第16話消失、そして不穏
ギルド長の部屋へと赴いたのは三人。
シンジュとミキサン、そしてレンフィールド。
もう1人いるギルド関係者アイは、部屋に人数分の紅茶を届けるや否や早々に退散してしまった。
そうして、静かな部屋に残った三人は、それぞれが部屋の中のソファーに腰掛け、思い思いの思考に耽っていた。
☆
自分とミキサンに座る様に促した後、一言も喋らなくなってしまったレンフィールドをチラチラと気にしながら、シンジュは、今、自分がどういう状況の中にいるのかを必死に理解しようとしていた。
――全然記憶がない……。
また例の夢遊病に陥ったという事だけは直ぐに分かった。
そして、部屋の中を目だけを動かして見渡せば、自分のすぐ隣に座る美少女の姿。
呑気に紅茶を啜るその横顔。
――むちゃんこ可愛い!
思わずマジマジと見つめてしまい、ふとこちらに視線を向けた美少女と目が合った。
――けど、誰?
いや……、そもそもこの子は人間なのかな?
角生えてる……。
美少女の正体を疑問に思い、神眼を発動させた。
………魔王!? えぇ!?
驚きのあまり腰かけたソファーから飛び上がりそうになったが、それを必死に堪えた。
――ドウシテマオウガ……。
シンジュの思考はその時点で頭から煙を吐いてほぼ停止した。
☆
一方、レンフィールドも今の状況をどう確認すべきか悩んでいた。
魔王という伝説の中の存在が自分のすぐ目の前にいる。
当然ながら怒らせる様な事があってはならない。
しかし、あの
そして、その恐るべき存在が現実を伴わないのは、この魔王が自分の前で、差し出された紅茶を優雅に楽しんでいる事も一因としてある。
魔王の事も気になって仕方ないがないレンフィールドであったが、それ以上に不可解な事、非常に気になる事がある。
魔王だけでも十分にレンフィールドを悩ましているのに、魔王以上の謎がすぐ目の前に存在した。
――今は抑えているのか……?
魔王から視線を外し、その隣の人物へと目をやる。
呆けた様に魔王に釘付けになっているのは、自分やアイと同じくここランドールギルドの職員として働くシンジュ。
少し特殊な生い立ちそうではあったが、この世界で身寄りの無い者はそう珍しくもない。ゆえに、レンフィールドは深くシンジュの素性まで詮索しようとは思っていなかった。
それは、思い出すのも辛い事があるかもしれないというレンフィールドなりの優しさの結果に他ならない。
しかし、事ここに至り、今更ながらレンフィールドは彼女の素性がひどく気になり出した。
レンフィールドは2つのレア装備を所有している。
ひとつは、風の力を宿した魔法剣・疾風の太刀。魔力を注ぎ刀を振るうと、風の刃によって刃が二本にも三本にもなるレンフィールドの愛刀。
そしてもうひとつ。
手首に嵌めた、魔視の腕輪。
これは相手の魔力の大きさや性質を色のついた揺らぎとして視認出来る様になる特殊効果を持っている。
魔視の腕輪で見たモノは、魔王から発せられるドス黒く禍禍しい、今まで見た事もない程の揺らぎ。
まさに魔王。凄まじい。
広場にて初めて魔王を目にした時、レンフィールドは畏怖と共にある種の感動すら覚えた。
ところがである。
その直後、レンフィールドは魔王すらも霞む強大な揺らぎを垣間見る事となった。
それは、真昼の中にあってなお眩しく、広場全てを飲み込んでしまう程に巨大な白光の揺らぎ。魔王ですら凌駕する神と形容すべき光の奔流。
そして、それを放っていたのが、ただのギルド職員に過ぎないシンジュであった。
あまりの事に呆然としていると、シンジュと魔王が親しげに会話を始めたではないか。
しかも、その後、レンフィールドの質問に答える形で魔王は言った。
魔王がシンジュの?
