第2話 騎士団長お気に入りの魔法薬店(後編)
「ジャンヌッ!!これはどういうことなんだいっ!?」
血相を変えたレオンが店に飛び込んできたのは、その日の夕方――もうじき店終いという頃合いだった。
レオンの手には一枚の紙切れ。
店の扉に貼り付けていたもので、そこには「レオン様出禁」の旨をできるだけ丁寧な言葉で書いてあった。
デボラ嬢への意思表明として、私が作った張り紙である。
「ちょっと、勝手に破らないでくださいよ。酷いじゃないですか」
「酷いのは君だよ!どうして俺が出禁なんだ!?」
「レオン様が
「周囲の目?」
私の言いたいことがトンと分かっていないようで、レオンは首をかしげた。
「年頃の男女が頻繁に会っていると誤解されるでしょう?恋人に見られたら、浮気と思われても仕方ありませんよ」
私がそう言った途端、
「……恋人?」
急にレオンの声が低くなった。私はゾワリと寒気を覚える。
「ジャンヌ。まさか、君。付き合っている男がいるの?」
本能的に、これはすぐさま否定しなければならない――そう感じ、私ははり声を上げた。
「いませんよ!私に恋人なんて!結婚願望すらありませんから!!」
「え、あ……。そうなんだ?」
気の抜けたようなレオンの声。同時に、凍えそうな場の空気は緩んだ。
「恋人がいないのは良いけれど。でも、結婚したくないのはどうして?」
「まぁ、それは個人的な理由で……」
私に結婚願望がないのは本当である。だからこそ、世間で言うところの「行き遅れ」な年齢になっても婚活すらしていない。
両親の結婚生活を見て育った結果、こうなったのだ。
私の父親――父とも思いたくないが、少なくとも生物学上の――は最悪最低な男だった。
私の父も母も魔導士だった。
もともと父は金遣いが荒く、自分で稼いだお金はほとんど自分のために使い、生活費は母頼りだったらしい。しかし、その母が体を壊して働けないと分かると、病床の母と幼い私を捨てて、とっとと別の女のところに行ってしまったのである。
当然、私と母は困窮した。
幸い母はなんとか回復したため、どうにか生きながらえたが、そうでなかったら今頃どうなっていたことか。野垂れ死んでいてもおかしくない。
そんな
男に頼らず、一人で生きていくための力が欲しい――私はそう思った。
だから子供の頃から魔法の勉強に励み、魔導士として成功するため努力してきたのだ。
私と母を捨てた父を見返したい――そういう気持ちもどこかに在ったかもしれない。
まぁ、現実は――残念ながら夢に破れ、私は宮廷魔導士にはなれず故郷に帰ってきたわけだが……って、私のことはいい。
今、問題なのはレオンのことだ。
「私じゃなくて、レオン様!問題はあなたのことですよ!」
「え?俺かい?」
「今日、あなたの恋人を名乗る女性がうちに乗り込んできました」
私はデボラのことをレオンに話した。
「誤解だよっ!!」
レオンは全否定した。ブンブン、大きく首を横に振っている。
「彼女は母の友人の娘!それだけだ!恋人なんてとんでもないっ!!」
正直、レオンとデボラが恋人同士かどうかなんて、私にはどうでも良い。
おそらくレオンの言う通り、デボラが嘘を吐いているのだろうと思う――ただ、それが問題ではなかった。
「問題なのは、デボラお嬢様の敵意が私に向くことです」
「え?」
「彼女は貴族で、私は平民。彼女が私の店を潰すなんて簡単なんですよ?」
「……」
私の言葉に、レオンは押し黙る。
レオンは侯爵家の子息だ。
貴族が平民に対して、どれほど有意な立場なのか、私がわざわざ講釈垂れる必要もないだろう。
「レオン様。そういった事情なので、少なくともデボラお嬢様がこの街にいる間は、
「分かった……迷惑をかけてすまない」
ぽつりと、レオンはそう
*
レオンは出禁にしたし、これでデボラを刺激するようなこともないだろう。
――と、私はそう思っていた。思っていたのだが、
私が愚かだった。
「ジャンヌ、なんて偶然だ!」
「やぁ、奇遇だね!」
「まさか、こんな所で会えるなんて――運命だ!」
約束通り、店には来なくなったレオン。
だが、私の行く先々でヤツは姿を現すようになった。
それは道端だったり、買い物に訪れた先の商店だったり、森の入り口だったり。さも偶然を装って、レオンは私の周りをウロチョロする。
