第21話ハッピーカムカム女神様

 宿屋を離れたシンジュが三人に連れられやって来たのは、小ぢんまりとしつつもお洒落に内装の整えられた飲食店であった。

 ここまでの道すがら、シンジュは三人の後ろに続きつつ、ゆっくりと通りすぎる街並みを眺めてみたが、やはり見覚えなどはなかった。

 シンジュが異世界の街を知らないのは当然なのだが、問題は、通った覚えもないのに街の宿屋に居たという事だろう。


 しかし、そんな不安も宿屋を出てから少しの間だけ。

 薄い暗闇に包まれる建物も、人も、そんなシンジュの不安を軽く吹き飛ばすだけのインパクトがあった。

 インパクトと言っても特段珍しい者や物があった訳ではない。

 ただ、異世界だ――という目に見える現実が、シンジュの好奇心と感動が胸の中を占拠して不安を押し出したという話である。


 視界に広がるのは映画に出てくる中世時代の様な風景。


 ――異世界って感じだ!


 そんな感想を抱きながら道行く人々や建物をキョロキョロと忙しく眺めていると、前を歩いていた女性と目が合った。小さく笑われた。

 どこのお上りさんだとでも思われたのだと思う。

 それで、ちょっと恥ずかしくなってキョロキョロを止めて澄まし顔で歩く。

 それを見ていた女性に、やっぱりちょっと笑われた。



「さて……どこから話したものかな……」


 三人に連れられ店に入る。

 案内された席に全員がついたところで体の大きな人がそう言って、シンジュへと目を配る。

 彼は特段に機嫌が悪い訳でも無かったが、その人にまじまじと目を向けられたシンジュは、何故だか責められている様な気になって、少しだけ肩を小さくした。


「ブラッド。あんた、威圧感あるんだから」


「ん? ――ああ、すまん」


 女性が小さく笑って言うと、ブラッドと呼ばれた大きな人は大袈裟に頭を掻いた。

 シンジュは、大きな体に酷く不釣り合いなそのブラッドの様子が少しだけ可笑しくて、先程までの責められている様な感覚が消えて、代わりに妙な笑いが込み上げて来て、自然と口元が綻んだ。

 釣られるように三人も小さく声をあげて笑った。



「工藤……。あ、いえ、シンジュです。よろしくお願いします」


 少しだけ緊張が解けたところで、シンジュは自分から名を告げて挨拶する。

 三人は自分を知っているらしいとシンジュは考えていたが、自分は知らないゆえ、キチンと自己紹介するのが正しい様な気がしたのだ。上の名を名乗らなかったのは、異世界的な配慮。別に深い意味も無い。


「ふむ。そうだったな。覚えてないなら先ずは自己紹介が先だったな。――では、改めて。俺達は三人で『オリオン』という名のパーティーを組んでいる冒険者。一応、俺がリーダーのブラッドだ」


「トエルだよ。よろしく」


 大きな人が言って、続く様にアゴヒゲの人。


「イーリーよ。改めてよろしくね」


 最後に女性が告げて、微笑んだ。





 ブラッドが全員同じ物をと言って注文し、しばらくしてテーブルへと運ばれてきた料理を食べながら、シンジュと三人は自分達の記憶の齟齬を埋め進めていく。

 と言っても、記憶に弊害があるのはシンジュのみなので、スライムとの遭遇以降の話は三人からの一方的な報告の様なものであった。


 曰く、

 冒険者ギルドからの依頼を終えて、街へと帰る途中、三人は不運にもウッドウルフの群れと鉢合わせてしまったらしい。

 計三十匹からなる群れであり、群れの規模としては大きめ。

 数匹の小さな群れならば自分達三人でも対処出来たそうだが、数の利、加えて、群れを率いていたのがウッドウルフの上位個体シルバーウルフという名のモンスターであったそうだ。

