第5話レベルアップ

 そうして気付いたら、俺は娘と二人、森の中にいた。それが三日前。


 幽霊になってしまった事も異常なんだけど、そこはもう受け入れよう。受け入れた時点でそれはもう異常じゃなくて通常だ。幽霊が俺の普通になったのだ。


 まぁ、それはもういい。過ぎた事だ。

 娘がスライムに喧嘩を売ったまでは良い。――良くないか。完全に非行に走っとるやないか。


 娘がグレてしまった事も切実な問題ではあるが、まぁそこは置いておこう。反抗期だし、多少はね?

 それよりも、なんだってこの子は生き物図鑑にも載っていなさそうな生物と戦おうと思ったのか、それが謎だ。


 確かに、スライムという見た目だけあって弱そうではあった。身体は水で出来ているのか透けていて、大きくもない。

 バスケットボールくらい。

 蹴り1発で弾けてしまいそうな身体を見て、「強敵現る」と思う奴はそう居ない気がする。

 未知の生物という前提が無ければだけど……。


 娘も弱そうだと思ったのだろう、蹴れば倒せると思ったのだろう。未知の生物との遭遇。

 そして、それに喧嘩を売る我が娘。相手次第では宇宙戦争だよ?


 意味の分からない展開に俺が唖然とする中、娘がスライムを蹴り飛ばした。多分、本気で蹴っていたと思う。


 問題はここから。

 暴力には暴力が返って来るのは分かりきっていた事で、スライムを蹴りつけた娘は、倒すどころか返り討ちにあった。

 スライムからの見事なまでのボディブロウ。

 大慌てで両者の間に割って入るが、幽霊な俺が何かを出来る訳が無かった。

 庇う事も、手を差し伸べる事も、声のひとつも掛けてやれなかった。

 うずくまって苦しむ娘を目の前にしてたっぷりと無力感を味わったのである。


 その場に居ながらその場に居ないのと同列な俺が、何とかスライムを止めようと必死になる中、スライムの無慈悲な追撃で頭を強く殴られ、娘は気を失った。


 死んだかと思った。

 スライムを殺してやりたかった。

 しかし、何も出来ず、ただ無力感を味わい続けた。


 そうこうする内に、事もあろうにスライムが娘を食おうとしていた。

 冗談じゃない。目の前で娘が食われるなど、とてもでは無いが正気でいられるはずがない。


 無我夢中で暴れてみたが手はすり抜けるばかり――の、はずだったのだが、この時、幽霊になって初めて感触らしい感触があった。

 感触というのか、弱の掃除機で吸われる様な感覚。

 それは娘の身体に触れた時に感じたもので、この状況を打破出来る可能性に触れた瞬間だった気がする。


 もう一度娘の身体に触れ様と手を伸ばす。

 俺の手が、娘の全身を包むスライムをすり抜ける。やはり何の感触もない。

 しかし、次いで娘の身体に触れた時にやはり先程と同じ様な何かが吸い付く感覚があった。

 しばらく触れていると、俺の手、腕と勝手に娘の身体へと引き摺り込まれていき、数秒後には娘の中にすっぽりと収まってしまった。


 そこで、ようやくあのゲームの様なステータス画面を思い出した。

 そして思った。これがスキル欄にあった憑依というやつか、と。


 憑依といえば悪霊や悪魔でお馴染みの乗り移りってやつだ。これならば――

 と、スライムからの脱出を図ってみたものの、どうも身体が動かない。

 憑依失敗か!?

 とも思ったが、確かに手足の感覚はある。動かないと言うより動かせないと言うのが正しいらしく、全身にかけてピリピリと痺れる様な感覚が走っている。

 ――麻痺ってやつ?

 あれかな? 捕食中に逃げれない様に身体に毒でも打ち込んでくれちゃってるのか?


 駄目じゃん!

 折角憑依しても結局逃げらんないじゃん!


 どうしたものかと必死に脳を動かす。スライムの捕食というものがどれだけの時間を掛けてされるものか知らないが、骨ごとバリバリ行くタイプじゃなくて本当に良かった。

 ある意味不幸中の幸い?


 スライムの消化に時間が掛かりそうなのは分かったが、肝心の脱け出す策などはてんで出て来ない。

 意識はあるのに抵抗出来ずに食われるなんて、そこらの拷問なんかよりよっぽど拷問らしい。

 まぁ、拷問なんて受けた事も無い気がするけど……。


 あっ、でも、小学二年の遠足でウンコ洩らしたアレも、拷問っちゃ拷問だったけどな。

 誰にもバレずに処理出来てホント良かった。

 あの時程、神様に感謝を捧げた日もないね。神様マジありがとう。

 あんなのがバレた日には、その瞬間から俺のあだ名はウンコマンになっていたに違いない。

 絶望の小学時代を送っていただろう。

 下手したら中学、高校まで……。

 考えただけで恐ろしい。


 そんな事はどうでもいい。

 なんで自分が、というか娘が食われそうになってる真っ最中に過去のトラウマ思い出してんだ?