これじゃあ、店を出禁にした意味がないではないか――私は頭を抱えた。
そして、とうとう事件は起こる。
「がはっ」
薬草採取に訪れた森で、私は潜んでいた男に唐突に殴られた。
相手は二人組で、その顔には見覚えがある。デボラにお供として同行していた男達だ。
私は地面に引き倒され、男たちは馬乗りになってきた。すぐさま、魔法で応戦しようとするが――、
「おいっ、魔法を使えないようにしろっ」
「わかってる」
そう言うなり、男の一人が私の口に布を丸めたものを突っ込んできた。
まずい!これでは魔法の詠唱ができない――私は焦る。
ビリリッという音がして、ブラウスを破かれたことを知った。それで、男たちの目的がはっきりする。
「お前が悪いんだぜ。お嬢の忠告を聞かないから」
アレは不可抗力。悪いのはレオンだ――と反論したいが、口は塞がれてしまっている。
ひゅう、と男が口笛を吹いた。
「なんだ?イイ体しているじゃねぇか」
「ああ、乳がデカい」
下卑た男たちの笑い声が聞こえる。
腹立たしいことこの上ないが、非力な私がこんなガタイの良い男たちに力で敵うわけがない。
もちろん、黙って犯されるつもりもないが……
私は息を整えた。
これでも昔は、冒険者の真似事をしていたこともある。
落ち着け、怖がるな。冷静に対処しろ。私なら大丈夫だ。
そう、自分に言い聞かせ、ぎゅっと目を閉じる。精神を集中させた。
「なんだ?観念したか?」
「そうそう、諦めが肝心だぜ」
大人しく組み伏せられている私を見て、男たちは油断したようだった。
――今だ!
突然、森の中を目がくらむような閃光が駆け抜けた。
光の正体は単なる『灯り《ライティング》』の魔法で、これ自体に殺傷力はない。私が無詠唱でも発動できる簡単な魔法だ。
しかし、間近で『灯り《ライティング》』を喰らった男たちはひとたまりもなかった。あまりの眩しさに、
「目がぁっ!!」と叫んでいる。
一方で、あらかじめ目を閉じていた私はノーダメージだ。
男たちの拘束が緩んだすきに、私は彼らの下から這い出た。口に入れられた布を吐き出す。
「てめぇ。こんなことして、タダじゃおかねぇぞ!」
ふらふらとした足取りで何とか立ち上がった男がそう叫ぶ――が、それはこちらのセリフ。そして、相手が回復するのを悠長に待ってやる義理もない。
次の瞬間、私の放った雷撃が男たちの体を貫いた。
*
カタカタとしばらく体が震えていた。その震えが収まるまで、しばらくかかった。存外、私は怖かったらしい。
そのせいで、森の入り口まで帰った頃には、陽も暮れてしまっていた。
私の後ろでは、電撃で気を失った男二人がぷかぷかと宙を浮いている。こんな図体の大きな男どもを私が抱えるのは不可能なので、浮遊術を使って運んでいるのだ。
このまま暴漢として、騎士団に突き出すつもりである。
まったく、薬草はほとんど採取できなかったし、ロクな日じゃなかった。
私がそう腹を立てていると、よく知った青年の声が耳に聞こえてきた。
「ジャンヌ!薬草採取と聞いていたが遅かっ……いやいや、偶然だね――って、え?」
私の姿を目にして、レオンは言葉を失った。
そう言えば、ブラウスは無惨に破かれて下着が丸見えの状態である。なんとも酷い格好だった。
「ジャンヌ。それ……」
「これはですね……」
「まさか、そいつらに――」
ぶわっと、レオンから殺気があふれる。思わず「ひっ」と声が漏れた。
殺気の対象は後ろで伸びている男たちだが、私まで肝が冷えるような、物凄い代物である。
このままじゃ、私の精神衛生上よくない。とりあえず、私は彼を宥めることにする。
「大丈夫です!未遂で終わりましたから!」
「……本当か?」
「本当です」
私の言葉を聞いて、いくらかレオンは落ち着いたようだった。
「服は破かれていますが、私自身には大した怪我はありません。腹を殴られたくらいで」
「腹をっ!?早く、治療を!」
「後で、自分でやります。それより、ちょうど良かった。この暴漢たちを騎士団に突き出そうと思っていたんです。お願いできますか?」
そう言って、私は背後でプカプカ浮いている男たちを指さした。
「それはもちろん、もちろん……だが。こいつらは、もしかしてデボラ嬢の……」
