自家撞着

小狸

短編


「お前の書く小説っていうのはさ――」


 彼からのそんな批評を右から左へと受け流しながら、僕は烏龍ウーロン茶を喉へ流しこんだ。それと、定期的に返事をしないと面倒臭いことになるので、一応頷く。


「うん」


「半分が自己投影のそれで、半分が探偵小説にしようとしていて、何つうか、どっちつかずなんだよな。結局何が言いたいのかっていう部分が弱いっつうの? どっかライトノベル的っつうか、キャラクター先行型っつうかさ。それで文壇に立とうなんて、正直片腹痛いぜ」


箴言しんげん、痛み入るよ」


 僕はそう言った。言うだけならば無料ロハである。


 僕は現在、傷病のため、仕事を休職している状態にある。そんな中で自分にできることを探した結果、かつて――中学時代に行っていた小説の執筆を思いついたのだった。


 勿論もちろん、それですぐに新人賞を受賞することができれば、それこそ小説の世界である。そんなことはなく、ツイッターの、知り合い限定のアカウントの所で、時折公開するだけに留めていた。


 そして――今日。


 僕は、彼に誘われて、家の外に出ていた。


 駅から五分の所にある、個室のある飲み屋の一席である。


 彼――とは、僕の大学時代の友人で、人に上から目線で講釈を垂れることの大好きな所のある――長井ながいという男である。


 久方ぶりに外に出ようということで彼から誘いを受けて、僕はその飲み屋へと赴いた。普通にしていると良い奴なのだが、酔いが回ると面倒なのが、玉にきずである。


「本当かぁ? どっちかっつうとお前は、俺の言葉なんて完全に受け流していて、どうやらそれを自分の売りだとばかり思っているようだが、生憎それは違う。それは、欠点だぜ、先生」


「欠点ね、確かに僕には多いのかもしれないな。というか、先生というほどに、僕はまだ小説を書いちゃいないよ」


「そうだ。その批判を受け流す姿勢にも、俺は得心がいってねえんだよ。折角俺が批判してやっているっつうのに、お前ときたら酒も飲まず、ただ頷いているだけじゃねぇか」


下戸げこなものでね。それに薬を飲んでいるから、酒は飲めないんだ」


「けっ。薬ねえ」


 そう言って、彼はぽつりと続けた。


「心の病気、なんて正直、気の持ちようの問題じゃあねえのか?」


「…………」


 僕は何も言わなかった。


 何も、言うまい。


 僕が、さる精神疾患にかかっていて、以前のようにまともに人と話すことすらままならなくなったことなど、ここで声高こわだかに主張したところで、どうにかなる問題ではないのだ。


 精神疾患者への旧時代的な固定観念は、若い世代の人間にも根強く蔓延はびこっている。


 特に長井のような、営業で血気盛んになって働く人間からすれば、「甘えている」ように見える、という気持ちも分からないでもない。


 ただ、分かって欲しいとも、思わない。


 人の考えを変えることは難しい。


 僕はそれを、二十六年間で、痛いほど痛感しているから。


 ただ、今こうして外に出られているのも、定期的に処方される薬のお蔭である。


 一度風邪をこじらせて一週間通院できなかったことがあり、その時は本当に地獄だった。人を目を合わせるどころか、外にもまともに出られず、かなり痩せてしまった。それからは健康管理に努めるようにしている。


 だからこそ、何を言われようとも、何を呟かれようとも、僕は気にしないというスタンスを貫いていた。


「実際どうなんだよ、小説で食べていこうとか、思っちゃってるわけ?」


「さあね。どうだろう。創作で一生食べていける者なんて、全体のごくわずかだろう。自分に才能があるだなんて、勘違いをしたことはないよ。だからそうだな、いずれ恢復かいふくし次第、仕事をすることになるだろうな」


「ふうん。そうかぁ」


 言って、彼は麦酒ビールを一口飲んだ。


「新人賞とかには、応募しているのかよ?」


「ああ、時々ね。元々中学と高校の時から応募していたんだけど、その延長線で、いくつかの賞に送っているよ」


「へえ、その小説、ぜひとも読んでみたいねえ」


「断る。君に読ませると、どうせ批評ばかりだろう」


「何を言うか、俺はお前のためを思って言っているんだぜ?」


 そう言って、彼は偉そうにした。元から自信過剰なところのある彼だが、今はそんな彼が少し羨ましい。自分にも、そういう自信めいたものがあれば良いのに、と思ってしまう。いつだって自分は、卑下の対象である。人はそれを「謙虚だ」などと言うけれど、とんでもない。


