意志と役割

 有り得ない。有り得ない。有り得ない。少年の思考はそれだけで埋め尽くされていた。


「何なんだよ……こいつッ!?」


 食事をさっさと自室に持ち帰っていた陽能は、部屋から食堂の様子を覗き見ていた。そこに映っているのは、平然と呪いを食らう老日の姿だ。


(あの仮面が外れないってことは、呪いは効く筈だと考えてたけど……寧ろ、呪いに耐性が付いた? そんなの、ズルだろッ!)


 二人に対する老日の説明を聞き、陽能は心の中で悪態を吐く。


「クソ……僕は今度こそ、恵まれてるんだ。全部を手に入れる、筈なんだ……今度こそ」


 陽能の魂には、前世の記憶が残っている。それは、若くして死んだ男の記憶だ。生まれつき肉体に恵まれず、病魔に苛まれながら一生を過ごした。死ぬまでの数年を除けばベッドの上だけで過ごしていた訳でも無いが、常人と比べれば余りにも短く不自由な生であったことは間違いないだろう。


「もう、僕は何も妬まない……誰にも憐れまれることもない」


 神にさえも。最後にそう呟いていたのを、緑の蛇が目を細めて聞いていた。






 ♦……side:老日




 飯を食っている内に、当然話は今日の門人試合のことに移った。


「老日さんは、緊張してないですか?」


「してないな」


 えぇ、と碧は声を上げる。


「なんでしないんですか! 強者の余裕って感じですか?」


「命を賭けてる訳でも無ければ、一度で終わりの戦いでも無い。負けても死なない上に、半年も経てばまた参加できるような試合で緊張する必要があるとは思えない」


「別に必要だから緊張してる訳じゃないですからね、私だって!」


 まぁ、それはそうか。


「……ある意味では、命を賭けているけれどもね」


「どういうことだ?」


「門人試合がここで行われるのは、単なる縁起担ぎとか形式的なものじゃないのよ。ここにある設備を利用する為に、ここでやるの」


「あぁ……命を保証する結界的なのがある訳か」


「そういうこと」


 そう言って、杏はデザートのゼリーを一掬いして口の中に放り込んだ。


「そういえば、全然この島の施設とか見て回らなかったな」


 天明は見て回って欲しそうにしてたが。


「行く時間は無さそうだな」


「私も結局何も出来ませんでしたし……こんなことなら、島を見て回ればよかったです」


 門人試合が始まるのは正午からだ。色々と準備の時間があるらしいので、実質的な空き時間と言えば三十分も無いだろう。


「まぁ、行くだけ行ってみるか……?」


 数十分程度で回れそうには無いが、軽く見るくらいなら出来るかも知れない。


「付いて来て欲しいの?」


「いや、一人で行く。流石にこの時間は式符の整備とかやることがあるだろう」


「逆に、老日さんはやらなくて良いんですか?」


 俺は頷き、食器が乗ったトレイの両端に手を掛けた。


「大丈夫だ」


 立ち上がり、トレイを持ち上げて足で席を押し込む。


「じゃあ、また試合でな」


「はい、楽しみにしてます!」


「私も貴方と戦うのが楽しみで仕方無いわ」


 両手が塞がっている俺は、手を振ることも無く席を去った。






 ♦




 一人外を歩く耶座母。暗い緑色の髪が揺れ、黒から緑色に変色した片眼が、何もない空を見ている。


「いやぁ、卒業は今日の予定だったんだけれど……これは、遠のいたかも知れないね」


 呟いた耶座母。空を見るその片眼に映っているのは、式神の目を通した景色だ。数多の目と耳によって、門人試合の全てを、耶座母は把握していた。


「彼は毒になるか、薬になるか……蘆屋家が手綱を引けるならば、心配は無いかもしれないけれど」


 耶座母の生まれである法少家には、代々受け継がれている役割がある。それは、陰陽師達の行く末を占い、その未来をより良き方向に修正していくことである。

 しかし、それは知る者が多ければ多い程困難となる為、詳しくは家の者しか知らない秘密となっている。


「良識はあるけど、常識は無い。知能はあっても、躊躇は無い……蘆屋干炉、君に彼の手綱が引けるかな?」


 そして、耶座母は法少家がその役割を果たす為の……だ。師を持つ陰陽師は誰であろうと門人試合に参加することになる。法少家は、この場を利用することで全ての陰陽師の情報を早い段階で知って置くことが出来ていた。


「どちらにしろ、僕なんかじゃ操れっこない糸だね」


 耶座母は自嘲気味に笑い、宿舎から真っ直ぐ進んだ先にある木の前で足を止めた。


「僕の役割はこれで終わりだ。後は、お父様に任せるとしよう」


 耶座母は木の中から出てきた蛇の頭を撫で、式符に戻した。


「耶座母か? こんなところで何してるんだ?」


「外の空気を吸いに来てただけさ。君こそどうしたんだい?」


 耶座母はその瞳を黒に戻しながら振り返り、気さくに問いかけた。


「ちょっと、島を見て回って来る」


「……自由時間、あと二十分くらいだよ?」


 大丈夫だ。そう言って、老日はその場から消えた。


「手綱、握れるかな……」


 耶座母は天才と呼ばれた白髪の少女を思い浮かべ、不安げに溜息を吐いた。

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