「お供の方たちです」
私がそう言うと、レオンは歯を食いしばる。
「すまない。俺のせいだ。俺が君に不用意に近づいたから」
まぁ、それはその通りなので、私も否定はしなかった。
もっとも、一番悪いのはデボラだが。
それにしても、お供の人間を暴漢に使うとは。デボラはどういうつもりだったのだろう。私は不思議に思う。
私が目障りだから消したいのは分かるが、少し間抜けすぎないだろうか?これでは、自分が悪事の首謀者だと白状しているようなもの。言い逃れができない。
そもそも私が傷物になれば、レオンが私に愛想をつかすとでも本気で思ったのか?むしろ、そんな悪巧みをすれば、デボラがレオンの反感を買うのは必至だろうに……。
お貴族サマの考えることは、私にはちょっと分からなかった。
レオンは言った。
「この件は、絶対に俺がちゃんと処理する。もう君に危険が及ばないようにするから、任せてくれないだろうか」
そこまで言われたら、私も
*
話があるから、夜の中庭で待っていてくれないか?プレゼントも用意しているんだ。
そうレオンに言われて、デボラは舞い上がった。
クローヴィス家の屋敷に来てはやひと月、やっとレオンの方から声を掛けてくれたのだ。しかも、待ち合わせ場所は人気のない夜の庭だという。
もしかしたら、何か起こるかもしれない――とデボラは頬を染めた。
レオンが王都の王立騎士団に入団した頃、令嬢たちは彼の噂でもちきりだった。
背が高く、容姿端麗で家柄も素晴らしい彼は、それだけで目立つのだ。さらに、レオンは剣や魔法も天才的な才能で、若くして最強の魔法剣士だと評判だった。
このままエリートコースを進み、いずれは王都で騎士団長になるはず……と誰もがそう思っていた。
それなのに、彼は突然故郷に帰ってしまったのである。
その理由は一切、不明とされていた。
レオンが王都からいなくなっても、デボラは彼を諦めきれなかった。
デボラの両親は娘が行き遅れになることを恐れて、色んな見合い相手と引き合わせたが、彼女は頑として首を縦に振らなかった。
絶対にレオンが良い、何とかして彼と結婚を――デボラはそう執念を燃やす。
レオンはクローヴィス家の子息だが、彼には兄がいて、跡継ぎではない。だから、レオンがマーレイ伯爵家の入り婿になれば、両家にとって利になると、デボラはクローヴィス侯爵夫妻に訴えた。
しかし、夫妻はあまり乗り気ではない。
「まぁ、息子が良いと言うなら……」
そう言ってお茶を濁していた。
ならばこちらからと、デボラは思い立つ。
母同士が友人であることを理由に、彼女は何とかオルレアにある侯爵の屋敷に滞在させてもらえることになった。
この滞在期間中に、何とかレオンと仲よくなりたい。あわよくば、既成事実を作りたい――そんなデボラである。
しかし、しばらくして彼女に不愉快極まりない情報が飛び込んできた。
なんでも、レオンには想いを寄せる相手がいるらしい。何と彼女のために、彼は王都から故郷に戻ったというのだ。
そして、デボラが最も信じられないのが、レオンの相手が平民だったことだ。
あのレオンが……。
デボラにとって信じがたい、許しがたい話であった。
それでデボラはその相手――魔法薬店の女店主――の下を訪れた。
レオンを誘惑するくらいだから、どんな美女なのかと思ったら、全然大したことはない。
化粧気はなく、肌は陽で焼けていたし、手先などは荒れてガサガサしていた。地味な印象の女だ。
自分の方が何倍も良い女だ、とデボラは思った。
デボラはその女店主に忠告した。レオンと別れろ、と。
女店主はしおらしい態度でレオンとの仲を否定し、デボラこそ彼に相応しいと言っていた。心優しいデボラはそれで引き下がってあげたが、それは間違いだったようだ。
女店主は噓つきの性悪で、偶然にかこつけてレオンに会いに行っていたのである。
平民風情に、こんな舐められたマネをされて、黙っているデボラではなかった。
女店主には罰が必要だった。
デボラは護衛役の二人に命じて、彼女を襲うように命令した。
事前の情報で、女店主は昔王都の魔法学校に通っており、かなり優秀だったと分かっていたため、腕の立つ護衛二人を任務にあてたのだ。
これで女店主はデボラに逆らったことを後悔するだろうし、レオンは