初めレンフィールドはなんの冗談かと思った。
しかし、自分の目に映るのは紛れもなく他を圧倒し、魔王の追随すらも許さない程に溢れ出るシンジュの魔力。
それを目にし、ここまでの道中、魔王そしてシンジュの素性について、どう話を切り出すべきかと考えたが、未だに思考がまとまらない。
下手をすれば、この二人だけでランドールは一瞬のうちに荒野と化してしまう。慎重に事を運ばなければ……。
魔王の傾けるカップの音だけが響く自室で、レンフィールドはまた深い思考に陥ってしまった。
☆
――妙ですわね……。
紅茶で喉を潤しながら、魔王は思う。
妙だと思ったのは無論紅茶の事などではなく、敬愛すべき自分の主君の事である。
この部屋に入った直後にその異変に気がついた。
その異変とは、シンジュの魔力が全く無くなってしまった事である。
――使い切っただとか隠した、という類いのものではありませんわね……。まるで、最初から持っていなかったかの様……。
シンジュを横目で一瞥しながら魔王はそう考える。
――なにより……。あれだけわたくしを魅了し、心酔させていた甘美な感情がかなり薄くなってしまっている。
魔王は紅茶に口をつけて、味わう様にゆっくり舌で遊ばせる。そのまま思考を続ける。
――主君として仕える事に抵抗がある程ではない。
しかし、明らかに先程とは違う。酷く物足りない。
身が震える程のあの甘さが足りない。
口の中の紅茶をコクリと飲み込む。
――まあ良いでしょう。
我が主君には違いない。わたくしがそれを問い質すのも不敬に当たりましょう。
案外、この状況を作り出す事でわたくしを試している可能性もあります。
であるならば、わたくしが気にするのは主君の魔力ではなく、顔いっぱいに滲み出ている主君の憂いを取り除く事ですわね。為すべき事を為すと致しましょう。
空になったカップを置いて、「宜しいかしら?」と魔王は話を切り出した。
「な、なんだ?」と、レンフィールド。緊張からか体がやや強張って見える。
「その様に緊張なさらずとも結構ですわ。先程、街中でも同じ事を言いましたが、わたくしはこれから我が君と共にこの街に住む事に致しましたの。ついては、改めて自己紹介を」
「あ、ああ。――ふむ、では俺から紹介しよう。俺がこのランドールギルドの長、レンフィールドだ」
「ミキサンよ。宜しくギルド長殿」
「あ、――えと、シンジュです。宜しくお願いします」
二人のやり取りを耳にし、自分も言わなければと慌てて意識を戻したシンジュが告げる。
それに対して、レンフィールドとミキサンがキョトンとした顔を見せた。
「知っている」
「知ってますわ」
二人が声を揃える。
レンフィールドはともかく、魔王が知っていた事に怪訝な顔を見せるシンジュ。そんなシンジュを置き去りにして二人の話は続く。
「さっき広場で言ったのは俺の聞き間違いじゃ無かった訳か。あまりの事に聞き間違いかと………」
「事実ですわ」
「君がシンジュの
「勿論事実ですわ」
「――えぇ!!?」
思わず驚きの声を上げた。シンジュが。
「何故、我が君が驚いているのかしら?」
「……覚えてないのか?」
レンフィールドの問い掛けに、シンジュが首を縦に振る。
そのシンジュの様子に、ミキサンが小さく首を傾げた。
「覚えてない。とは、一体どういう意味合いかしら?」
「え~っと、ですね……」
「俺が説明しよう」
自分でも原因の良く分かっていない事への魔王からの追及に、シンジュが言葉を濁していると、みかねたレンフィールドが助け舟を出した。
そうして、レンフィールドは自分の知るシンジュの記憶の欠落症状について魔王に話して聞かせた。
レンフィールド自身、シンジュの記憶の欠落の場に居合わせたのはこれが初めてであったのだが、この症状についてはシンジュ本人はもとより、ブラッド達からも相談を受けていた。
シンジュがギルドの仕事の合間に「このままでは乙女の危機です!」と泣きついて来た際により詳しく相談された。
娘程に年の離れたシンジュに相談をされ、頼られるのは嬉しい反面、レンフィールドもその様な症状は未だに聞いた事もなく、とても困った。
その場では「調べておこう」と気休め程度の言葉しか掛けられなかったが、シンジュは一応の安心はしてくれた様だ。
もっとも、それは原因を調べるという事に関してより「自分が人前で服を脱ぎ始めたら全力で阻止して下さい!」というシンジュの泣きの入った懇願を受け入れた事への安心の方が大きかった様な気がする。
レンフィールドからの説明が終わった後、魔王が最初に口を開いた。
「つまり、わたくしの事も覚えていないと?」
シンジュがコクコクと肯定する。
それを見たミキサンはやや残念そうに小さくため息をついた。
それから、やや申し訳なさそうにするシンジュを見て、クスリと笑って赴ろに話を始めた。
「……よござんす。という事は、我が君に事のあらましの説明を求めても話が進まないのでしょうね。そういう事でしたら、わたくしの知る事も踏まえた上で、事の経緯を説明致しましょう。それで構いませんこと?」
「ああ」
「はい」
二人の了承を取り、ミキサンは自分が何故ランドールに来る事になったのかを説明し始めた。
「まず……。端的に言えば、わたくしがこの街に来たのはただの興味本位ですわ」
「興味本位?」と、レンフィールド。
