第8話自信過剰は波に揉まれる



 なんと脆いものか……。


 たった今、首を握り潰した男を片手で持ち上げたまま、悪魔はそう思った。

 冒険者、という者と戦うのはこれは初めてであったが、あまりに呆気ない。悪魔と人間の圧倒的な力の隔たりを感じつつ、悪魔は更に知る事を欲した。


 悪魔は、何の役に立つのか分からない紙で出来ているらしい男の鎧を無造作に剥ぎ取ると、一切の躊躇もなく男の腹を裂いた。

 吹き出す血に体が汚れるのにもかまわず、裂いた腹に手を伸ばし、そこから腸を引きずり出し、少し引っ張ると腸は自重でドロリと溢れてきた。


 そんなおぞましき光景にも顔色ひとつ変えず、悪魔は男だった物を観察し終えると、ゴミを捨てるかの様に男を放り投げた。


 そんな悪魔の目が、今度は周囲を囲む物達へと向けられる。


 先程の悪魔の所業を目にした冒険者達の闘争心は、この時点で全てへし折れ、恐怖によって蹂躙され尽くしていた。

 もはや決定事項となった死を前に、冒険者達は戦う事も逃げる事も忘れて、ただ悪魔を前に茫然と立ち尽くす。


 血で濡れた大地を悪魔は歩む。悠然と。

 その場の冒険者達に待っているのは、過程こそ微妙に違えど結果は同じ、ただの肉塊へと成り果てる事だった。






 悪魔が冒険者達との暇潰しに興じる丁度その頃。

 ランドールギルドのギルド長レンフィールドは、このランドールの街はじまって以来の未曾有の危機を乗り越えるべく、ギルドにて頭を悩ませていた。


「それで、ランドール家はなんと!?」


「は、はい! こちらはこちらで忙しい。悪魔はそっちでどうにかしろ、と……」


「ふざけやがって!」


 激昂するレンフィールドが八つ当たり気味に叩きつけたテーブルの音と気迫に、伝令役にと回された若い冒険者の体がビクリと震えた。


 悪魔が街に侵入したと知らせを受けてからのレンフィールドの対応は早かったが、それでも人の数も力も、圧倒的に足りていなかった。

 Cランクの冒険者達には街へと侵入したモンスターの処理に動いてもらっているが、侵入したとされるモンスターの数が多すぎた。


 波の様に押し寄せるモンスターも脅威ではあるのだが、索敵を行っていた魔法使いからの報告がレンフィールドを愕然とさせた。

 どうやらモンスターとは別に、一体の悪魔が街に侵入しているのだという。


 モンスターが他の地域から流れて来ているのはコイツが原因だった。


 モンスターが住み慣れた縄張りを離れる原因として考えられるものに環境の変化が挙げられる。

 例えば、気候の変化。

 気候が変わって、植物などの餌が無くなる。そうすると、それを食料としている生き物が餌を求めて新たな土地へと移動する。そうすると、そいつらを餌にしていた捕食者達も餌を求めて移動する事になる。その捕食者達がモンスター。


 しかし、冒険者を使い調べたが、そんな気候の変化などは見られなかった。

 何より、こんな短期間で環境が激変する程の気候の変化などは起こるものでもない。


 それとは別のら短期間で環境が激変する可能性。

 つまりは、環境が激変する程の新たな脅威の存在。

 その地域で我が物顔をしてのさばっていたモンスター達が、移動せざるを得ない程の脅威。


 ランドールの周辺を含め、この辺り一帯で最も危険とされているモンスターは、悪食吐馬ジャンクジャックという馬の姿をしたモンスターである。

 しかし、どうやらその悪食吐馬ジャンクジャックすらも、脅威の存在を感じ取り、こちらに逃げて来ていると索敵で判明していた。


 その脅威の正体こそが、Sランクに位置する悪魔。


 本当に悪魔だとすると、これは街を放棄する事も視野に入れる必要がある。

 ランドールにいたBランク以上のパーティーには、悪魔の足止めを通達してあるが、たとえBランクパーティーが複数で事にあたったとしても数分しか持たないであろう事はレンフィールドも理解していた。


