第14話

 ぼんやりした視界の中をせわしなく動いているのは小鳥? 

 違う、その羽に羽毛はない。形状はトンボに似ている。そしてそれには人の腕があり、足があって顔もあった。表情は影になって見えないけど、体の曲線は女性そのものであり、ノースリーブのワンピースみたいな服を着ている。


 ああ、そうか。きれいな紫色の羽根を持ったこの生き物はきっと妖精に違いない。小さな妖精が僕の上を飛び回っているのだ。


 ――ユウ。

 誰かに名前を呼ばれた。


 ――ユウ、しっかりしろ!

 この声はラウラか?


「ユウ、起きろ!」


 頬を叩かれて目を開くと、目の前にラウラの顔があった。


「はて……ここはどこだ? 確か、水を汲みにきて、それから……」


 僕の横には桶が転がっていて、その先に湖が見えた。湖のほとりで僕は仰向けに倒れている。


「やっと意識を取り戻したか……。と、とりあえずこれでそれを隠せ……」


 ラウラは目のやり場に困るといった具合に顔を背けて、大きなハート形の葉っぱを僕に押し付けてきた。


「隠す? なにを?」

「な、なにをって……。そ、それだ……」


 見ないように手で視界を塞ぎ、ラウラが僕の股間を指さす。


 ん? 


 上体を起こしてやっと気づいた。僕は真っ裸だった。こんな状態でムスコと対面するのはずいぶん久しぶりだな。

 あれはそう、まだ就職して間もない夏の茹だるように暑い日のことだ。営業の外回り中に偶然、両親の都合でカンクンに引っ越した幼馴染みのマユミと再会して――、


「てっ、なんじゃこりゃ!?」


「水を汲みに行ったまま戻ってこないから様子を見に来たらここで倒れていたんだぞ、一体なにがあった?」


 まさかエルフの水浴びを覗いていたら意識を失ったなんて言えない。

 僕は視線を泳がせる。


「えっと……実は、暑かったから裸で昼寝したくなったんだ、あはははは……」


 ラウラはじっとりと湿った薄目をして僕を見つめた。


「おいユウ、正直に言うんだ。これは我々の命に関わることかもしれないんだぞ」

「は、はい……ごめんなさい」


 十七歳の女の子に怒られてしまった。


「湖でエロ……、じゃなかったエルフを見たんだ。その子を観ていたら意識が遠くなっていって、その後で妖精が僕の周りを飛んでいたような、いなかったような……」


 嘘な言っていない。細部の説明がないだけで大筋は正しい。


「エルフはこの森にはいないはずだ。それに妖精だと? もしかしてその妖精の羽根の色はアメジスト色をしていなかったか?」


 僕は記憶をたどる。


「アメジスト? ああ、たぶんそんな感じだったな」


「おそらくインプに幻惑魔法を掛けられたのだろう」

「インプ? 幻惑魔法?」


「ああ、インプはサキュバスの一種で旅人に幻覚を見せて惑わすという。しかし、悪戯するだけで身ぐるみを剝がされるようなことはないはずなのだが」


「なんてこった……」


 僕の全身を雷鳴のような衝撃が貫いた。

 じゃあ僕が逝ってしまったのも幻惑魔法のせいなのか? それって最高じゃないか! 是非お友達になっておきたいぜ!


「そうと分かれば、僕の服を持って移動しているならまだ近くにいるかもしれない。探してみよう」


「しかしどうやって……、相手は小鳥ほどの大きさなんだぞ」


「ラウラ、貸していたアレを返してくれ」

「あ、ああ、アレか」


 ローブと銀貨、衣服を持っていかれてしまったが、アレをラウラに持たせていたのは幸いだった。

 ラウラが取り出したのは、祖父から受け継いだ双眼鏡である。

 旅の途中で一度ラウラに貸して以来、双眼鏡をたいそうお気に召した彼女にずっと貸していたのだ。


 さっそく双眼鏡を覗き見て湖畔一帯を探してみると、


「ん? なんだアレは?」


 対岸に灯りが見えた。揺らめくその光は松明か篝火のようだ。近くに荷馬車のような物も確認できる。

 僕らと同じように湖畔で野営する一行のようだ。残念ながら妖精とは関係なさそうだ。


「なにか見えたのか?」

「対岸に荷馬車が見える。誰かいるみたいだ」

 

 僕はラウラに双眼鏡を手渡した。


「あれはメンデルソン商業組合の商会旗だな」

 双眼鏡を目に当てたままラウラは言った。


「通りがかりの行商人か、それより妖精を探してくれ」


「いや、メンデルソン商業組合は妖精族の売買を取り扱っていると聞いたことがある」


「妖精の売買?」


「要は妖精を専門にした奴隷商だ」


「むむ? ということは……」


「ああ、ユウを襲ったインプがいる可能性は高い。見つからないように近づいてみよう」


 うなずいた僕は、葉っぱで股間を隠しながら走り出した。


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