第10話奇跡は平等に

「レンフィールドさん! スライムだ! スライムの群れが押し寄せて来た!」


 避難所となっている広場へと這う這うの体で駆け込んで来た冒険者が開口一番にそう叫んだ。


 それを耳にしたランドールギルドの長・レンフィールドは、少しばかり不機嫌そうな顔を覗かせた。

 それはモンスターの更なる増援の報に気分を害したものではなく、ただのスライムに慌てふためく程に冒険者の意識が低下しているのか、という憤りからの不機嫌さであった。


「大門から新たにスライムの群れが入って来たんだ!」


 そんなレンフィールドの表情には気付かなかったのか、肩で息する冒険者が報告を続ける。


「たかがスライムの群れが今更増えたところで、最悪な状況は変わらん」


 さして歯牙にもかけぬ態度でレンフィールドが吐き捨てる様に言う。


 現在、レンフィールド率いる冒険者達は、広場を中心に教会を背にする形で、広場に面する道幅の広い中央の大通り、それと広場へと左右に伸びる通りの計三ヶ所を、少ない人員を三組に別け、それら各組が道を塞ぐ様な形で陣取り広場の守護にあたっている。


 広場の中央よりやや奥、居住区から避難して住民達がごった返しているが、小さな子供の泣き声が聞こえる以外は存外静かな物であった。

 

(少ないな……)


 不安そうに身を寄せ会う住民達を一瞥し、その人数の少なさに表情にこそ出さなかったが心の中で舌打ちする。

 明らかに少ない。

 一万を越えるランドールの住民達全てがこの広場に大挙すれば、こんなものではないだろう。



「違うんだレンフィールドさん! いや、確かにスライムには違いないが、あれは群れなんてもんじゃない! 波だ! そう、スライムの波! 高台から見た限り、おそらく数は万を軽く越えていますよ!」


「バカな。そんな数のスライムなど、例えスタンピードが起こったとしてもあり得ない。慌てていて過剰な数と誤認したのではないか? それに、もしそれだけの」


悪食吐馬ジャンクジャックだ!」


 レンフィールドの言葉を遮る様に高所からモンスターの動きを警戒していた冒険者が叫んだ。


「くそ! よりにもよって悪食吐馬ジャンクジャックが一番乗りか! ―――牽制しろ! 広場に近付けるな!」


 レンフィールドからの怒号に、弓や魔法を扱う者達がすぐに前へ動いた。

 

 悪食吐馬ジャンクジャック

 このモンスターはここら一帯では敵無しの存在である。

 ランクはBと位置付けられてはいるものの、下手をすればAランクのモンスターでさえ一度も触れる事なく悪食吐馬ジャンクジャックに狩られる事も少なくない。

 それは悪食吐馬ジャンクジャックの特性によるものに他ならない。

 悪食吐馬ジャンクジャックは他の生物が口にしない食べ物を好んで食べる習性があり、それがこのモンスターの強さの下地を支えている。

 悪食吐馬ジャンクジャックの好物、それはキノコや毒草といった猛毒を含む食べ物である。


 この悪食の馬はそれらの毒をものともしない鉄の胃袋を持っており、且つ、その毒を自らの体内で混ぜ合わせる事でより強力な武器として他の生物を圧倒する。

 悪食吐馬ジャンクジャックの持つ毒はバリエーションも多く、致死性も非常に高い。ゆえに、毒への強い耐性を持たない者は、この馬の吐き出す息を吸っただけで絶命し、まともに近付く事すらままならない程の危険で厄介なモンスターなのである。


 そんな恐るべき武器を持つ悪食吐馬ジャンクジャックだが、毒を除いた身体能力などは普通の馬とさほどに変わらない。普通の馬より少し皮膚が硬い。その程度。

 その為、通常、悪食吐馬ジャンクジャックを狩猟する際は離れた位置からの攻撃、つまりは遠距離攻撃での戦闘がセオリーとなっている。

 近接では敵無しであるが、遠距離にはめっぽう弱い。


 遠距離から倒す手段があり、尚且つ先制を取る事が出来さえすればCランクの冒険者でも倒せるだろう。

 そんなアンバランスな強さから、Aランク以上の脅威であるにも関わらず格付けにおいてはBランクなのである。

 

 当然ながらレンフィールドも悪食吐馬ジャンクジャックの対処法は理解しているし、ここに来るだろう事も予測していた。

 その証拠に、悪食吐馬ジャンクジャックの出現と共にレンフィールドより前もって指示を受けていた冒険者達が、距離を保ったまま弓に魔法にと、悪食吐馬ジャンクジャックを相手に奮戦していた。