 Dランク以下の冒険者、及びアイには街の住民の避難を行ってもらっているが、正直、どれだけの住民を避難させられるのか分からない。

 と言うのも、アイとの会話で時々話題にしては互いにため息をつくのだが、ランドールに住まう人々には危機感というものが欠けている。 



 ランドールという街は、女神の加護という特殊な力に守られている。

 数百年もの間、この街に災害という災害が振りかからなかったのは、この力のお陰であった。


 女神の加護という絶対の安心があったからこそランドールは繁栄してきたが、事ここに至る危機的状況では逆にそれが仇となって、住民達のパニックを引き起こしていた。

 レンフィールドは最初からそうなる事を危惧していた為、住民達の様子を報告として受けた際にも、やはりこうなったかと冷静に受け止める事が出来た。


 今現在、アイ達の指示の元、住民達の避難は、街の西側、モンスターがやって来る森とは反対にある海岸近くの教会前広場へと誘導されている筈であるが、元々が祭事の為に設けられた広場であり、避難場所として想定されていない場所ゆえ、盾となる様な壁や柵といった遮る物は皆無に等しい。その上、防衛に当たる冒険者の数も少ない。このままモンスターの進撃を許せば、じきにその防衛とて押し切られてしまう。そうなれば避難も何もない。背後には海、前面にはモンスター。どうする事も出来ない。


 ここランドールは、地理的にいえば防衛に適している土地である。

 北側から北東にかけては山脈が連なり、天然の壁の役割を果たし、南側には大きな湖が広がり外敵の侵入を拒む。

 西側は遠浅の海で、大きな船で直接ランドールに入る事が出来なくなっており、無理に大型船で入ろうとすれば、たちまち座礁。座礁するだけならばまだマシで、海底に沈む岩に船底をゴリゴリと削られ、侵入して来た海水で横倒しにでもなった日には目も当てられないだろう。したがって、ランドールへは自然と小舟での入港となる。

 小舟では満足に人も物も運べないので、遠浅の海はランドールの交易の妨げにもなっているが、元々自給自足出来る土地柄である為、それでも食うには困らない。強いて不満をあげるならば、文化の発展が周辺よりもやや遅れている点であろう。


 陸からの唯一の出入りである東側は大きな森で、軍隊が列を成して攻めるには不向き。そういう条件下で、ランドールはいわば陸の孤島、あるいは天然要塞のていをなしている。もっとも、戦う為の設備などこの街には存在しない。唯一あるとすれば、街を納めるランドール家の敷地内だけであろうが、流石に一万を越える街の住民全てを受け入れる程の広さはない。


 しかし、天然要塞にしても、これはあくまで、相手が人の軍隊であった場合の話であるし、陸の孤島というのは、一度侵入を許せば、それは逃げ場のない檻へと変貌する。

 だからこそ、本来ならばモンスターの一匹とて街に入れてはいけないはずなのである。

 にも関わらず、ランドールの対モンスターに向ける守りの意識は驚く程に低い。これは女神の加護の影響に他ならないが、街をここまで大きく出来たのもまた加護の力。


(加護によって繁栄し、加護によって滅びるのか……)


