第19話気前の良い冒険者

 死んだと思ったら、わけもわからぬまま俺と娘は森の中を彷徨っていた。

 正確には彷徨っているのは娘だけで、俺は気絶する娘の体を憑依で間借りしていただけだ。

 

 幽霊状態だった時には感じられなかった草木の匂い、風や鳥のさえずり、あと空腹なんかを感じながら。

 腹減ったな。

 これって俺が空腹なのか?

 それとも娘の身体だし娘が空腹なのか?

 どちらにせよ、遭難は継続中な訳であるし、このまま街に辿り着けねば死んでしまう。


 なんて事を考えながら道無き道を進んでいると、遠くの方から小さな喧騒が聞こえてきた。

 一度立ち止まり、その音の方へと耳を傾ける。

 すると、腹がなった。

 空気を読め。


 間の悪い腹の音に小さくヤジを飛ばしてから、もう一度耳を傾け直す。


 ――人の声、にも聞こえるが、その中に犬の唸り声も混じって聞こえる。

 人と犬、とくれば狩り、かな?

 そう考えて、極力ゆっくり、音を立てずに喧騒に向けて歩み寄る。

 無闇に近付くのは危ない。と思った。

 この時俺は、時々、見聞きする「草むらから飛び出したところ、獲物と間違えて撃たれた」的な危険を意識していた。相手が狩人ならばそういう事もあるかも知れない、と。


 簡単に言ってしまえば、その時の俺には異世界というものが分かっていなかった。知識が無いと言っていい。

 加えて、日本という国にいて平和ボケしていたのも原因だろう。


 進んだ森の先。

 時代錯誤甚だしい中世風の鎧をまとった三人の人物と、身体の大きな犬が殺し合いをしている場面に遭遇した。

 どう見ても狩人と狩猟犬には見えない。仮にそうだとしたら凄く仲が悪い。


 俺の居る場所からは少し離れた先、やや木々の拓けた空間となっているその場所に、件の人物三人。その周囲には犬の死体らしきものが何体か転がっている。あの血溜りを見るに死んでいると思う。


 ちょっと、いや、中々にお目にかかれない状況に尻込みする。

 流石に今飛び出すのは馬鹿のする事だろう。

 と言う訳で、草むらに隠れてこっそりこそこそ観察を開始する。

 まずは、三人の人物。

 鎧を着たのが二人。手にはそれぞれ盾と剣。遠目ではあるが、本物の武器らしい武器というものを初めて見た。刀ですら生で見た事はない。

 両者共に、年齢は二十代から三十代、もしくは四十代から五十代で、性別は男性、または女性。

 ようするに鎧と兜で何も判らん。

 時折聞こえる声とガタイからして男だとは思うが、世の中には男より男らしい女性もいるからな。一概には言えない。


 唯一分かったのは、その二人の後ろ、杖を杖代り――何を言ってるんだろうか俺は――にして身体を支えて立つ人物。

 その後ろ姿と声からして女性であろう。やや小柄で茶色っぽい長い髪、服装は前面にいる二人と違い白いローブをまとっていた。

 杖を杖代りと言ったのは、俺が杖という物に対して「歩行を補助する道具」位にしか思っていなかった事に起因する。

 それは、老人のつく杖であり、怪我人のつく松葉杖であったりだ。


 しかし、女性の持つそれは、どうもそういう用途には無い様に思う。

 横顔を見るに、女性はまだ若い。杖を使うにはまだ早い。杖に寄りかかり今にも倒れそうにはなっていたが、それは怪我によるモノではなく、疲れている、とかそういう類いのものであろう。