 の、だが。

 そんな状況が悪食吐馬ジャンクジャックの嘶きと共に一変した。


 あとひと息というところであった。

 何本もの矢が体に突き立ち、魔法によって満身創痍の有様であった悪食吐馬ジャンクジャックの様子に、狩猟は目前だと、相対する冒険者の誰もが思っていた。


 そうして、まるで最後の断末魔の様に嘶いた悪食吐馬ジャンクジャックの声と同時に放たれた冒険者達のトドメの一斉放火。


 しかし、確実に捉えていた筈のそれらの矢も、魔法も、ただひとつとして悪食吐馬ジャンクジャックに届く事はなかった。

 放たれた矢や魔法が、悪食吐馬ジャンクジャックに当たる直前、突如として起こった突風により全て巻き上げられてしまったのだ。


「魔法種だ!」


 様子を見ていた冒険者の一人がそう叫んだ。


「魔法種だと!? 確かか!?」


「間違いありません! 今のは防御系風魔法【防矢の風】です!」


 手に杖を持った冒険者の言葉に、レンフィールドが苦々しい顔を見せる。

 災難や最悪というものは、いつの世も畳み掛けるのが常であるらしい。


 魔法種というのは、モンスターに付与される称号の様なもので、その称号を持つモンスターは総じて魔法を獲得しており、行使する事が出来る。


 魔法とは森羅万象に触れる奇跡である。

 それは何も人間に限った話ではない。

 人間だろうとモンスターだろうと、条件さえ満たせば奇跡の力【魔法】を獲得し得うるのだ。儀式を完遂させる事さえ出来れば、そこに人間だから、モンスターだからといった種族の隔たりなどは存在しない。


 奇跡は全ての生ける者に平等に与えられる物である。


 【防矢の風】は魔法の中でも突発的に発動しやすい条件の儀式を有している。

 その儀式の内容は、[千本の矢傷を体に受け、血を流す事]。

 一見すると、獲得までに死んでしまいそうな条件ではあるのだが、何事にも抜け道の様な手段というものは存在するらしく、実はこの魔法を獲得している魔法使いは少なくない。


 儀式の条件は実に曖昧、且つ大雑把。そこに抜け道や抜け穴が生まれる隙間がある。


 防矢の風を例に出すと、条件には[千本の矢傷]と一言銘打ってある。

 これは傷の浅さ深さは全く考慮されない。

 爪で引っ掛いた様なかすり傷程度の矢傷だろうと、心臓を穿つ程の大きな矢傷だろうと、前者後者共にひとつの傷としてカウントされる。

 つまりは、防矢の風を覚えたいのであれば、かすり傷程度の矢傷を自ら、故意に作れば良いのである。流石に千本ともなると少々痛かったりもするのだが、命の心配などは全く無い。