 皮肉が利いて、利き過ぎていてレンフィールドは心の中で苦々しく笑った。


 このままでは数時間もしない内に、本当にそうなってしまうだろう。

 他の街のギルドにも応援を要請したが、ここは辺境にある街。早くとも二日はかかる。とても間に合わないだろう。


 そして、最後の頼みの綱でもあったはずの、街を統治するランドール家は助けにも来ないという。このままでは自分達も街と共に滅びるかもしれない瀬戸際だというのに……。

 ――いや、あの姫君達ならば、自分達だけは助かる算段をつけていてもおかしくはない。その為に私達は切り捨てられた可能性もある。


 だが、今考えるべきはそんな事ではない。

 どうしたらこの危機を乗り越えられるかだ。


 とは思っても、もはや自分に出来るだけの手は尽くした。

 人事をつくし、それでも今やランドールは風前の灯。

 ランドールには、自力で悪魔の魔の手から逃れるだけの力は最初から有りはしなかったのだ。

 後は、派遣されて来るAランクの冒険者を待つ以外に生き残る道はない。

 その為の時間を稼ぐ。

 来ると信じ、命を賭して――。


「レンフィールドさん!」


 慌てた様子で一人の冒険者が駆け込んできた。


「どうした?」


「それが……。予定されていたルイロットギルドからの派遣隊なんですが……」


「どうだった!?」


 思わず椅子から立ち上がったレンフィールドに向け、冒険者は厳しい表情をしたまま首を横に振った。


「さっきルイロットギルドから連絡があって……、その――ランドールへの支援は行けないと」


「……そうか」


 続く言葉は喉の奥から出ては来ず、レンフィールドは力が抜けた様に呆然とした表情で椅子の上へとへたり込んだ。


 薄々とは分かっていた。

 多分来ないだろうと。

 それでも、もしかしたらと一縷の望みを抱いて助力を願ったが、駄目だった。


 ランドールという街は、大陸のはみ出しものという扱いを受けている。

 嫌われている。

 呪われた地であると。


 なんにせよ、これはランドールの最後の希望が潰えた事に等しい。

 レンフィールドは目を瞑ると、一度深く息を吐いた。


 ランドールの冒険者達が加護のせいで腑抜けになってしまったからと、彼らを責めるのはお門違いなのだろう。ギルドの長として、それに何の対策も打たず、黙ってみていた自分にも責任はある。

 もっと出来る事はあったはずだ。

 いくらでもやりようはあったはずだ。

 自分自身、心の何処かで加護にあぐらをかいていたのだろう。

 いつか改善されるだろう。いつか何とかなるだろう。いつまでもやって来る事は無いそんないつかに期待して……。

 自分がもっと冒険者達に冒険者たる自覚を与えてやっていれば……。もっと鍛練に力を入れさせていれば……。もっと……。もっと。

 時間は十分にあったはずであるのに。


「……レンフィールドさん?」


 知らせに来た冒険者が、感情の落ちた様に冷えた目を見せたレンフィールドを訝しみ、たまらず声をかけた。


 レンフィールドは答えなかった。

 変わりにゆっくりと椅子から立ち上がると、おもむろに部屋の奥へと足を動かした。

 レンフィールドの向かった先には、ひと振りの剣が大事そうに壁に飾られている。


 それはレンフィールドが冒険者だった頃、現役だった頃に愛用していた【疾風の太刀】と銘のつくレア武器。

 長く使ってはいないが今でも手入れを怠ってはいないそれを、レンフィールドが静かに手に取る。

 そうして、それを慣れた仕草で腰に提げると冒険者の方へと振り返る。


 奇妙な威圧感のある人だ。と、レンフィールドを見て冒険者は思った。

 既に齢五十を超え、現役を退いて10年は経とうとしている男とは思えない程の気迫がレンフィールドから発せられている。

 背が高いだけでなく、広い肩幅と厚い胸板のレンフィールドがこうして目の前にいると、まるで壁がそそり立っている様な錯覚に見舞われる。


「戦える者を全て広場に集めろ」


 レンフィールドが静かに告げると、冒険者はハッとした顔を一瞬覗かせたのち、慌てた様に踵を返し部屋を後にした。


 部屋の中には、かつてランドール出身で初のAランク冒険者として名を馳せた一人の男が、静かに佇んでいた。

 レンフィールドは、一度だけ自身が使う机の上を一瞥すると、そのまま冒険者の後を追う様に静かに部屋を出た。

 部屋を一歩出た時、左足に着けた義足がギシリと小さく鳴いた。

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