 大きな群れでさえ厄介であるのに、そのうえ上位個体。

 むしろ、上位個体だからこそ大きな群れと言えたのかもしれない。


 連携の取れた集団での戦闘を得意とするウッドウルフ三十数匹から逃げる事は困難で、統率するリーダーさえ倒せれば、という僅かな希望を胸に立ち向かった三人。


 ギリギリの死闘の末、遂にシルバーウルフを討ち取り、三人が喜んだのも一時で、所詮飢えた獣か、リーダーであるシルバーウルフが居なくなった後もウッドウルフ達は退く事はなかった。

 ウッドウルフはまだ半数以上残っていた。


 この時点で、魔法使いであるイーリーの魔力は底をつき、前線のブラッド、トエル共に体力は限界。

 ここまでか、と諦めかけたところに森の中から現れたのが一人の少女であった。


 見たところ冒険者といった風でもない丸腰の少女が、何故こんなところに居るのかと訝しげるが、少女が誰であろうと巻き込んだ形になってしまったらしい事は分かったのだという。


 そうして、怯える少女の後ろの茂みから現れた一匹のウッドウルフ。

 少女に狙いを定めているのは直ぐに理解出来た。


 慌てて少女を呼び寄せるが、遅く、少女の背後をウッドウルフが牙を剥き出しにして飛びかかる。

 助けたくても自分達も手一杯。万事休す。


 かと思われた場面は、次の瞬間には一変した。


 なんと少女が振り向きざまにウッドウルフを一閃。目にも止まらぬ速さで殴り仕留めてしまったのだ。

 拳による一撃必中。

 現実味のない光景に四人が(何故か殴った本人も)唖然としていると、少女に気を取られたトエルがウッドウルフ二匹に押し倒されてしまう。


 仲間の危機に慌てて意識を戻すも、ウッドウルフが邪魔をして救出への道を阻む。


 そんな状況を打破したのもまた少女であった。


 少女は瞬きよりも速く動いたかと思うと、トエルを組敷く二匹のウッドウルフを瞬殺し、近くに居たウッドウルフと大地の両方を爆散させた。


 大地に大穴を開けた少女に恐れを抱いたのか、一度小さく悲鳴をあげた後、残っていたウッドウルフは散り散りに森の中へと逃げていった。


 その場に残るのは、自分の巻き上げた砂埃で小さく咳込む少女と、大地を穿った衝撃で吹き飛んで倒れるトエルの間抜けな姿だけであったという。


 全滅の危機を乗り越えたオリオンの三人とウッドウルフを圧倒的暴力で撃破した少女シンジュは、こうして出会ったのである。


 それから、互いに自己紹介を交わし、道に迷ったと話す少女と共に、ここランドールの街へと帰ってきた。


 と言うのが事の顛末。



「そう言えば、街に戻る道中も自分が何処から来たのか分からない、って話してたわね」


 イーリーの言葉にブラッドが頷く。


「そうだな。それに、自分が強いという自覚もなさそうだった。何より、無一文というのがな。荷物らしい荷物も持っていなかったし」


「ほんと。言われてみれば、どうしてそんな状態で森の中に居たのか不思議よね」


 二人の言葉にシンジュが僅かに眉をひそめる。


 忘れてしまったらしい三人との会話の中で、自分は何処まで話して、何処を隠そうとしたのだろう?


 何処から来たのか分からない。

 と言ったのは、多分だけど、自分が異世界から来たのを隠そうと思ったのかも?

 不要な混乱、疑念を無くす為、ラノベでもそういうのは隠すのがセオリーっぽいので、ラノベをバイブルとする自分であればそこは隠すと思う。それは分かる。

 まさか女神の加護を受けたと言う訳にもいかないだろう。

 

 この世界でのあの女神の立場まで分かっていないし、仮に分かっていたとして、善くも悪くも騒ぎになるかもしれない様な事は伝えるべきではない様に思う。

 信じて貰えず鼻で笑われる可能性も微レ存。


 とにかく、自分の出身や転移者である事を言っていないのであれば、わざわざ言う必要もないよね?


