とある英雄の物語《弓》6
ネズミ人間が煙に巻かれている間に、僕とジーナは警察官の男がいる柱に向かって走り出す。僕らが到着するのを待たずに彼は「付いて来い」と言って踵を返した。
「あなたは?」と先行して前を走る男に尋ねる。
「見て分からないのか警官だ、早くここから離脱するぞ! あのラットマンは鳴き声で仲間を呼んだはずだ」
ラットマン? 仲間ってあのモンスターは一匹だけじゃないってことか……。マジで何か一体どうなっているんだ。
隘路を抜けて幹線道路に出た僕らは市営地下鉄の階段を駆け降り、誰もいない改札を抜けてホームに向かう。
街と同じで構内に人の気配はない。照明も点いていない。電気が止まっているようだ。
避難口を示す誘導灯と警察官が持つライトの光を頼りに進み、一番線ホームの売店のすぐ横にある非常口のドアの前で立ち止まった。
鍵穴に鍵を差し込み、取っ手を引いて分厚い扉を開ける。
中を覗くとさらに地下へと階段が続いていた。
「早く下へ」
言われるがまま中に入り、僕らを先に避難させてから周囲を確認した彼は扉を閉めて内側からロックする。
そして、階段に腰を降ろして深く長い息を吐いた。
「地下鉄のホームにこんな避難所みたいな設備があったんですね」僕は言った。
「ここは有事用の核シェルターだ。そんなことも知らないのか?」
核シェルターだって?
そういえば政府が地下鉄の駅にそんな物を作っているって話は聞いたことがある。都市伝説かと思っていたけど、本当にあったのか。
ん? あれ?
ていうか、前回来たときは英語しか理解できなかったのに、この警察官の言っていることが分かるし会話が成立している。
なぜだ? 一度ロイとして死んでヴァルと入れ替わった影響なのか?
今はそんなこと考えても仕方ない。どっちにせよ言葉が通じて助かった。
「それにしてもキミたち、妙な格好をしているな。まるでファンタジー映画の登場人物だ。その狙撃銃みたいのはモデルガンか?」
男に指摘された僕とジーナは互いの格好を確認する。ジーナは質問の意味が分からず首を傾げたけど、僕には彼の言わんとすることが理解できた。
衣服が変換されていないのだ。
これまで幾度となく転移してきたけど、衣類や装備品は大なり小なり変化があった。こちらの世界に存在しない素材は、強制変換される。
それなのに向こうの世界で装備していた小手や装飾品がそのままの状態になっている。僕の杖もあるし、ジーナのヘカートモドキも一切に変わっていない。
「まあ、それはいい。この辺りでは見ない顔だが一体どこから来たんだ?」
「えっと、それは……」
「まさか外から入ってきたのか?」
「外とは? どういう意味ですか?」
「決まっているだろ、この街の外側だ」
街の外側? 確かに外から来たのは確かだけど、次元の外側なんて説明できるはずもない。
「いえ、そういう訳では……」
そう答えるだけに留めると彼は、「そうか……」と嘆息して肩を落とした。
「見たところ外国人のようだが、日本に来たばかりのタイミングであの事件に巻き込まれてしまったのか?」
あの事件とは、この街で繰り広げられたアルデラとの戦いのことを言っているのだろうか。
一つカマをかけてみるか……。
「そうです。あの巨大な黒い化け物は一体なんだったのですか?」
僕の問いに男は頭を振った。
「私には分からない。ただ、あのバカでかい化け物が空に現れたと思ったら今度は軍艦が出現して戦い始めたんだ。逃げるので必死でその後の展開は見ていないが、砲撃が止んだ後、シェルターから外に出てみると化け物は姿を消していた。謎の艦隊があいつを倒したようだが、おかげでこの街はあの有り様だ」
やっぱり、ここはあの戦いの後の世界だ。
「しかし変なことを訊くな? もう五年も前のことをどうして今になって?」
――五年。
その一言に心臓がどくんと鼓動する。
そうか、ここはあのときから五年を経た世界なのか。街の廃墟具合からもっと時を経ているかと思ったけど、良かった。
ドンピシャとまでは行かなかったが、時空転移+時間遡行魔法は成功したといえる。これで先生がどこかで生きている可能性がぐんと高くなった。
「すみません、実は僕も彼女も〝あの事件〟のショックで一種の記憶喪失なんです。覚えているのはあの事件の直後と、それからここ数日のことしか覚えてなくて……」
「記憶が? そんな状態で生き延びてこられたのは奇跡だ」
信じられないと彼は言った。
「教えてください、現在のこの街の状況とあのネズミ人間について」
「あいつはあの事件の後に姿を現すようになった正体不明の怪物で、我々はラットマンと呼んでいる。詳しい話は後にしよう、避難所でみんなが私の帰りを待っている」
立ち上がった彼は背負っていたリュックサックを降ろして中身を開いてみせた。その中には缶詰がぎっしりと詰まっている。
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