第2話

 なぜこんな状況になっているか、まずそれを簡単に話したい。


 日が沈みかけた中央広場で処刑台に火が放たれようとした瞬間、獣の雄叫びと共にゴブリンたちが一斉になだれ込んできた。


 人々は逃げ惑い、僕を火炙りにするために持っていた松明を投げ捨てた。火は風であおられてマーケットのテントに燃え移り、あっという間に炎は燃え広がる。


 一か所に集まっていたため、逃げ遅れた者たちはゴブリンに取り囲まれて殺されてしまう。

 唯一の戦力だった騎士団はとっくに瓦解している。

 そして現在、ゴブリンロードに女騎士隊長が襲われているところだ。


 誰がどう見てもバッドエンド一直線の未来しかないこの状況で、傷だらけの騎士が女騎士隊長を助けるべく立ち上がった。彼こそ本物の勇者だ。しかしすでに満身創痍である。


「隊長から離れろ! 下等な魔物め!」


 騎士は剣を振り上げてゴブリンロードに斬りかかる。

 だが、無情にも彼の体はいとも簡単に薙ぎ払われて宙を舞った。高々と舞い上がった騎士は僕が縛られている柱の突端にぶつかり落ちてきた。同時に彼の持っていた剣が僕の足元に突き刺さった。


 なんということでしょう。

 これを利用すれば手を縛るロープが切れるではないか。


 僕は柱を回り込み、自分の手を切らないように両手を縛るロープを剣の刃に当てた。両腕を上下に動かしてロープをブツリと切断することに成功する。


 剣を引き抜いてこのままトンズラだ、と走り出そうとした僕の前にゴブリンロードが立ちはだかった。 

 雄々しくいきり立ち反り返ったイチモツをこちらに向けている。


「ちょ、ちょっと待て! あんたの交尾を邪魔したのはオレじゃない! あっちの男だ!」


 僕が倒れたまま動かない騎士を指さしてもゴブリンロードは、ガウルルルルと怒りに震える唸り声を上げるだけで聞く耳を持たない。というか言葉が通じない。

 

 ならば態度で示すべく僕は剣を投げ捨てて両手をあげた。無害を猛アピールだ。


 今まで僕が縛られていた柱を片手で持ち上げたゴブリンロードは、腕を上げて大きく振りかぶる。


 あんなもので叩かれたら一撃でぐちゃぐちゃに潰れてしまう。火刑も嫌だが潰れたカエルみたいな死に方も嫌だ!


 僕は考えた。死を目前にして脳みそが、とんでもない速さで回転しているはずだ。だって視界に映るすべてがスローモーションになって見える。


 迫りくる柱がゆっくりと近づいてくる。


 武器、ない。パワーもない。スキルもない。

 あるのは魔法だけ。そう、あいつの……もうひとりの僕が使っていた、そして僕が唯一使える時空転移魔法だけだ。


 僕にできること、その回答はゴブリンロードを転移させることだけ。


 どこかの世界に転移させてしまえばいい。

 できるかどうか分からない。

 でもやるしかない。

 その可能性に賭けるしかない!


 僕はゴブリンロードに手をかざして叫んだ。


時空転移魔法アナザーディメンション!》


 柱を握るゴブリンロードの右肩にバスケットボールほどの黒い球体が出現する。

 そして何事もなかったように球体は萎んで消えてしまった。


 それだけだった。

 ゴブリンロードは消えていない。


 失敗だ。

 こいつを転移させるには大きさが足りなかった。対象をすべて包み込まなければならないのだ。


 異変に気付いたのはそのときだ。柱を握りしめるゴブリンロードの太い腕が、どさりと地面に落ちていった。腕を失った肩から噴水のように鮮血が噴き出す。


 ゴブリンは消せなかったけど転移には成功していた。

 つまり、肩だけが転移したのだ。


 ゴブリンロードは絶叫をあげた。憤怒に燃える大きな濁った眼で僕を睨みつける。


 僕は恐怖のあまり再び呪文を唱えていた。

 今度は反対の肩が転移する。


 両腕を失ったゴブリンロードがたじろぎ、彼の眼から戦意が失われていくのが分かった。それでも恐怖に囚われていた僕は詠唱を止めなかった。


 何度も何度も詠唱を続ける。

 唱える度にゴブリンの体の一部が欠損していく。もうとっくに頭がない。それでも詠唱を続けた。やがて魔力が切れて魔法が撃てなくなり、最後にどこの部位かも分からないゴブリンの肉塊だけが残った。


 肩で息をしながら、僕はしばらく肉塊を呆然と見つめていた。


 やっと自分が助かったことを理解して立ち上がり、その場に落ちていた騎士のマントを拾い上げて、蹲る女騎士隊長の身体に掛けてやる。


「……大丈夫か?」


 返事はない。僕を見上げた彼女の頬は涙で濡れている。そして僕を見つめる彼女の瞳は恐怖で震えていた。まるで化け物を見るかのように、ゴブリンロードと対峙していたときのように震えていた。


 ボスが敗れたことに気付いたゴブリンたちが三々五々、次々と逃げ出していく。それとも粗方略奪を終えて引き返しているだけなのかもしれない。

 

 僕はぼんやりとそんなことを考えながら家に向かって歩き出した。


 文字通り炎上する町を朦朧とした意識でふらふらと歩き、町の外れにあったことが幸いして火煙を免れた我が家にたどり着くと、そのままベッドに倒れ込んで寝てしまった。



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