万全の策だと、デボラは自画自賛する。
そこへレオンに声を掛けられたのだ。彼女は有頂天になった。
夜、言われた通りデボラは中庭に向かった。
季節の花が咲き乱れる美しい庭だ。この家の
月が雲に隠れてしまっていて、辺りはとても暗い。
そんな中、デボラの目に背の高い人影が見えた。
「こちらへ」
人影が手を振る。声でレオンだと分かり、デボラは喜び勇んで駆けて行った。
「お待たせして申し訳ありませんわ」
「いや。こちらも今来たばかりだ」
「それでお話って?」
高鳴る胸をおさえながらデボラがそう聞いた矢先、雲から月が出た。
月の光がレオンの足元を照らす。その時になって、やっとデボラは彼の足元に何か大きな物が転がっていることに気付いた。
それが何なのか――月が照らして
「ひっ!?」
デボラが小さく悲鳴を上げた。
レオンの足元にあったのは人だった。
二人の男が縄で縛られ転がっている。しかも、その顔は血まみれで誰が誰だか判別がつかなかった。瞼や頬は腫れあがり、鼻や歯が折れている。
「なっ、なっ……」
驚きのあまり声も出ない様子のデボラに対して、レオンは事もなげに言った。
「ああ。これがプレゼントだよ。わざわざ、森から連れてきたんだ」
その言葉で、デボラは地面に横たわっている二人が、自分の護衛役の男たちだと気付いた。
「気にいってくれたかな?もう一生、リンゴも食べられない体だろうが」
レオンは明るい調子で護衛役たちについて話すと、
「お前がコイツらにジャンヌを襲わせたことは分かっているんだ」
一転。急に声が低くなった。
それはまるで地を這うような声である。
デボラは恐る恐るレオンの顔を見た。
月明かりに照らされた彼の顔は相変わらず端正だ。
ただ、そこには一切の感情はなく、無表情。まるで人形のようにレオンはデボラを見下ろしていた。
だが、その奥底が真っ暗な――瞳孔が開いた目を見た瞬間、デボラは彼の激しい怒りを悟った。
恐怖にデボラは身をすくませる。
何か弁明しなくてはと思い、しゃべろうとする――が、舌が上手く回らない。彼女は陸に上がった魚のように、口をパクパクさせるだけだった。
「明日の朝。すぐにこの屋敷から、領内から出て行け」
涙を流しながら、こくこくとデボラは
「もしこれ以上、ジャンヌに何かしてみろ。その時は俺が……」
「……し、しない。な、なにも……何もしないからっ!」
震える声で何とか訴えるデボラ。それを聞いて、ようやくレオンは身をひるがえし、その場から去って行った。
彼の遠ざかる背中を見て、デボラはその場に座り込む。
ふと、デボラの鼻を臭気が刺した。そして、彼女は気付く。自分の下の地面が濡れていることに。
恐怖のあまり、デボラは失禁してしまっていた。
*
「ジャンヌー!!」
「うわ、また来た」
店に飛び込んできた背の高い青年を見て、思わず口から本音が漏れた。
まるで大型犬が飼い主を見つけ駆けて来るように、レオンがこちらにやって来る。
「一応、聞いておきますが……デボラお嬢様の件は?」
「あれなら、ちゃんと解決したさ!今朝早くに彼女は屋敷から出て行った。関所にも確認して、昼過ぎにこの領地から出たことが分かったぞ!」
「……それじゃあ、一先ずは安心して良いんですかね」
やれやれと肩の荷が下りた気分だった。
そんな私に、レオンは力強く
「もちろんさ!それより、ジャンヌ。怪我の具合はどう?後遺症はないか?もし、何かあれば俺がちゃんと責任をとるから」
どういう責任だ……ということを、私は追及しないでおいた。
「御覧の通り、私は元気です。あれくらいの怪我なら、私の白魔法でどうにでも……」
「そうか!さすがは君だね」
にこにこにこ――と笑うレオン。
もう、用件は済んだのだろうか?
しかし、彼はそこから立ち去ろうとはしなかった。
「……それで、ご用件はそれだけですか?」
「もちろん、まだあるよ!君と話さなくちゃ!」
相変わらず、大人とは思えない無邪気な笑みでレオンが言う。
もしかしたら、この男には何を言っても無駄かもしれない。そんな諦めを覚えながら、私はため息を吐いた。
「営業妨害は勘弁してください」
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