目が見えなくなった彼女との恋人生活

田中京

第1話

 三ヶ月前、大学一年の春休み、僕に彼女ができた。

 僕は今、自転車をこいで、その彼女に会いに行く途中だ。

 真夏の真っ昼間なので、外は尋常じゃないくらい暑かった。

 なので、ペダルをこぐたびに、額に汗がダラダラと流れていく。

 でも少しも苦に思わない。大好きな人がこの道の先に待ってるいるのだから。

 恋は盲目というが、今の僕がまさにそれだった。

 この先ずっと、彼女のことが好き。そう言い切れる自信が僕にはあった。

 坂を登り、開けた場所に出る。

 目の前の交差点を渡った先、そこに彼女の家があった。

 僕は流行る気持ちで、自転車の速度を速めた。

 毎日会ってるというのに、僕は一分、一秒でも早く彼女に会いたかった。


「やっほ、啓太。昨日ぶりだね」


 玄関先で長い黒髪の女の子が笑顔で出迎える。

 僕の彼女、藤宮都だ。

 その人懐っこい笑みは、美人な外見と合わさって、愛らしくみえる。

 付き合いたてのころは、女性経験がまったくないこともあって、すごくドキドキしたものだ。

 僕は片手をあげて、弾んだ声で返事をする。

 

「うん、昨日ぶり」

「暑かったでしょ。アイスあるから、一緒に食べよ」

 

 都に先導されて、廊下を進み。彼女の部屋に入る。

 僕は気兼ねなく、部屋の中央にある小さなテーブルに腰を下ろす。

 彼女が対面に座ると、テーブルのすぐ隣に置いてある小さな冷蔵庫を開けて、アイスを2つ取り出した。そのうちの一つを手渡される。

 僕はありがとといって、それを受け取る。


「今日は何する?」


二人でアイスをかじっていると、彼女がそう尋ねる。


「うーん、将棋かな。他のボードゲームは勝てるようになってきたけど、将棋は一度も勝ててないし」

「あえて、苦手な所で、勝負するかー。あはは、負けずぎらいだねー。そういう所好きだよ」


 互いにアイスを食べ終わると、将棋盤を敷いて、対戦する。

 彼女はたくさんのボードゲームを持っていて、恋人同士の僕たちは毎日その遊びに興じている。

 

「はい、これで王手、私の勝ちね」

「くっそー、また負けかー」

「啓太は絡め手に弱すぎ。もっと考えて指さなきゃダメだよ」


 都に、機嫌良さそうに、ダメ出しされる。

 上から目線に少しムッとするが、都が楽しそうにしてるから、まぁいいかと思ってくる。

 惚れた弱みというやつだろう。


「そういえば、最近どう? 大学の方は?」


 もう一度、再戦すると、対局の最中、そう切り出される。

 

「そこそこ楽しいよ。サークルの人達とも、仲良いし」

「なら、良かった。大学で得られる経験ってすごく貴重だから、一日一日を大切にね。


 僕と同じ大学に通っていた都は、サークルや友達との付き合いで、毎日忙しそうだった。

 だから、その言葉にはすごく、実感がこもっていた。


「まぁ、大学辞めて、ダメ人間になった私が言えた義理じゃないけどさ……」


 頬をかきながら、自嘲げに笑う都に僕はやるせない気持ちになる。

 僕は彼女の瞳をじっと見つめる。その瞳は、対戦中、一度も下を向かなかった。

 盤面の方を見てない。その必要が意味がまったくないからだ。

 じゃあ、どうやって、将棋をしているのかというと、互いに指す順番がくると、指す手を口頭で伝えているのだ。

 このようなことをしているのは、理由がある。

 それは彼女がある障害を抱えているからだ。

 

「……自分をそんな風に言うなよ。大学辞めたのは仕方ないじゃん。飲酒運転の事故、それで、目が見えなくなったんだし」 

「そうだね。ごめん、つい、ネガティブ発言した」


 申し訳無さそうにする都に、僕は慌てて言う。


「いや、いいって別に……」


 一ヶ月前の、事故で、都の世界は大きく一変した。

 盲目になった当初の彼女は、ひどく落ち込んでいて、この世の終わりみたいな顔をしていた。

 その頃を考えると、今こうして、普通に話せていることが奇跡的な事と、言える。

 それでも、やっぱり、自分の変化を、受け入れられないだろう。

 弱音がついこぼれてしまったのだ。


「でも、すごいよな。どこに、なにがあるか、わかってるみたいに、動けるんだもん」

「慣れるのに苦労したけどね。慣れた今は、家の中なら、不便なく動けるようになったよ」


 僕が場の空気を変えようと、あえて、明るい声を出すと、彼女はすぐに、気を取り直して、穏やかな表情になる。

 僕を部屋に通したり、アイスを手渡したりした時の彼女の動きは、普通の人と変わらなかった。

 少し前までは、よく転んだり、壁にぶつかって、ものを落としたりして、危なっかしかったのに。

 

