第5話

 僕らは向かい合い、互いに見つめ合う。

 鏡を見ているのとは全く違う。違和感しかなくて、正直に言ってしまえば気持ちが悪い。

 自分だけど自分じゃないという不思議なこの感覚は、言葉では言い表すことができない。


「君を騙そうと思えば『この世の楽園だ』だとうそぶくこともできるけど、それだと僕がここにいる理由に筋が通らなくなる。だから嘘偽りなく伝えるよ」


 もうひとりの僕は、そう切り出した。


「僕の住む世界はね、それはそれは酷い世界だよ。街から一歩外に出れば恐ろしい魔物に襲われる危険があるし、人間と魔族の間でしょっちゅう戦争が起きている。常に死と隣り合わせだ」


「魔物ってゴブリンとかトロールとか?」

「その通り。よく知っているじゃないか」

「まさかドラゴンもいるのか?」


「おいおい、まさかこっちの世界にも魔物がいるのかい?」


 僕は首を振った。

「いや、こっちの世界では空想上の生き物だ。魔物なんてカテゴリーの生き物はいない。それよりあんたのその格好、ひょっとして魔法がある世界なんじゃないのか?」


「まさしくその通り、ちなみに僕は魔導士だ」

「じゃあ、火を出したり風を起こしたりできるのか?」

「そういう魔法もあるね」

「本当か! じゃあステータスオープンは?」

「ステータスオープン? それはなんだい?」


「いや、ないならいいんだ。なあ、なんか魔法を見せてくれよ。火とか水が出るやつがいいな」


「残念ながら基本属性魔法は僕の専門外でね。僕の専門は時空転移魔法、時空を超えて別の世界に転移する魔法、それを使ってキミに会いにきたって訳さ」


「なんかもう……パラレルワールドというより完全に異世界だな……」


「まあね、近くの平行世界なら環境が少し変化するくらいなんだ。遠くなればなるほど変化は大きくなる。僕らの世界はお互いにとってかなり斜めなようだ。それは僕の望むところでもある」


 僕には正直、もうひとりの自分がなぜ世界を交換したいのか腑に落ちなかった。だって――。

 

「僕がこんなことを言うのも変だけど面白そうじゃないか……あんたの世界。このクソみたない世界よりもずっと面白そうだ。だってそうだろ? 剣と魔法のファンタジー世界ってことだろ?」


「うーん、それは価値観の違いとでもいうのかな、隣の芝は青く見える的な? とにかく、僕はそんな『剣と魔法のファンタジー世界』に辟易(へきえき)しているんだ。安全な世界で自堕落に暮らして生きたいんだよ。そして見つけ出したのが君の住む世界だ! この部屋を少し見渡しただけでも君の世界が平和であることが分かる! 文化レベルも科学も僕の世界と比べ物にならないほど発展している! この世界は正にユートピアだよ!」


 彼は興奮したように声を弾ませた。


「ユートピア……」

 ぷっ、と思わず吹き出してしまう。


「薄汚れた人間で溢れたこの世界がユートピアだって? 剣と魔法の世界の方が遥かに魅力的だ、ははっ」


「さっきも言っただろ? それは視点の違い、見解の相違に過ぎない。でもこちらとしては、そう言ってくれて助かるよ。これで互いの利害は一致した。じゃあ交渉成立でいいかい?」


「ああ、どうせ死ぬつもりなんだ。どうせなら異世界に行って見たこともない物を見てから死ぬ方がいい。あんたこそ後悔するなよ? この世界は悪意に満ちた魑魅魍魎の世界だぞ」


「心得ておくよ。さて、じゃあさっそく転移を始めよう」

「今からか?」


 もうひとりの僕は不思議そうに首を傾げた。

「死のうとしてたのに、何か心残りでも?」


「……確かに、そうだよな……。大丈夫だ。送ってくれ」

「快く引き受けてくれたお礼に何か三つまで、キミの私物を一緒に転移してあげよう」


「本当か?」


 三つと言われると悩んでしまう。スマホか? いや、異世界まで電波なんて届かないし……。


「あ、そういえば言語ってどうなるんだ? 読み書きや会話ができないと転移した後からいきなりハードモードだ」


「心配ないよ。転移した瞬間にその世界の僕という存在が保有する情報とリンクするはずだ。現に僕はこの世界の言語を知らないけどキミと意思疎通が出来ているだろ?」


「理屈はよく分からんがそれを聞いて安心した。よし、持っていく物が決まった」


 そそくさとキッチンに向かった僕は冷蔵庫からボトルを取り出す。濃い琥珀色の液体が入ったペットボトルだ。


「まずはこれだ」

「それは?」

「これは『めんつゆ』だ。醤油も捨てがたいがこれさえあればほとんどの日本食が再現できる」


「なるほど、故郷の味は重要だ。で、二つ目は?」


「二つ目はこれだ」と言ってタンスの引き出しから取り出したのは双眼鏡である。


「それは望遠鏡かい? ずいぶん小さいね」

「ああ、こいつは祖父から受け継いだ大切な物なんだ。持っていかない訳にはいかない」


「ふむ、了解した」

「そして最後、三つ目ははこれだ」


 僕はベッドの三分の一を占拠する愛用の抱き枕を持ち上げた。


「ん? それは枕かい?」


「その通り、僕はこれがないと眠れないんだ。向こうの世界が嫌になって永眠したくなったときに必要だろ?」


 僕がしたりと笑うと、もうひとりの僕はお腹を抱えて笑い出した。まるで子供のように涙をちょちょぎらせて笑っている。


 彼は涙を指先で拭って、

「ああ、久しぶりに笑ったよ! この世界の僕はなんてユニークなんだ!」


「自分に褒められるなんて光栄だね」


「楽しませてくれたからサービスだ。これも持っていくといい」


 彼は棚に飾られたインテリア用の地球儀を手に取り渡してきた。


「地球儀? なんでだ?」


「もしかしたら向こうの世界で異世界からやってきたことを証明する日がくるかもしれないだろ? そのときにきっと役立つよ」


「なるほど。そうかもな、サンキュー」

「あと、それからこれを」

 

 差し出されたのは厚手の布で作られた巻物である。


「ひょっとしてこれって魔法のスクロールか?」


「いや、開いても魔法が飛び出たりはしないよ。これは僕からの贈り物だ。向こうの生活で行き詰ったら開いてみるといいよ。ま、指南書みたいなものさ」


「助かるよ」


 僕が巻物を受け取ると、こくりと僕らは同時に頷いた。


「じゃあ準備はいいかい?」

「ああ、頼む」


 こくり、ともうひとり僕がうなずく。


《アナザーディメンション》


 彼が呪文を唱えた途端、視界が暗転して立ち眩みを覚えた。次の瞬間には僕の体は知らない部屋へと転移していた。





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