 もしも世界に魔法という概念を生み出した神がいて、そんな風にして魔法を覚える者達を見たならば、「ズルい」と言ったに違いない。

 そう、ズルい。だからこその抜け穴であるし、見方を変えれば人の知恵の産物とも言える。


 人の知恵によって簡略化された奇跡は、人程の知恵を持たないモンスターには、何の恩恵ももたらさない。

 自分にチマチマと矢傷を施せる程にモンスターの知恵は高くはないのだ。

 これはつまるところ、モンスターが同じ魔法を覚えるには、魔法獲得の為の条件をキチンと完遂しなければならないという事。

 下手をすれば一撃で死に至る矢の千本を、まともにその身に受けなければ覚えられないという事だ。


 つまり、いま冒険者達の視線の先にいるボロボロの体に風を纏ったあの悪食吐馬ジャンクジャックは、その過酷な試練を乗り越えた強者なのである。


 通常ならば、いくらモンスターといえど千本も射たれる前に事切れるのだが、千本の矢傷は何も「今」受けなければいけないという物でもない。

 この世界に生まれ落ちてから今までの累積が千本でさえあればいい。


 「今」冒険者達の放った矢は精々数十本。これだけでは条件には到達しえないが、必要なのは累積である。

 おそらくこの悪食吐馬ジャンクジャックは長く生きた個体なのであろう。

 そして、長く生きた分だけ窮地を味わい、味わった窮地と同じだけ生還を果たした稀有な個体。

 そんな個体だったからこそ、この土壇場で奇跡の力【魔法】を得たのである。


 レンフィールド達からすれば、それは全く予想外の出来事であり、これっぽちも嬉しくない奇跡であった。


 【防矢の風】は、防御としては、特に遠距離からの攻撃においては優秀な性能を誇る魔法である。

 体を覆う様にまとわりつく風が、あらゆる災厄から使用者を守る。

 近接においては味方を巻き込む事も多々ある為、どちらかと言えば後衛で活躍する冒険者達に好まれる傾向があった。

 接近戦をする事の少ない後衛にとっては、矢に限らず遠距離から飛んでくる攻撃を防ぐ事が重要である為、[ズル]によって防矢の風を覚えておいて損は無いという話であった。


 ただ、やはり魔法の神はそれを何とも思わず受け入れる程に寛大では無いらしく、傷の総合的な深さによって同じ魔法であっても威力や性能に差が出る様になっている。


 現に、目の前の悪食吐馬ジャンクジャックが使用する防矢の風は、ズルで覚えた冒険者のそれよりも格段に纏った風の力が強い。

 冒険者のそれは矢が精々といったところだが、ズル無しの魔法ならば、たとえ大砲の玉であっても弾き飛ばすだろう。

 それほどに差がある。


 この差を埋める方法も、悪知恵働く人間の知恵があれば可能なのだが、ただでさえ面倒で地味な自傷行為を伴う儀式ゆえ、中々そこまで手を出す者も少ない。


 儀式は反復する事でその性能を高める事が出来る。

 千本で脆弱ならば、二千、三千と数を重ねて強固にしろ、という事だ

 それでも、あの威力にまで高めようと思ったならば、万は軽く越えていかねばならないだろう。いくらかすり傷とて万を越える傷を作り、それだけの傷から血を流せば体がどうなるか保証も出来ない。

 休養日を挟みつつ時間と根気さえ掛ければ可能ではあるが、その時間があるならば別の魔法を取得した方が余程効率が良い気もする。


 話を悪食吐馬ジャンクジャックに戻すと、魔法種となった事でその名称も悪食吐馬ジャンクジャックから、悪食魔馬ランタンジャックへと変化する。

 更に、その脅威はBランクからAランクへと昇格し、危険度がはね上がる。


 悪食魔馬ランタンジャックの様な魔法種は、個体によって強さが全く違う。これは、魔法を使う種であっても、どの魔法を使うのかによって厄介さが違ってくるからである。


 そんな個体別に違う魔法種の中において、目の前にいる悪食吐魔馬ランタンジャックは最悪に厄介な部類であろう。


 先述してある通り、悪食吐馬ジャンクジャックはその猛毒によって近接では類を見ない程に凶悪な存在である。

 従って、セオリー通りであれば遠距離から致死を越えるダメージを与えていくのだが、今や【防矢の風】をその身に纏う悪食魔馬ランタンジャックにそれらの攻撃は届かない。

 冒険者側は倒すすべを失ってしまったのだ。

 魔法発動前に蓄積していたダメージは健在で、今にも倒れそうな程に血を流し弱りきっているのが唯一の救いだろう。


 もっとも、悪食魔馬ランタンジャックの毒も未だに健在である。

 万が一、あの毒馬が広場のど真ん中まど侵入し、その凶悪な毒を撒き散らす事態にでもなったならば、場にいる人間は全滅であろう。

 耐性持ちであっても、生半可な耐性は悪戯に苦しむ時間が伸びるだけであり結果は同じ。それならば即死した方がまだ幸せだ。


 よしんば、この満身創痍の毒馬を退けられたとしても、これで終わりではない。これは本番ですら無い。

 Aランクの脅威すら霞んで見えるSランクの絶望が待ち構えているのだ。


 それを理解しているからだろうか。冒険者達の顔には諦めにも似た焦燥が浮かんでいた。


 無理もない。

 冒険者達の悲観的な表情を目にし、レンフィールドは思う。

 かつてAランクとして活躍した自分ですら全てを諦めてしまいそうな状況の中で、ランドールというぬるま湯に漬かりきった者達がここにどんな希望を見出だせるというのか……。


 もはやランドールを存続させる事は不可能。現状を打破するには圧倒的に力が足りない。

 様々な要因が重なりあった結果とはいえ、こうもあっさりとランドールは終わってしまうのか……。

 どれほどの知恵を、戦略を、人員を、対応を、決意を有しても、それを軽々と打ち破る圧倒的な力。


 レンフィールドは、今の自分の気分とは裏腹に、いつもと変わらずゆったりと空を流れる雲を見上げながら、手にした刀を強く握りしめた。



 されど忘れる事なかれ。

 奇跡は突然降って沸く。

 全ての生ける者へ平等に。

 それが世界のルールであるかの様に。

 絶望に仰ぎ見たその空の先にこそ、主はおわすのだから。

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