第10話

 眼が覚めると朝になっていた。


 寝ぼけ眼を擦りながらベッドから起き上がる。

 全身から漂う燻されたような煙の匂いが、ゴブリンの襲撃が夢じゃなかったことを教えてくれた。


 ベッドから立ち上がって歩きだす。

 足が重い。足だけじゃなくて全身が重くて、ひどくだるい。きっと魔力が空になるまで魔法を使った影響がまだ残っているのだろう。


 顔を洗って新しい服に着替えた僕は、町の様子を見に行くことにした。


 外へ出ると煙の匂いが立ち込めていて、町の至るところから狼煙のように白煙が昇っている。

 町へ向かう僕の足取りは物理的に重かったけど、心は軽かった。少しだけ浮かれてもいる。なぜなら、僕は騎士たちでも勝てなかったゴブリンから町を救ったのだ。


 これで町の人たちに受け入れてもらえるに違いない。

 やっと第一歩だ。

 ひょっとしたら英雄として祀り上げられるかもしれない。そんなことを考えていると自然と顔がニヤけてしまう。




 襲撃から一夜明けた町はひどい惨状だった。

 町の中心部にある家屋は、ほとんど燃え落ちて炭になっている。レンガの建物は煤で真っ黒だ。

 焦げ臭い匂いとすすり泣く声が街中を満たしていた。

 町の人たちの会話に聞き耳を立てると、農場や牧場もゴブリンたちによって荒らされたようだ。

 収穫時期を迎えた作物は踏みにじられ、牛や豚は攫われてしまった。


 被害を免れたのは郊外にある僕の家だけだ。ただの掘っ立て小屋だから興味を示さなかったのだろう。


 正直いえば、みんなから感謝されることを期待していたのだけれど、僕の姿を見ても誰も感謝してくる様子はない。


 彼らは家族と家を失ってそれどころではないのだから、それは仕方のないことだ。


 感謝感激の雨あられに胸を膨らませ、褒められたいと焦っていた浅はかな自分が恥ずかしい。

 でも、落ち着いたらきっと感謝の言葉を掛けてくれるはずだ。


「いてっ!」


 頭に何か固い物が飛んできてぶつかった。足元に拳ほどの石が転がっている。

 一瞬、訳が分からなかった。空から降ってきたのかと空を見上げる。


 快晴だった。落ちてくる物はなにもない。

 僕はそれが投石だと気付く。


 あろうことか感謝の言葉ではなく石が投げつけられたのだ。

 僕は石が飛んできた方に顔を向ける。父親らしき男の死体を囲んでいる家族が僕を睨んでいた。


「お前がもっと早くゴブリンを倒していればこんなことにならなかったんだ……」


 僕の背後で誰かが言った。


 僕はなにが起こっているのか分からず、しばらく思考が停止した。



 はっ? なにを言っているんだ? もっと早くゴブリンを倒していれば? おいおいおい、待ってくれよ。縛られていた僕になにができた? 僕を縛ったのはお前らだろうが、処刑しようとしていたのはお前らだろうが……。


 再び石が投げつけられて僕の背中に当たった。


「この疫病神め……」


 誰かが囁くように言った。


「町から出て行け……」


 次第に誹謗する声は増えていく。


 異端者、疫病神、お前のせいで、お前のせいだ、お前さえいなければ――。


 水面に起こった波紋のように非難の言葉が押し寄せてくる。


 僕の胸の中は嘔吐してしまいそうな苦さでいっぱいになった。

 悔しくてやるせなくて、心が引き裂かれそうだ。

 限界を超えてしまいそうになる。


 ――ああ、なんかもう、こいつらの頭だけ転移しちゃおうかな……。


 僕がそんなことを考え始めたときだった。


「やめんか」

 町長の声に僕は顔をあげた。


 視界に町長と大きな麻袋を背負った道具屋の店主が近づいてくるのが映った。

 僕の前で立ち止まった町長は僕に優しく微笑んだ。


「ちょうど良かった。これからお前の家に行こうと思っていたんじゃ」


「なにか、僕に用でも……」


「まずはこの町を救ってくれた礼をいう。ありがとう」

「町長……」


「それからお前がミゲルの店で言っていたことはミゲルの聞き間違いだったそうだ。誰も何も聞いていないし見ていない。お前は異端でも何でもない。普通の若者だ」


「それじゃあ……」

「ああ、お前は自由だ」


「あ、ありがとうございます」


 涙が出そうになった。やっぱりこの人だけは僕をちゃんと理解してくれる。

 目頭を抑えた僕の前に、道具屋の店主が麻袋を降ろして置いた。ずいぶんと重そうだ。中身がぎっしり詰まっている。


「これは?」

「我々からの感謝の気持ちだ。ここに一週間分の食料を入れておいた」

「ありがたいです」

「これを持ってこの町を出て行ってくれ」


「え……」


「すまないが、お前の師匠アルデラとお前を受け入れてからこの町では不幸が続いている。もうここに住まわせる訳にはいかんのじゃ。これを持ってどこか別の土地にいってくれ……」


 町長はうつむくように頭を下げた。


「……そ、そうですか。わかり……ました……明日の朝には出て行きます……」


 僕の言葉を聞いた町長は、長い悪夢から醒めたように深い息を吐いた。


「短い間ですが、お世話になりました」

 僕は頭を深く下げた。


 日本式のお辞儀に町長は戸惑っている様子だった。



 麻袋を背負った僕は家に向かって歩き出す。


 不幸があれば誰かのせいにするのが一番簡単で手っ取り早い。そいつが行き場のない憎しみや怒りの受け皿になってくれる。

 その誰かは常に立場の弱い者であり、この町でいえば僕だった。


 そして今回、僕を追い出すことで町の人たちは安寧を得るだろう。

 このまま僕がこの町にいれば、人々はいつまでも悲しみを引きずることになる。


 区切りを付けるために、町長は町を納める者として役目を全うしたに過ぎない。


 しょうがないさ。二回も死にかけたんだから命があるだもうけものだ。切り替えていくしかない。


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