自家撞着
小狸
短編
「お前の書く小説っていうのはさ――」
彼からのそんな批評を右から左へと受け流しながら、僕は
「うん」
「半分が自己投影のそれで、半分が探偵小説にしようとしていて、何つうか、どっちつかずなんだよな。結局何が言いたいのかっていう部分が弱いっつうの? どっかライトノベル的っつうか、キャラクター先行型っつうかさ。それで文壇に立とうなんて、正直片腹痛いぜ」
「
僕はそう言った。言うだけならば
僕は現在、傷病のため、仕事を休職している状態にある。そんな中で自分にできることを探した結果、かつて――中学時代に行っていた小説の執筆を思いついたのだった。
そして――今日。
僕は、彼に誘われて、家の外に出ていた。
駅から五分の所にある、個室のある飲み屋の一席である。
彼――とは、僕の大学時代の友人で、人に上から目線で講釈を垂れることの大好きな所のある――
久方ぶりに外に出ようということで彼から誘いを受けて、僕はその飲み屋へと赴いた。普通にしていると良い奴なのだが、酔いが回ると面倒なのが、玉に
「本当かぁ? どっちかっつうとお前は、俺の言葉なんて完全に受け流していて、どうやらそれを自分の売りだとばかり思っているようだが、生憎それは違う。それは、欠点だぜ、先生」
「欠点ね、確かに僕には多いのかもしれないな。というか、先生というほどに、僕はまだ小説を書いちゃいないよ」
「そうだ。その批判を受け流す姿勢にも、俺は得心がいってねえんだよ。折角俺が批判してやっているっつうのに、お前ときたら酒も飲まず、ただ頷いているだけじゃねぇか」
「
「けっ。薬ねえ」
そう言って、彼はぽつりと続けた。
「心の病気、なんて正直、気の持ちようの問題じゃあねえのか?」
「…………」
僕は何も言わなかった。
何も、言うまい。
僕が、さる精神疾患に
精神疾患者への旧時代的な固定観念は、若い世代の人間にも根強く
特に長井のような、営業で血気盛んになって働く人間からすれば、「甘えている」ように見える、という気持ちも分からないでもない。
ただ、分かって欲しいとも、思わない。
人の考えを変えることは難しい。
僕はそれを、二十六年間で、痛いほど痛感しているから。
ただ、今こうして外に出られているのも、定期的に処方される薬のお蔭である。
一度風邪をこじらせて一週間通院できなかったことがあり、その時は本当に地獄だった。人を目を合わせるどころか、外にもまともに出られず、かなり痩せてしまった。それからは健康管理に努めるようにしている。
だからこそ、何を言われようとも、何を呟かれようとも、僕は気にしないというスタンスを貫いていた。
「実際どうなんだよ、小説で食べていこうとか、思っちゃってるわけ?」
「さあね。どうだろう。創作で一生食べていける者なんて、全体のごくわずかだろう。自分に才能があるだなんて、勘違いをしたことはないよ。だからそうだな、いずれ
「ふうん。そうかぁ」
言って、彼は
「新人賞とかには、応募しているのかよ?」
「ああ、時々ね。元々中学と高校の時から応募していたんだけど、その延長線で、いくつかの賞に送っているよ」
「へえ、その小説、ぜひとも読んでみたいねえ」
「断る。君に読ませると、どうせ批評ばかりだろう」
「何を言うか、俺はお前のためを思って言っているんだぜ?」
そう言って、彼は偉そうにした。元から自信過剰なところのある彼だが、今はそんな彼が少し羨ましい。自分にも、そういう自信めいたものがあれば良いのに、と思ってしまう。いつだって自分は、卑下の対象である。人はそれを「謙虚だ」などと言うけれど、とんでもない。
僕には自信がなく、自分もないのだ。
酒の勢い、という訳ではない。どちらかというと場に酔ったのだろう、僕はぽつりと本音を
「最近は小説を書くことも、辞めてしまおうか、とも思っているんだよな」
「はぁん? 急にどうしたんだよ」
「いや、まあ、確固たる己を持って書き続けられればそれで良いのだろうけれど、僕にはそういうものがないからさ。公開しているのだって仲間内だけだし、その中でどれくらいの人が読んでくれているだろう? 見えるんだよ、制作者側からだと、どれくらいの人数がその小説を読んだか、っていうのがさ。折角書いた渾身の一作が、誰の目にも留まっていないことを見ると、正直辛いものもある」
「数字、数字、数字ねえ? 多くの人間に読まれることが傑作の条件って訳じゃねえだろう、そればっかりは仕方ないんじゃねえのか。だったら新しくアカウントを作って、そこで公開すりゃ良いじゃないか」
「新しく作ったところで、見る人がいなきゃ、ただの駄文じゃないか」
「ほら、そうやって自分を卑下すれば、誰かが声をかけてくれるとか思っているんだろう?手を差し伸べてくれる準備をしているんだろう? 甘いんだよ、考えが。生憎俺はそんな優しい人間じゃあないんでね。言わせてもらうが、お前は自分がないわけでも、自信がないわけでもない。ただ勇気がないだけなんだよ」
「勇気」
そんな言葉が、長井の口から出るとは思っていなかった。
「歴史的な小説家――文豪と呼ぶべき者らが、おぎゃあと産まれた時から歴史的な訳がないよな。その点生ってのは平等だ。その後の、それ相応の努力と、鍛錬と、そして批評を浴びて、令和の今も尚、名を刻んでいる。ただその中でも、一歩を踏み出す勇気、というものが、どこかにあったはずなんだよ」
「…………」
「どこかの小説新人賞に応募する時でも良い、高名な先生に自作の小説を読んでもらう時でも良い、初めて何かをする人間が、初めから何かを得ていることなんてねえんだ。まずは零から一に行くためにどうするか――そこに必要なものを、俺は『勇気』と呼んでいるね」
「成程、勇気、ね」
そこまで自信たっぷりに言われると、反論の余地がなかった。
「確かにお前は病気かもしれねえが、それを言い訳に零を零のままにしている現状を、俺は良しとは思わないね。少しでも
「……君は時々、良いことを言う」
「はっ。時々じゃねえ、いつもだ」
そう言って、長井は、残っていた麦酒を一気に喉に流し込んだ。
「今日は俺が飲みすぎたし、言い過ぎた。
そう言って、すぐさま財布を取り出す僕を制した。
彼を嫌いになれない理由が、どこか分かった気がした。
*
家に帰って、パソコンを起動した。
新しくSNSのアカウントを作ろうか、どうしようか、これでも迷った。
小説用?
いやいや、そこまで小説に根を詰めて、お前は一体何になりたいんだよ、本当に小説家になれると思っているのか、思い上がりも甚だしい、なれるはずがないだろう、今何歳だと思っているのだ、現実を見ろ、現状を見ろ、自分が何か努力して続けられた経験があるか、何か継続して成果が出たことがあるか、きっとまた馬鹿にされる、噂話にされる、否定される、酒の
今までがずっと、そうだったから。
でも。
これからもそうだという保証は、どこにもない。
僕は、メールアドレスとパスワードを入力し、新しいアカウントを作った。
小説家になるでも、病気の完治するためでも、人から認められるでも、人から褒められるでもなく――どこかの何かの一歩を、踏み出すために。
筆名は、中学校の時から決めていた。
僕はその名を、名前欄に入力する。
その名は四つの漢字――八つの音で構成されている。
××××。
新しい自分、これまでとは違う自分。
あれだけ言われて、言われっぱなしというのも、格好がつかない。
少しだけ前を向いてみようと、僕は思った。
(了)
自家撞着 小狸 @segen_gen
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