 なにより。

 杖の頭に小さな水晶をくっつけたそれは、フィクションに出る魔法使いが持つ様な杖に見えた。

 服装も魔法使いっぽいが、単にそういうファッションの可能性もある。森ガールやメタルな連中と似て非なる者だ。

 コスプレかも知れない。


 だとしたらとんでもないな。

 戦士や魔法使いのコスプレして、野犬と戦う。

 最近のコスプレイヤーは体張ってると言わざるを得ない。


 もうね、何が凄いって格好も勿論凄いんだけど、何より臨場感が凄いね。

 草の匂いに混じって届く血の匂い。

 忙しなく動き回り、肉を叩き、斬る、激しい殺陣。

 命を賭けて戦う両者の荒れた息遣いなんかは、まるですぐ目の前にでもある様に鮮明に耳に届く。


 ――何か不穏な気がして、なんとはなしに後ろを振り返る。


 喉を鳴らし、牙を見せつけこちらを威嚇する大きな犬がいた。


 どうりで息遣いが随分近くにあるなと思ったよ。


「うわぁ!!?」


 振り返ったら奴がいて、それに盛大に驚いて、犬とは反対側。隠れていた草むらから飛び出した。


「な、なに!?」


 突然の珍客に女性が驚きの声をあげる。

 怖い顔した犬よりは、驚いた顔のお姉さんの側に居たかったので、あたふたしながらお姉さんへと駆け寄る。


「なんだ!?」


 鎧の一人が叫ぶ様に尋ねる。


「いや、あの、犬がね……」


 突然、輪に入った事を弁解しつつ、自分が居た辺りの草むらを指差すと、丁度、草むらから一匹の犬がゆっくりと姿を現せたところであった。


「くそっ! ぞろぞろと!」


「一体何匹いるんだよ!?」


 鎧の二人が大声で悪態をついた。悪態をつきながらも、二人が一匹の犬を剣で仕留めていた。胴を貫かれ、頭を跳ねられた生き物の死体が血を吹き出しながら地面に転がる。そのあんまりな光景に喉の奥で小さな悲鳴をあげる。


「あなた……。いえ、それは今は後回しね。とにかく、私の後ろ――危ない!」


 お姉さんの方に顔を向けていると、俺を誘う様な仕草を見せていたお姉さんが、ハッとした表情の後、大声で叫んだ。


「え?」


 後ろを振り向くと、先程、俺の背後を取った犬が、俺に向かって飛び掛かっているところであった。じゃれあいたいとかそういう事では無いだろう。

 殺す為、或いは食う為。

 どれにしろとても許容出来ない行為。

 殺すだ食うだと、万が一にもそれが許されるならば、俺だってローブのお姉さんの胸に向かって飛びかかってしまいたい。 


「……ん?」


 そこで、はてなと不思議そうに首を傾げて、強襲してくる犬の姿に狼狽し跳ね上がった心音が急激に落ち着いていった。

 猛り狂った獣の本性。


 ふむ、これは間違いなく敵の攻撃だ。こちらを害する者からの。

 人程に知能が高い訳では無いが、その分、肉体的には人よりも優れているはずで、そんな相手からの攻撃。それは生き死にを賭けた挑戦状みたいなもの。

 しかし、解せない。


 ――何故こんなに遅い?


 降って沸いた疑問に、ともすれば乱れる思考に抗って、その離反に抵抗する。


 ええと、まず……。

 とてもゆっくり空中を跳んで来る犬。まるで空中にふわふわと浮いている様にすら見える。

 そんな犬がこちらに到着するまでは、まだちょっと時間も掛かりそうなので、視線をそらして、周囲に目をやる。


 鎧の人物の内の1人と、俺に危機を知らせてくれたお姉さんがこちらを見ていた。

 鎧の方は兜ゆえ表情は見えないが、お姉さんの大きく口を開けた、まさに驚愕、とでも言うべき顔が視界に映る。

 中々に顔立ちの整ったお姉さんが、口をあんぐりと開けている姿はちょっと面白い。

 いや、まぁそれはどうでも良い。


 なんでみんな遅いんだよ?


 もう一度犬の方へと目を戻すと、俺の腕を目一杯伸ばせば、その鼻先に指が触れるかどうかという距離にあった。

 おっそ。

 なんなんだこの、頼むから殴ってくれ! みたいな状況。悲しい話なんだけど、顔は牙を剥き出しなものの、如何せん無防備過ぎる。空中ゆえか抵抗する気が全く無い。


 どこか冷静に眺めたまま、拳を握る。

 これだけゆっくり動くものを叩くのは至極簡単だ。

 本来ならば、必死にその牙を避ける様な場面であるはずなのに、相手にやる気がないので、こちらとしてもそんなに必死になれない。

 こちらが必死になったらなったで、「必死(笑)」「熱くなってやんの」と言って笑うに違いないのだ。

 恐ろしいインターネッツですね。


 とは言え、牙を見せつけ鬼気迫る表情でこちらに向かって来る犬を無視する訳にもいかないので、握った拳を更に堅く握り、プカプカ浮かぶ犬の横っ面目掛けておもいっきり振りかぶった。