「ええ。わたくしが最初に覚えているのは、暗い洞窟の中でわたくしという存在が生まれた事ですわ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! それは随分遡り過ぎた話では無いのか!?」
「ごく最近の話ですわ。わたくしは生まれてから3日程しか経っていませんの」
「み、3日?」
「ええ。話を戻して良いかしら? ――その時のわたくしは下級の悪魔の一匹に過ぎませんでしたわ。――ただ、明確に、ランドールの街に興味を抱いておりましたの。何故かはわたくしにも分かりませんが……」
そこでミキサンは少しだけ考え込む様な仕草を見せた。
「おそらくですが、わたくしは自然発生した悪魔では無く、何者かが意図的に生み出した悪魔なのですわ」
「意図的に?」
「そう、意図的に。そもそも悪魔というのは、一定以上の魔力溜り、濃い瘴気、そして生物の深く暗い感情、この三つが全て揃った時に自然発生する存在なのですわ。ただ、如何せん条件が厳し過ぎるので、そうそう生まれるものではありませんわ」
「ふむ。俺もあまり詳しくはないが、条件が厳しいらしいというのには同意する。そうで無ければ、この世界はとっくの昔に悪魔によって蹂躙されているだろう」
「その通りですわ。下級の悪魔でさえ、村ひとつ滅ぼすなんて造作も無き事。ですから、そうポンポンとは悪魔は生まれませんのよ」
「ふむ……」
「それで、わたくしの話に戻りますが。わたくしの居た洞窟は、少なくともわたくしが見た限り、とても条件を満たしているとは思えませんでしたわ。つまり」
「意図的、か」
「ええ。そう考えるのが妥当でしょうね。加えて、明確に為すべき事、と言うと少し大袈裟ですけど、最低限の事として、ランドールへの興味を生まれながらに持っていた。生まれたばかりの赤子が、何かに執着する程の知識を持っているなど普通は有り得ませんわ。―――これは、明確にランドールを狙った悪魔召喚と見て間違い有りませんわね」
「悪魔召喚か……。もしそれが本当なら由々しき事態だが……」
悪魔召喚はかなり高度な召喚魔法だと聞く。
これは、それが出来るだけの人物。或いは組織的な何かがランドールに敵意を持って攻撃して来た、という事に他ならない。
「それと、もうひとつ」
顎に手をあて考え込むレンフィールドにミキサンの言葉が続く。
「あなた、この街には長くて?」
「ん? ああ、生まれがこの街だからな。たまに遠出する事もあったが、もう50年以上になる」
「でしたら、この街の加護については知っているかしら?」
「加護とは、女神の加護の事か? この街を守る加護だ。知らない住民はいないだろう。実感として感じられるだけで、ハッキリと見た事は無いがな」
そう答えたレンフィールドは、続く魔王の言葉に絶句する事になる。
「その加護、もうありませんわよ」
「―――なんだと?」
「わたくしが生まれた時には既に失われていましたわ。むしろ、だからこそランドールが狙われたと見るべきでしょうね。知識として、あの加護は悪魔すらも寄せ付けない絶対的な結界の役割を果たしていたと認識していますわ。加護が失われていなければ、わたくしとて街の中には入れませんもの」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!? 本当に失われてしまったのか!? 何百年と街を守り続けた加護だぞ!? それが突然無くなったなど、にわかには信じられん」
「事実ですわ。受け入れなさい」
レンフィールドの体から急激に力が抜けていったのが、目の前のシンジュとミキサン二人の目にもハッキリと分かった。
それだけショックな事であったのだろう。
しばらく沈黙が流れた後、ショックから立ち直ったのかレンフィールドが口を開く。
「……そうか。どうりであれだけの数のモンスターが街に侵入出来た訳だ」
「まあ、被害自体は少なかったのですから、そう気落ちする事もありませんわ」
「……被害が少ない? 悪魔の感覚は分からんが、俺からすれば大厄災と言うべき事態だ」
忌ま忌ましそうにレンフィールドが反論する。
「わたくしも人間の感覚は分かりませんわね。たかが数人死んだだけで大厄災とは。随分ぬるい厄災ですわね」
「数人どころの話ではない!」
ミキサンの言葉に、思わず立ち上がったレンフィールドが叫んだ。
その大声に、シンジュはびくりと肩を震わせるが、ミキサンは涼しい顔をしていた。
「数人ですわよ? わたくしが殺した冒険者が7人。死んだのはそれだけで、後の有象無象の住民達は生きてましてよ?」
「……どういう事だ?」
「知りませんわ。何者かの手引きでもあったのでしょ。人間に興味もありませんから、詳しく調べてなどいませんけど」
「それを信じろと?」
「別に信じなくても結構ですわよ? 街にいればどうせ直ぐに分かる事でしょうし。問題はそこではありませんしね」
確かに……。と、レンフィールドは一応の納得をみせる。
この街の被害状況は現在調査中。いずれは報告があるだろう。焦らずとも真意はその報告を受けてから結論を出せば良い。
今回の事で死亡した者は全部で7人。
その報告は、レンフィールドがそう思ったすぐ後に、部屋に訪れた冒険者によってもたらされた。
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