魔法がなければ向こうの世界にも帰れない。ああ、何で今回は魔力がなくなってしまったんだ……」
「前回こちらの世界に来たときは魔法が使えたのですか?」
「え? ええ、前回は使えました。でも今回は移動した直後に体内の魔力が空になっていました。それだけじゃないです、以前は魔法が使えて加護が使えなかった。でも今回は魔法が使えなくて加護が使えるようです。一体なんでなんだ?」
先生は頬に手を添えた。むむむ、と眉間にシワを寄せてなにやら思考しているようだ。
「そうだとしたら……ひょっとしたら、この世界はロイくんにとって微妙に異なる並行世界なのではないでしょうか?」
「どういうことですか?」
「アルデラとの戦いの直後で枝分かれした別の世界、ですがほとんど変わらない高難易度の間違い探しのような世界ということです」
「じゃあ、僕が残して来た先生と目の前にいる先生は厳密には異なる人物ってことですか?」
「そうかもしれません」
「そんな……、じゃあ――」
僕と一緒に来た先生はまだ……。
「そんな顔をしないでください。こうやってあなたが私を迎えにきてくれたのですから、きっとどこかのロイくんが別の私を助けにきてくれるはずです。もしかしたらとっくに救出しているかも」
そう言って彼女は微笑んだ。
「そうならいいんですけど……」
「一時的なパイパス状態になっているだけなのかもしれませんね」
「どこかで本線に合流すると?」
「はい」
「それだと矛盾が生まれてしまう気もしますけど」
「そこはうまく補正されるのでは?」
「そう都合良くなればいいんですけど……、あれ? そういえば先生って魔法が使えるんですか? 西戸巡査長が不思議な力で傷を治してくれたって言っていましたけど?」
「ええ、しかしながら私の魔力はとっくに尽きています。ですが、魔力を回復する方法が一つだけあるのです」
「本当ですか!?」
先生はこくりとうなずいた。
「ラットマンの死体を調べる過程で、彼らの血液に僅かながら魔力が含まれていることが確認されました。私は彼らの血液から魔力成分を抽出することに成功したのです」
それがこれです、と先生はガラス製の小瓶をテーブルに置いた。淡く光る青い液体が入っている。
「これを静脈に注射して体内に流すことによって魔力を得ることができます」
「す、すごいですね……」
うげぇ……、すごいけどちょっと衛生的に嫌だな……、青色ってのがまた毒々しい。うーん、しかしさすが科学の世界だな、接種の仕方も現実的だ。
「でも、この量ではロイくんの時空転移魔法を発動させるほどの魔力は回復できません」
「その薬を大量に生成することは可能ですか?」
「今の段階では難しいです。それこそ大量のラットマンたちを捕えて大量の血を奪うことになります」
「うーん……」
「なので現時点では結界を破ることが優先ですね、食料が尽きる前になんとかしなくてはなりません」
「結界を破る方法はあるんですか?」
「アナスタシア様が張った結界ですから力技で打ち破るのは不可能です。結界の起点となる魔法陣を直接解除するしか方法はありません。ですが……、魔法陣があると思われる場所はラットマンの巣があって近づくことができません」
「元の世界に帰るにしても結界を壊すにしても、どちらにしてもラットマンをどうにかするしかない、ということか……」
僕はやれやれと頭を掻きながら立ち上がる。
「ロイくん?」
「ジーナを探しながら食料を確保してきます。魔法が使えなくても僕には剣術がありますから、今まで西戸巡査長が近づけなかった場所にも行くことができます。きっとまだ食料や水が乗っているはずです」
「そうですか、助かります。でも無理はしないでください」
「はい、任せてください」と返事をした僕は、もはや鈍器にしか使い道のない魔法の杖を手に取った。
次の日から僕は西戸巡査長を中心としたシェルターの若者グループと一緒に、街を巡って食料の回収に努めた。
幸いにもラットマンに遭遇することはなく、十分な物資を確保できた僕たちは他のシェルターにも食料を配布して回る。どこのシェルターも同じような状況だった。
みんなシェルターでの長い避難生活に疲弊しいる。希望を失って眼に光がない。早くなんとかしなければならない。
そしてその翌日もジーナは戻ってこなかった。街を巡回しながら探しているけど見つからない、気配すら感じない。
ぶっちゃけた話だけど、鬼のハイドアンドシークスキルを有する彼女を見つけるのは至難の業だ。何をしながらで見つけられるほど甘くはない。
ジーナ、キミは一体なにをしようとしているんだ……。
このままではラチがあかない。決断しろ、ユウ。この状況でなにを優先すべきか選択しろ。
食料回収から戻ってきた僕は会議室に先生を呼び出した。
「先生、ラットマンの巣がある場所を教えてください」
「え?」
「そこに結界魔法陣があるんですよね、占拠された土地をラットマンから奪い返します」
「でも、それでは……」
ジーナと戦うことになるかもしれない。
「分かっています。でもこのままじゃジリ貧です、先生なら結界を解除できますよね?」
「はい、任せてください」
そう言い切ったヘンリエッタ先生は覚悟を秘めた瞳で僕を見つめた。
いつものオドオドした彼女ではない、この五年間で彼女は変わった。いや、そうじゃない。この世界で彼女は変わるしかなかったんだ。
「先生、僕に先生が作った魔力薬を注射してください。最悪のケース、ジーナと戦うことになります。少しでも勝算を高めるためには魔力が必要です」
「分かりました」
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