 走馬灯?

 走馬灯が過去の黒歴史ってどうなの?

 恥ずかしさで死が加速しちゃうよ?

 このまま逃げられなきゃウンコマンどころか本物のウンコになってしまう。

 ウンコに生まれ変わるとか、一体どんな悪行を犯したらそんな目に合うんだろう?


 生まれ変わりって言えば、娘の持ってる小説に何かそういうタイトルの本があったな。流行りとか言ってたけど。

 転生したらスライムの糞でした。みたいな? 


 ――うん。転生した瞬間死にたくなるな。

 スライムに排尿行為があるのかも疑問だけど。


 ――あ、でも転生って……。なるほど。そういう事か。

 だから、この子はこんなに楽しそうだったのか。


 つまりここは天国なんかじゃなく――

 ――異世界か……。


 え? マジで?

 パパあんまりそういう魔法とか幽霊とか信じないタイプなんだけど? 幽霊なのに。

 そうか、でも……。


「――」


 オープンと言おうとしたけど、そもそも身体が麻痺して唇すら動かせなかった。パパうっかり。

 なんで一々そんな呪文みたいに唱えなきゃいけないかなー。ゲームみたいにスタートボタンとかで良いじゃん。

 指も動かないから多分押せないけど。


 なんて事を思っていたら、頭の中にあのステータスボードが浮かび上がった。

 何これ?

 どういう状態よ?

 頭の中に違和感が凄いあるんだけど……。


 違和感があるがそれは後回しだ。

 違和感さんは、娘の絶体絶命問題さんを筆頭に、娘の非行問題さんや、娘の教育方針問題さん、その他諸々の並ぶ列の最後尾に並んでください。

 今はどうにかこのピンチから抜け出さなくてはいけないので。


 えー……。

 ――そうそう、スキルね。スキル。

 あれ?

 そもそもスキルって異世界?

 ゲーム世界?

 これ今どっちだ?


 まぁいいや。お前も列に並び直せ。細かいところを気にしないのが俺の良いところだ。おおらかと言って欲しい。


 いや、だからそれどころじゃないって。

 娘の体力がどんどん減っていってる。

 もう40切ってますよ。

 

《スキル》

神技:【完璧育成マスターテイム


魔技:――


人技:【狂】レベル1


 魔技ってのは無いので、使えそうなのは【完璧育成マスターテイム】ってスキルと【狂】ってスキル。

 なんだけど……これはどういう効果だ?

 説明も何も無しとか不親切にも程がある。名前で察しろと? 無茶言うな。


 くそっ。

 狂……。きょうって……。トゥデイ。誤翻訳で英語にしてみたところで何も解決しなかった。

 もうね、字面からしてなんか使うのが怖い。何かすんごい狂った事態が起きそう。これは使いたくない。

 って事は必然的に【完璧育成マスターテイム】しか使うものがない。


 完璧育成ってなんだろう……。

 っていうかさ、誰が考えて作ったか知らないけど、マスターテイムってルビ振る暇あるなら効果の説明文書けよ。なめとんな。

 マスターは分かる。

 でも、テイム? テイムってなんだっけ?


 欧米気取りか!?

 日本語で書けよ!

 と思ったけど、すぐ下に育成って書いてあったわちくしょう!

 英単語もろくに分からない大人だと馬鹿にしやがって。


 漢字をそのまま取るなら育成って意味か?

 ――いや、育成はトレーニングだろ?

 これもう分っかんねぇ……。


 もういいや。考えてる暇あったら使おう。

 どうせ使う以外にこの状況を打破出来そうにもないのだし。それに神技ってあるのが期待感高めだ。

 かみわざですよ、かみわざ!

 多分、しんぎって読むんだろうけど……。


 お願い神様! ポチッとな。


 ――押した途端、スライムの身体が一瞬神々しい光を放ち輝いた。


 だけ。


 だけ!


 よし、殺そう。神様殺そう。このまま死んだら殴りにいこう。

 くそったれ!

 は、俺だけど……。ちくしょうが! 離れろよスライム!