 僕には自信がなく、自分もないのだ。


 酒の勢い、という訳ではない。どちらかというと場に酔ったのだろう、僕はぽつりと本音をらした。


「最近は小説を書くことも、辞めてしまおうか、とも思っているんだよな」


「はぁん? 急にどうしたんだよ」


「いや、まあ、確固たる己を持って書き続けられればそれで良いのだろうけれど、僕にはそういうものがないからさ。公開しているのだって仲間内だけだし、その中でどれくらいの人が読んでくれているだろう? 見えるんだよ、制作者側からだと、どれくらいの人数がその小説を読んだか、っていうのがさ。折角書いた渾身の一作が、誰の目にも留まっていないことを見ると、正直辛いものもある」


「数字、数字、数字ねえ? 多くの人間に読まれることが傑作の条件って訳じゃねえだろう、そればっかりは仕方ないんじゃねえのか。だったら新しくアカウントを作って、そこで公開すりゃ良いじゃないか」


「新しく作ったところで、見る人がいなきゃ、ただの駄文じゃないか」


「ほら、そうやって自分を卑下すれば、誰かが声をかけてくれるとか思っているんだろう?手を差し伸べてくれる準備をしているんだろう? 甘いんだよ、考えが。生憎俺はそんな優しい人間じゃあないんでね。言わせてもらうが、お前は自分がないわけでも、自信がないわけでもない。ただ勇気がないだけなんだよ」


「勇気」


 そんな言葉が、長井の口から出るとは思っていなかった。


「歴史的な小説家――文豪と呼ぶべき者らが、おぎゃあと産まれた時から歴史的な訳がないよな。その点生ってのは平等だ。その後の、それ相応の努力と、鍛錬と、そして批評を浴びて、令和の今も尚、名を刻んでいる。ただその中でも、一歩を踏み出す勇気、というものが、どこかにあったはずなんだよ」


「…………」


「どこかの小説新人賞に応募する時でも良い、高名な先生に自作の小説を読んでもらう時でも良い、初めて何かをする人間が、初めから何かを得ていることなんてねえんだ。――そこに必要なものを、俺は『勇気』と呼んでいるね」


「成程、勇気、ね」



 そこまで自信たっぷりに言われると、反論の余地がなかった。


「確かにお前は病気かもしれねえが、それを言い訳に零を零のままにしている現状を、俺は良しとは思わないね。少しでもプラスの側へと動くように前を向く――それが、生きるってことなんじゃねえの?」


「……君は時々、良いことを言う」


「はっ。時々じゃねえ、いつもだ」


 そう言って、長井は、残っていた麦酒を一気に喉に流し込んだ。


「今日は俺が飲みすぎたし、言い過ぎた。おごらせてくれや」


 そう言って、すぐさま財布を取り出す僕を制した。


 彼を嫌いになれない理由が、どこか分かった気がした。


 *


 家に帰って、パソコンを起動した。


 新しくSNSのアカウントを作ろうか、どうしようか、これでも迷った。


 小説用? 


 いやいや、そこまで小説に根を詰めて、お前は一体何になりたいんだよ、本当に小説家になれると思っているのか、思い上がりも甚だしい、なれるはずがないだろう、今何歳だと思っているのだ、現実を見ろ、現状を見ろ、自分が何か努力して続けられた経験があるか、何か継続して成果が出たことがあるか、きっとまた馬鹿にされる、噂話にされる、否定される、酒のさかなにされる、下らないと非難される、そんな元気があるなら働けと言われる、理解のない言葉をかけられる、嘘を吐かれて逃げられるに決まっている。


 今までがずっと、そうだったから。

 

 でも。

 

 もそうだという保証は、どこにもない。

 

 僕は、メールアドレスとパスワードを入力し、新しいアカウントを作った。

 

 小説家になるでも、病気の完治するためでも、人から認められるでも、人から褒められるでもなく――


 筆名は、中学校の時から決めていた。


 僕はその名を、名前欄に入力する。


 その名は四つの漢字――八つの音で構成されている。


 ××××。


 新しい自分、これまでとは違う自分。


 あれだけ言われて、言われっぱなしというのも、格好がつかない。


 少しだけ前を向いてみようと、僕は思った。




(了)

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自家撞着 小狸 @segen_gen

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