 途端に視界に映る時間の流れが早くなって、一体前者と後者、どっちが『ついで』か分からないけども、『ついで』に殴った犬の頭が弾け飛んだ。


「うぇ!?」


 あまりの光景にすっとんきょうな声をあげる。

 自分でやっておいてなんだけど、気持ち悪いなんてもんじゃない。


「――はぇ?」


 『ついで』、背後からお姉さんの間抜けそうな声が届く。


 その声で、俺は何故かちょっぴり冷静になれて、グロテロショックから幾分か立ち直れた。

 小さく息を吐いて、明滅する思考をまとめる。


 パンチ一発で犬の頭が吹き飛びました。

 字面にするとたった一行だけれども、そのショックたるや「ギョギョギョ」ってレベル。


 ――くっそ、どっちも一行だった。


 ギョ縛りはともかく。

 さっきから犬、犬とは言ってるが、異世界という事を鑑みるに犬っぽいモンスターなのだろう。

 まあ、体の大きな犬にしか見えないけども。どんな犬種に似ているかと聞かれても困る。俺はドーベルマンとかチワワ位しか分からないのだ。

 分からないくせに街で見掛けた人に「あっ、あの人犬顔だな」と感想を抱くのだから俺という人間は質が悪い。


 犬種よりも考えるべきは、モンスターとしての犬の事であろう。

 パッと見は強そうだ。だってデカイ犬だもの。欧米ぶった金持ちが飼ってそうなデカさ。

 だが、強そうな見た目に反して弱かった。

 ギャップ萌え?


 スライムですら蹴りで倒せなかったのに、まさか犬を一撃とは。これはつまり、犬よりゼリーの方が強かったという事だろう。

 スライムのくせに生意気であるが、見た目がプルプルでも、今現在、俺の周囲で唸っている犬達よりは強いってとこがモンスターらしいと言えばモンスターらしい。

 凶悪そう=強いという概念を無視してくる辺りに、ややモンスターに同情出来なくもないが、モンスターを見た目で判断してはいけないという教訓を多分に含んでいる気がする。


 異世界のモンスター事情に思いを馳せていると、お姉さんに声を掛けられた。

 逆ナンかな?

 目をやると、ややひきつった顔をしたお姉さんと目が合う。逆ナンかな?

 

「大丈夫……よね? ウッドウルフを一撃なんて、あなた凄いわね」


「……ウルフ」


 別に男は狼だとかそういう話ではなく、犬かと思ったら狼だったという話。ますますモンスター間の容姿と強弱の関係性について同情してしまう。

 人に置き換えるなら、筋肉ムキムキよりも、ガリ勉の方が強いという話。筋肉さん、良いとこ無し。


「でも、今の状況だと有難いわ。一緒にこの場を――」


「トエル!」


 お姉さんの声を遮って、叫び声が届く。

 そちらに顔を向けると、向かって右側でウッドウルフと戦っていた鎧の1人が、ウッドウルフ二体に組敷かれる形で地面に背を付けていた。

 いつの間にか兜が外れ、顔が剥き出しになっている。


「待ってろ、今――くそっ! 邪魔だ犬共!」


 もう1人の鎧が助けようと動くが、それをウッドウルフが邪魔する。

 イラ立つ様に鎧が手に持った剣を振るうが、ウッドウルフには当たらない。


 豆腐ボディゆえ一撃で倒せると分かってからというもの、俺は犬が狼に変化しようと然程に怖くなくなった。これが強者の驕りというやつであろう。

 驕ろうがなんだろうが、人助けが出来るなら別になんでもいい。恩も奢っておく。


 鎧を組敷くウッドウルフに向かって駆け出し――

 ――瞬きする間に通り過ぎた。


 あれ? 十メートル位は離れてたのに、何故行き過ぎるのか。

 行き過ぎたものは仕方ないので、気を取り直して再度チャレンジしようと振り返ると、地面に横たわる鎧が血塗れだった。


 うげっ!

 手遅れだったみたい。


 と、思っていたら血塗れのまま鎧が立上がった。

 血に濡れた真っ赤な鎧と顔が視界におさまる。


 怖い。

 めっちゃ怖い。どう見ても呪われた兵士です。悪霊です。

 おや?

 と言う事は亡霊としての立場的に俺の仲間だな。親近感が沸いたけど、仲良くはなりたくない見た目だと思った。


 そんな事を考えている間、別に気が合った訳でもないだろうが、死霊兵もしばらくこちらを見つめてボーっと突っ立っていた。怖いって、その血塗られた見た目やめーや。


「トエル! 何してるの! 後ろ!」


 俺が視線だけで呪われそうになっていると、お姉さんが叫んで、トエルと呼ばれた死霊兵はハッとした表情を覗かせる。


 その直ぐ横を通り抜けて、死霊兵――どうやら彼は生きてたみたい――トエルに背後から強襲をかけようとしていたウッドウルフを、その正面から力いっぱい殴りつけた。

 勢いをつけて振り下ろし気味に繰り出した俺の拳は、一撃でウッドウルフの体を爆散させた。

 のみならず、勢い余ってそのまま地面へと突き刺さった。


 地面が爆発した。

 と言うか、クレーターが出来た。


 なにこれ凄いパンチだ!


 唖然とした表情を向けてくる三人の視線を一身に浴びながら、自分の拳に驚きと感動を覚えた。

 それから、キャンキャンと逃げていくウッドウルフの悲しげな声を聞き、それでちょっぴり冷静になって、俺の体じゃなかったなとうなだれた。

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