「このまま、外に出れたらいいんだけどね」

「外か。まぁ、普通に考えたら怖いよな」


 視覚障害者は、盲導犬や白杖-地面を叩いて周囲の状況を確認する道具-を使って外を歩くことができる。

 しかしそれでも、充分に安全とはいえない。

 接触事故にあう危険は、健常者と比べてかなり高い。

 さらに、何も見えない中外を歩くのは、精神的にかなり抵抗があるだろう、

 想像するだけでも怖い。


「頑張ってはいるんだけどね、玄関の扉を開けると、あの音で足がすくむんだ」


 都が突然、声を低くする。

 僕は思わず、眉根を寄せた。


「音?」

「道路からする車の音。それ聞くとさ、すごく不安になるんだ。健常者だった時も、事故にあったのに、目が目ない今、外の世界に出たら、また同じ目にあうかもしれないって。そうしたら、視力を失ったように、また大事なものを失うかもしれないって……」

「……」


 怯えたように手を震わせる都に、僕は困惑する。 

 どうやら、想像以上に彼女の問題は根深いらしい。

 ひょっとしたら、この先ずっと、彼女は外に出れないかもしれない。

 そう思わせる深刻さがあった。

 

「こんなこと、考えてもしかたないってのはわかる。でも、どうしても不安をを振り払えないんだ。正直、自分がやんなるよ、あはは」


 力なく笑みを浮かべる都は、ひどくつらそうにみえる。

 こんな時、なんて声をかけるべきだろう。

 いつか外に出れるようになる、

 外に出れなくても、都が都であることに変わりはないだろう。

 いや、ダメだ、そんなんじゃ。聞こえはいいけど、彼女の心に届かない気がする。

 ここは恥も外聞も気にせず、100%の自分の思いをさらけ出すべきだろう。

 そう意気込むと、僕は彼女の震えた手をそっと握った。


「啓太?」


 伝わる手の温もりに、彼女はきょとんとした顔をする。


「一生都と手をつないだままでもいいよ」

「えっ、どうしたの、急に?」

「俺、都がいると、楽しいよ。幸せだよ。もし都が、外に出たくない、この家の中で僕と一生を過ごしたいって言ったら、僕は喜んでそうするよ。それぐらい好きだよ」


 言ってる途中で、感情が高ぶっていく。

 都は、面を食らったように、口を大きく開けると、頬をぽっと赤らめて、慌てたように、口走る。

 

「ちょっちょっと啓太、自分が何言ってるかわかってるの?」

「うん、ちゃんとわかってる」

「……そ、そっか」


 僕の思いを理解したのか、彼女はますます顔を赤らめ、落ち着きのないように、眉を震わせる。

 しばらくそうしていると、やがて、落ち着きを取り戻したように、彼女は口元を緩めた。


 「……ありがとね。啓太の気持ちすごく嬉しいよ。私のこと、すごく大事に思ってるんだね。それが分かって、なんか、気が楽になったよ」


  その言葉を聞いて、僕は安心したように微笑んだ。


 「それなら、良かった。ちゃんと、思いを伝えたかいがあった」

 

 そう言うと、彼女は突然、笑みを消して、真剣な顔つきになる。


 「私さ、障害者になってから、ずっとこう思ってたんだ。自分はもうまともな人生を送れない、終わった人間だって……」 

 「そんな事を……」


 その告白に、僕は思わず、ごくりとつばを飲み込んだ。


 「でもそう思うのは、もうやめにする。下ばっかり見てないで、ちゃんと前を見て、生きることにする。外に出るのはまだ怖いけど、それもいつか克服する。だって大好きな君と、しっかりと生きていきたいから」


 言いたい言葉を吐き出した都は、満足そうに微笑んだ。

 静かな力強さを感じるその表情に、僕は目を丸くし、それから、ゆっくりと口元を緩めた。


 「そっか。なら僕は、そばでその姿を見守ってるよ」

 「うん、見てて、私、頑張るから」


 それから一ヶ月後、僕たちは外でデートをした。

 恐怖を克服し、青空の下を歩く彼女は、すごく嬉しそうだった。

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