 それよりも気になるのは、私がウッドウルフという(多分オオカミ)相手に無双している件について。

 当然覚えていないのだけど、三人が嘘を言ってる様にも見えない。つまり私はオオカミ相手に無双したのだ。


 無双は良い。それこそ異世界で自分が望む展開であるのでウェルカムである。

 ただ、その前のスライムに痛い目にあわされたのが腑に落ちない。やっぱり、チートが遅れてやってきた? それとも何か別の―――


「それで? シンジュはこれからどうするんだ?」


 難しい顔をして何か考え事をしているシンジュに向けてブラッドが問う。


「あなた、お金も持ってないんでしょ?」


「……持ってないです。――あの、さっきの建物って宿屋、ですよね? 宿屋って」


「ああ、それなら心配いらない。助けて貰った礼に代金はこっちで出して置いたから」


「あ………。ありがとうございます」


 シンジュが、当面の心配があっさり解消されてホッとした様な表情を見せ、礼を述べる。


「礼を言うのはこっちだよ。あの時、シンジュが来てくれなければ、今頃三人揃ってウッドウルフの腹の中だったかもしれないのだから。宿代くらい安いものだ」


「俺達も冒険者の端くれだし、万が一の覚悟くらいはあるつもりだけど」


「だからって、死にたい訳ではないものね」


 トエルとイーリーがそう言って笑う。


 冒険者。

 自分の腕っぷしひとつで人生を切り開いていく夢見る自由人。実力主義の世界の住人。

 異世界物のラノベに出てくるその職業。そんな冒険者達が今自分の目の前に。

 そう思うだけで、シンジュのテンションが急上昇していった。無意識に、されど積極的に心の働きを強まり、自身の変化を求める方向にシフトされていく。心が強くなっていく。


 ここには自分が知る者は誰もいない。環境も全く違う。


 だからどうした!


 そんな非日常に居るのだから、小さな事で悩んだり心配するのは損だと、シンジュは思った。憧れの異世界を楽しまないでどうするのかと。

 日々妄想していた冒険者な自分を。

 どえらカッコ良く活躍するチートな自分を。

 あの多種多様に際限なく広がった妄想を現実とするそのチャンスが巡って来たのだ。

 何事も楽しもうと前向きに思えば、案外楽しいものである。

 楽しいというのは凄いのだ。

 それは、森でも山でも海でも街でもどんな場所でも、楽しもうという心構えひとつあれば最高のパフォーマンスを発揮出来る。

 道具も要らない。一人でも問題ない。必要なのは心構えただ一つ。

 分からない事は沢山あるけど、それは時間を掛けて分かっていけばいい。スライムも、ウッドウルフも、全ては通過点。目指す頂きは異世界に来る事じゃない。その先。


 いざ目指さん! そしてドンと来い! ハッピーカムカム異世界ライフ!


 難しい顔をして考え込んで、不安そうに表情を陰らせたかと思えば、目を輝せて笑みを浮かべ始めたシンジュの様子に、見ていた三人が顔を見合わせる。


「どうかしたか?」


 ブラッドの問い掛けに、シンジュがぶんぶんと首を横に振った。


「あの!」


「な、なんだ!?」


 鬼気迫ると言った態度と、それとは裏腹にキラキラとした目と表情で言葉を吐き出したシンジュに、ブラッドがやや気負けし、触れれば爆発しそうな一触即発な何かを感じさせる雰囲気に、残りの二人はギョッとした。


「もしかして、もしかしたら、冒険者ギルドなんてものがあったりしませんか!?」


「あ? ああ、あるよ。ここ位のそこそこ大きな街なら大体何処にでもあると思うが――」


 それがどうかしたか? というブラッドの言葉は、店内に轟くシンジュの「よっしゃあああぁぁ!」という叫び声にかき消され誰の耳にも届く事はなかった。


 猪突猛進。

 一心不乱。

 好きな事には周りが見えなくなる程に集中し本気でのめり込む。

 その性格が全て悪いとは言わない。方向性次第。なのだが、今の方向は悪いと言わざるを得ない。


 もしもこの場に、両手を上げ全身で歓喜して奇声を発する少女の親が《居たならば》、静かにしなさいと注意した後で、「また悪癖が」と肩を落として項垂れたに違いなかった。

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