 ただスライムが光っただけという意味の分からない神技ゴミとスライムに、頭の中で悪態をついた時だ。

 今まで俺を包んでいたスライムが、身体からスルスルと離れ始めた。

 それと同時に、水の様に冷たいスライムが身体から離れたせいか、妙に身体が温かくなる。

 オマケに痺れて麻痺していた全身に感覚が戻り始め、呼吸も出来る様になった。


 ただ、急に深く息をしたせいか、かなり咳込んだ。

 咳込みながらも、すぐ傍にいるスライムから四つん這いで地面を這って距離を取る。また食われたら大変だ。


 少し距離を取ったところで、ようやく完全に戻ってきた手足の感覚を手繰り寄せ、立ち上り、スライムへと目をやる。

 スライムはまるで無機物のように静かに止まっていた。

 スライムを見ながら考える。


 何故、スライムは急に離れたんだ?

 不味かったとか?

 まぁ、なんにせよ――


「上手くいった――って事で良いんだよな?」


 何はともあれ無事に危機を脱出出来たのは喜ばしい。


 喜ばしいのだが、スライムの様子が変だ。仲間になりたそうにこちらを見ている、かは分からないけれど、じっと動かない。

 と思ったら、唐突にスライムが増えた。

 動かないと油断したそばから動くの止めて欲しい。


 増えた!? 生まれた!? おめでとう! 元気なスライムですよ?

 

 スライムが二体に増えた事に驚いていると、スライムから触手みたいなものが二本生えてきて、更にびっくりする。

 ショック死しそう。俺は既に死んでるけど娘が。


 警戒する。

 警戒するのだが、何故だろう?

 あまり危機感が湧いて来ない。

 先程までこちらを食おうとしていた相手であるから、恐怖や警戒心くらい持って良さそうなのに、全く出て来ない。

 むしろ、逆に親近感みたいなものが湧いて来た。

 何故?


 自分の中の感情に戸惑っていると、スライムが触手に抱えた何かをこちらに渡したがっている様な気がした。

 何故そう思ったのかは自分でも良く分からない。

 分からないのに、更に分からない事が加わる。


 これを食って、と。スライムが伝えて来た気がした。


 いやいや、そんな得体の知れない物食えんて。それなによ? 流れ的にお前の糞じゃあるまいな?

 だとしたら鬼だなコイツ。スライムのくせに。


 何故そんな悲しそうな顔をする。表情も無いスライムの顔色が分かる自分が怖いが……。

 そんな目で見るな。


 俺はたっぷり悩んでから、


「分かったよ。食べるよ」


 そう言って、何故の物体を口にした。



 そこからはまぁ、雑音大会でしたね。

 頭がおかしくなったと思った。割と本気で。


 あの感覚は――そうだなぁ、ガラス製品主体の雑貨屋の棚をひっくり返した時に似ている。

 あっ、と思った次の瞬間には店内にけたたましいまでの甲高い破裂音が爆発した。

 それが20秒程続く。

 幼き娘が引き起こしたあの忌まわしき事件。あれは酷かった。

 ただ、今回とあの事件の決定的な違いは、誰からも金銭的な請求が無いというところ。


 なんだ……、そう考えたら頭の中で音の爆弾が爆発した程度など大した事ないな。


 しかし、それも今や過去の事。

 身体に、というか脳に異常が無いか、そこはかなり心配ではあるが、それを調べる手段は特に無い。

 今はそれについては心に留めておく程度。

 そうやって、そちらが解決したらしたで新たな問題が浮上するのである。


 もうやだ異世界、帰りたい。

 けど、帰ったら俺死んでるんだよね。今も死んでるけど。


 新たに浮上したのは、どうやって憑依とやらを解いて、娘の身体から脱出するのかという問題だ。

 まさかずっとこのままなんて事態じゃあるまいな?

 嫌だぞ?

 どこの世界に娘の身体を乗っ取って喜ぶ父親がいるものか。変態じゃあるまいし。


 娘の身体で立ち尽くしたまま、顎に手を当て考え、悩み、唸る。


 ――まさか、尻から……。

 いや、ないない。ないと思いたい。


 折角スライムから脱出出来たのに、また脱出について悩むとかなんなんだろう?


 神技とか大層な冠被ってたわりに、スキルも光っただけの役立たずであったし。かといって今日は狂は使いたくないし……。明日以降も使いたくないけど……。

 スキルもダジャレもな!





 異世界に来て、街に入り、ギルド職員として働き始めた三日後、スライムに喧嘩を売った。

 これがこの三日間の出来事。


 そんな事を思い返していると、何処からか鐘の音が聞こえて来た。昼休憩の終わりを告げる合図

 それを耳にし、俺はギルドへと向けて歩き始めた。娘の姿をしたままで。

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