第4話

 まぶたを開くと、目の前に丈の長い黒いローブをまとった男が立っていた。フードを目深に被っているから顔はよく見えないけど、体格と声は明らかに男だ。


 右手には丸い水晶玉の付いた杖を握っている。

 見たまんまステレオタイプ過ぎるほどの魔法使いであるが、そんなことはどうでもいい。この男は一体どこから現れたのか。


 玄関の鍵はちゃんと閉めた。というかここ数日外に出ていない。誰かが入ってくる気配などなかった。


 ああ、なるほど、こいつは死神なんだ……。そんなもの信じていなかったけど、本当にいるんだな、と僕は男を見上げて、

「僕を……迎えに来たのか?」と虚ろに言った。


「ふふ、そういうことになるかな?」

 とぼけた口調で返してきた男の声は、やはりどこかで聞いたことのある。


「やっぱり、死神なんだな……」


「そう思ってくれても別に構わないけど、どうせ死ぬつもりなら都合がいい。君に頼みたいことがあるんだ」

「頼み?」

「そう、これは君にしかできない頼みなんだ」

「僕にしか、できない……」


 死神から頼み事をされるなんて奇妙なものだ。


 引きこもってからろくに他人と会話していないし、当然ながら誰かに頼られるのも数年ぶりだ。だから、その相手が死神でも嫌な気分はしなかった。


「そうだな、どうせ死ぬんだ……。あんたの頼みが何なのか聞くだけ聞いてやる」


「感謝するよ。それじゃあ単刀直入に言おう。君の住む世界と僕の住む世界を交換してほしいんだ」

 

「は? 住む世界を交換?」

「そう、僕がキミとしてこの世界に住み、キミは僕として僕の世界に住む」


 そう言って男は自分と僕を交互に指差した。


「あんたの住む世界ってつまり死神の世界だろ? 死後の世界ってことか? そこにいけば首を吊らなくても死ねるのか?」


 男は肩をすくめる。


「それについては訂正する。残念ながら僕は死神じゃない。僕はキミだ」


「あんた……、なにを言っているんだ?」


「ちょっと老けていたのは想定外だったけど、これだけ離れていたら仕方ない。環境は正に僕が求めてきた理想そのものだし目をつぶるよ」

 

 意味不明なことを口ずさんだ男を、僕がいぶかしげに見上げると彼は目深に被っていたフードを取った。

 フードがふわりと後方に落ちていき、隠れていた顔が蛍光灯の光を浴びて輪郭を帯びた。


「な……」としか声が出なかった。


 そこには自分と瓜二つの顔を持った人間が立っていた。

 僕だ。僕と同じ顔の人間が目の前にいる。


 男はアホみたいに口を開いたまま固まる僕の顔を満足気に眺めている。してやったりといった具合に。


「驚くのも無理はない。だけど僕らは同一人物だ。間違いなくね」


「わ……訳が分からない」


 でも、どおりで聞いたことがある声だと思った。それは動画やボイスレコーダーに録音したときの自分の声、どこか違和感のある声だ。


「まあ、簡単に言えば僕はパラレルワールドから来たんだ。別世界のもう一人のキミということになる」


 男は僕の顔で微笑を浮かべた。


 パラレルワールドだって?

 そんな物が存在するのか?


 でも現実に同じ顔の人間が目の前にいる。だけど、それだけじゃパラレルワールドから来たなんて証明にはならない。

 だったらなんだ? そっくりさん?


 行き別れた双子の兄弟?

 壮大なドッキリ?

 誰がなんのためにそんなことを……。


 しかし、行き別れた兄弟なんかじゃないと僕の直感は否定している。

 こいつは僕だと疑いようのないほど僕の魂が肯定している。


 もしこれが事実ではなく、幻覚だしたのなら――、


「僕は頭がおかしくなったのか……」


「キミの頭がおかしいのか正しいのかなんて、僕としてはどっちでもいいよ。で、どうだい? 僕はキミの世界でキミとして暮らす。そしてキミは僕の世界で僕として暮らす。この世界に辟易していたんだろ? どうせ死ぬつもりなんだろ? だったら交換してくれよ」

 

 男は、もうひとりの僕は急かすように言った。


 彼から伝わってくる感情は、僕がよく知っている種類の物だ。それは憎しみや悲しみといった負の感情。


「なんだ、そういうことか……。あんたも……自分の世界に絶望したんだな……」


 僕が口の端だけで卑屈に笑うと、もうひとりの僕も僕と同じ笑みを浮かべた。


「さすが僕だ。言葉にしなくても僕らは解り合える」


「……教えてくれ、あんたの世界はどんなところなんだ?」


 ドアノブに括りつけたタオルから首をはずして僕は立ち上がった。





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